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傍観の傍らで

 ――同刻、カシーゴ・ブリュン・タワー屋上。


「――うっそ。また〈敬愛アドレイショナ〉?」

「――マジマジ? わたしにも見せてよぉ」

「……あのー、ミス・セオーク。ですからこの屋上は、部外者以外、立ち入り禁止でして」


 リエリーの顔の半分ほどもある、高性能双眼鏡。趣味用の領域を遙かに超え、どう見ても軍用レベルの品だが、さらなるカスタマイズによって、千里眼に等しい性能を得た深緑の筐体。

 そのレンズを覗きながら、リエリーは純粋な驚きを漏らしていた。

 他の核感情コアエモと異なり、〈敬愛アドレイショナ〉の涙幽者は滅多に出現しないというのが、リエリーの認識であり、データもそれを裏付けていた。

 本来、〈敬愛アドレイショナ〉は集団の中で発現することが多い。それも、特殊な条件下でなければ、まず発現しない。それこそ昨日、リエリーが遭遇した遊覧船のような状況だ。

 にもかかわらず、先から“ピザ屋”の救命活動を覗いている限りでは、どう考えても単独での〈敬愛アドレイショナ〉発現だった。


「サラ……」


 知らず、約束を果たせなかった要救助者の名が、口を衝いていた。

〈ドレスコード〉されたとは聞いたものの、その後の様子は当然、知らない。今の自分には、なおのこと知る手立てがなかった。


「だれだれ? もしかしてぇ、カノジョ?」

「あたしが救えなかった人」

「えっとー、聞いてますか、ミス・セオーク? それから、あなたは……」

「あ、メンゴメンゴ! わたし、レンジャーのアイサ・サイラス。今は、カシーゴに出向中~。バレットちゃんって、呼んでくれてもいいよぉ」


 思考が逸れかけ、アイサの呼びかけでリエリーは唇を噛んで今に集中を戻す。

 頭の中では、既に『もし自分だったら』のシミュレーションが進んでおり、癖で発動した個有能力ユニーカが、微風を断続的に撒き散らかしていた。


「……ねえ、プラトさ」

「なんです? ようやく話を聞いてくれる気になって――」

「――祈ってるときってさ、感情が昂ぶるの?」


 自分が仁王立ちしている、屋外デッキのストーンテーブル。その縁には、中折れ帽から赤いメッシュの長髪を風に流すアイサが足を組んで腰掛けていた。

 そんな不敬極まりない二人の少女を、黒のスーツに黒のサングラスという、古風な警備員セキュリティの出で立ちをした、身長が2メートルはある男性――プラトが、交互に見やる。厳つい外見と対照的に、禿頭を伝う汗が物腰の柔らかさを物語っていた。

 つい先刻、威療士チーム〈SP〉の救命活動を位置を探していたとき、この場所を思い付いていた。

 カシーゴ・シティの高層建築の中でも、際立った高度を誇る、ブリュン・トレード・タワー。

 その最上階は地上200メートルを優に超え、タワーの所有者であり、全米屈指の大富豪であるクロード・ブリュンの私邸となっていた。

 とある経緯からブリュンとは数年前に顔を合わせていて、だからリエリーの中では『好意的な知人』の位置付けにある。屋外デッキくらい借りても、あの“ゴージャスな”大富豪なら、気にしないだろうという打算もあった。

 だからリエリーは個有能力ユニーカを駆って、その屋外デッキのテーブルに降り立っていた。ちなみに、アイサはタワーの壁面を走ってついてきていた。


「……唐突な質問ですね。答えたら、お引き取りいただけますか?」

「考える。プラトって、クリスチャンじゃなかったっけ?」

「そこはよく覚えていらっしゃる。……確かに、主への感謝から心は安らぎます。しかし、昂ぶるというのは、いささか異なるかと」

「だよね。サンキュ」

「ありがと、プラトくん」

「いえ、どういたしまして。――ではなくてですね!」

「ん、どしたの。いま忙しいんだけど」

「ですから! ここは、ミスター・ブリュンのペントハウスなんですよ! いくらミス・セオーク、あなたとはいえ、こうも勝手に入られては困ります!」

「あたし、、ここの敷地は一歩も踏んでないけど。ハトだって思ってくれていいから」

「そういう理屈ではなくてですね――」

「――オッホー? こりゃまた、たいそうなサプライズじゃねーか! ええ?」

「やっほー、ブリュブリュ。ちょっと“領空”借りてる」


 禿頭を掻いて困り果てたプラト。その抗議の背後から、耳に響くハイテンションな声が、ジャラジャラという貴金属の音を伴って近付いてくる。

 見やってリエリーが手を上げると、背は低いが、広い肩幅を揺らしながらその男性が豪快に笑った。


「領空、かっ! こいつぁ、一本とられた! さすがのオレっちでも、大空までは買えん訳だ! そんで“ウィンド・ガール”、拙宅になんの御用だ? しかも、オレっちの邪眼に間違いないんなら、隣のお嬢さん、エウコリンの“バレット・ニードル”・サイラスレンジャーだろ」

「あらあらぁ! やっとわたしのファンがいたわネ」

「ヒッハハ! こいつぁ、光栄だぜ! そんなとこに座る必要はねえ! プラト! ソファとシャンパーニュだ!」

「し、しかし、ミスター・ブリュン。ミス・セオークは無断で侵入を――」

「――おい、プラト。じゃねーだろーよ」


 意見したプラトに対し、ハイテンションな声が一転、冷気のような冷たさを持った。

 純金とダイヤモンドをあしらった大ぶりのサングラスを外した隻眼が、自身の警備員を射抜いていた。


「この嬢ちゃんウィンド・ガールは、オレっちの命の恩人だろーが。命の恩人を侵入者扱いするってことは、プラト、おまえ、オレっちに死んでほしいのか?」 

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