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パパは〈ワックス・ワーカー〉

「――待ってってば!」


 身体能力では圧倒的に有利なはずなのに、キャラクターTシャツの小さな背中が、あっという間に家の奥へ消えてしまう。

 焦りからつい、強い口調になってしまった。そのことを反省しながら、ティファニーは短く息を吐いた。

 自分のせいだ。わずかな迷いが判断を鈍らせ、そのせいで要救助者を危険に晒している。

 こんなことなら、有無を言わせずにあの子を抱えて行くべきだったのかもしれない。――


(そんなの、私はイヤ)


 救命活動のたび、頭をよぎる過去。それは幼少期に刻まれた記憶で、追い払っても追い払っても、頭に蘇ってくる。

 それが一種のPTSDであると、医師には言われていた。きちんと治療すべきであると、幾度となく勧められもした。

 認めたくなかった。

 認めてしまえば、

 だから、ただ忘れてしまいたかった。

 忘れて、前に進みたかった。


「……しっかりして、私」


 両手で強く頬を叩き、足元から這い上がるような恐怖を押し戻す。今は、記憶に捕らわれている場合ではない。

 ついで、〈ギア〉を探索モードに切り替えると、瞬時に、視界に映る物体の輪郭が強調表示され、壁を透過したその向こうの物体が、半透明で映し出される。

 振り返ると、3つの人影が玄関を出ていくところで、浮遊担架を押す輪郭の片手が、しっかり小さな手とつながれていた。


「あとは、あの子だけね」


 相方への感謝を心中でつぶやき、ティファニーは捜索活動へと意識を戻す。

 幸い、軽く室内を見回しただけで、目当ての小さな人影が見つかった。

 本来、探索モードは許諾なしに使ってはならないルールだ。が、今はそんなことを言っていられる状況ではない。叱責でも処罰でも、後でいくらでも受ける。

 だから今は、あの子を連れ出すのが、何より最優先だ。


「見~つけた。ほら、行こ。お姉ちゃんもママも、待ってるよ?」

「どしゅーん、ばこんばこん」


 パステルカラーの壁紙に、動く雲やデフォルメされた動物たちが駆けている、可愛らしい子ども部屋。

 そこへ踏み込むと、部屋の奥で、探していた男の子がうつむいて何やら夢中になっていた。驚かせないよう、ティファニーはゆっくりと男の子に背後から近づき、肩口を覗き込んだ。


「クールなフィギュアね。名前はなんていうの?」

「こっちが、てーらー46。これは、ぐりぃ89だよ」

「……ず、ずいぶん個性的な名前ね」


 男の子が得意げに見せてきた人形は、黒い獣毛を生やした狼貌ウルフフェイス――涙幽者スペクターを模したものだった。

 涙幽者の人形自体は、そう珍しくない。

 幼いうちからその存在を伝える道具として、近ごろは再ブームになっていると、耳にした記憶があった。ティファニーにしてみれば悪趣味としか思えなかったが、何でも、サンプリングした涙幽者の咆哮を再生できる高機能タイプまであるらしく、こちらは大人たちの間で人気らしい。


(ブランドンなら、もっとヤバげなのも持ってそうだけど)


 ポップカルチャーに造詣が深い、チームのパイロットから聞かされた話を思い返して肩をすくめる。

 男の子がぶつけて遊んでいるものはそういった機能のない、ただの人形のようだったが、威療士であるティファニーが見てもぞっとするほどに精緻な作りだった。獣毛の縮れ方といい、極小サイズでありながら如何にも鋭利とわかる湾曲したカギ爪。何より、白濁した双眸が、今にも大粒の泪を流すのではないかと思わせるくらいに質感がリアルだった。


(この名前、ぜったいこの子がつけたものじゃないね)


恐怖テーラー〉と〈悲嘆グリィファ〉。

 人形の名前が、これら核感情コアエモと酷似しているのは、偶然ではないだろう。

 どちらも涙幽者の分類であり、それなりの知識がある者なら認知度はある。が、まかり間違えても子どもの玩具に名付けるような代物とは思えなかった。


「そういえばお名前を聞いてなかったわね。じゃ、改めて。私はティファニー。あなたは?」

「トゥルー」

真実トゥルー! 素敵な名前ね。よろしく。ねえ、トゥルー。このお人形たちといっしょに出かけましょ? もっとお話をきかせてほしいわ」

「うん、わかった」


 意外にも、こっくりと素直にうなずいたトゥルー。説得の仕方を考えていただけに、嬉しい誤算だった。

 そうしてトゥルーは、二体の人形を腕に抱えると、ティファニーのほうを大きな瞳で見上げて尋ねた。


「おねえちゃん」

「ん。なあに」

「えくすと、れぃたちもつれてっていい? たくさんいるんだ」

「……見せてもらえるかな、トゥルー。そのお人形たち」

「うん、いいよ」


 とてとてと、トゥルーが引き返し、その身長よりも遙かに大きい棚の戸に触れる。

 自動的に開いた戸棚の中身が何であるか理解できた途端、ティファニーは口元を両手で押さえていた。


「……うそでしょ」


 ずらりと並べられた、黒い人形の数々。その数は、優に10を超えている。

 トゥルーの手元ではよく見えなかったが、こうして整列した状態で見ると、その異様さがはっきり見て取れる。

 


「すごいでしょ? ぜーんぶ、パパがくれたんだ。おねえちゃんたちみたいに、パパもてーらーたちをたすけてるんだよ!」

「……助けて、る?」

「うんっ! パパのユニーカ、すっごいんだよ。てーらーたちをお人形にできちゃうんだ」


 無垢な笑顔が、誇らしげに父親の自慢をしてくる。

 言葉が出てこないティファニーに構わず、トゥルーは手に持った人形を突き上げて言った。


「パパはね、ワックス・ワーカー蝋人形師なんだよ!」

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