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隠されたユニーカ


「――蝋人形師ワックス・ワーカー……」


 初耳にもかかわらず、ティファニーが舌の上で転がしたその単語は、まるで氷のような冷たさを伴って喉を通っていった。トゥルーの無邪気な笑顔から告げられた言葉は、あまりに禍々しく感じられた。

 一つとして、同じものは存在しないと言われる、個有能力ユニーカ

 どういった力であれ、それは持ち主の一部パートに変わりなく、個性の一つだ。

 だから、個性的な名前を付けるのは、珍しくない。


(だけど、もし、そのままの意味だったら……)


 チームに入った頃、クルーたちと西海岸ウッドハリの蝋人形館に行ったことがある。それは完全なるパイロットの個人的趣味によるセレクトだったわけだが、蝋人形の精緻さに目を見張った記憶は今も濃く残っている。同時に、それがティファニーには、ゾッとするほど気色悪く感じた。

 もし、トゥルーがその意味で言ったのだとしたら、自分は今、とんでもない状況に出くわしているということになる。真偽を確かめる必要があった。


「……この人形、私がさわってもいいかな?」

「うん、はい、ぐりぃ46だよ。ひんやりしてて、きもちいいんだ」


 手渡された人形を、ティファニーは危うく落としそうになった。冷たいどころではない。自分の両手より少し長い、その人形の表面は完全に。氷に包まれた黒い獣毛が、触れた衝撃で数本、砕けてティファニーの〈グローブ〉に散らばる。


(お願い。違うと言って!)


 人形を眺めるフリをしつつ、ティファニーは〈ギア〉を装着し、砕けた獣毛の欠片をスキャンするハンドサインを切り結ぶ。

 すかさず、【反転感情を検知。種別:〈悲嘆グリィファ〉】の結果が、HMDに返った。

 もはや、疑いようがなかった。

 この人形たちは、涙幽者スペクターだ。


「……ねえ、トゥルー? お人形たちはこれがぜんぶ?」

「ううん。パパのおへやにもたーくさん、あるんだ」


 短い腕をぐるりと回して、トゥルーがその規模を教えてくれる。少なくとも、この部屋にある以上の数があるらしい。


(リーダーに伝えないと。それから、全部もっていくとして……)


 自分は威療士だ。だから、トゥルーの言ったことが事実だったとして、彼の父親がどのような罪に問われるかは、わからない。ただ、涙幽者を人形にする行為は、間違いなく人としてしてはならない行為だ。

 が、威療士である以上、涙幽者を放置するわけにはいかなかった。この家にいるすべての涙幽者を回収し、〈ドレスコード〉しなければならない。住宅街の中で、これだけの数の涙幽者が目覚めてしまえば、大惨事を招いてしまう。

 ふいに、これからの作戦を考えていたティファニーの足元が、揺れた。


「わわっ。なんのおと?」


 地響きに似た振動だった。棚に収められた人形が小刻みに揺れ、ティファニーは息を詰めたが、かろうじて落下はしなかった。

  オープンになっている通信回線に飛び交う言葉から察するなら、チームメイトたちが涙幽者と接触したのだろう。〈ギア〉のマッピングには、裏手のほうで激しく動く輪郭がいくつも重なっていた。


「大丈夫。私から離れないでね」


〈ユニフォーム〉の裾を引っ張るトゥルーの頭を撫でながら、ティファニーは懸命に思考を働かせていた。

 リーダーたちの〈ドレスコード〉が本格的に始まれば、離れているとはいえ、ここも安全とは言い切れない。計画通り、トゥルーを救助艇へ避難させるのが先決だ。


(でも、そのあいだにユニーカが家に届いたら……)


 人形からバイタルが検出できない以上、その生死を確かめる術はない。が、少なくとも個有能力ユニーカが発現しているということは、生きている証しになる。他の部屋にいるという涙幽者も、探し出さなければならなかった。

 トゥルーを救助艇へ連れていく間に、〈ドレスコード〉の余波で大きな揺れが伝われば、今度こそ棚の涙幽者たちが落下しかねない。そしてもし、衝撃で個有能力ユニーカが解けるようなことがあれば、狭い空間に十数の涙幽者が解き放たれることになる。救助艇の〈ドレスコード〉キットの予備どころか、最終手段である自分たちの〈ユニフォーム〉を足しても到底、足りない。


(そうだ!)

「ねぇ、トゥルー。手伝ってくれる? お人形たちを、私の〈ユニフォーム〉に運びたいの」

「おねえちゃんの、ピカピカする服のこと?」

「そ。このピカピカする服はね、とっても丈夫なの。こうやって包んでいれば、傷がつかないから」


 コンソールから〈対衝撃〉モードを選択し、素早く袖を解く。

【警告。救命活動中の〈ユニフォーム〉脱着を検知】という警告を無視し、トゥルーと一緒に人形を包んでいく。〈ユニフォーム〉なら外からの衝撃に強いだけでなく、にも、ある程度は耐えてくれるはずだ。


「よしっと。その人形も渡して」

「やだ。おねえちゃん、つれてっていいっていったもん」

「トゥルー。確かに私、そう言ったわ。ごめんなさい。でも、いまはあなたの命を守るのがいちばんなの」

「やだぁ! かえしてー!」


 奪い取るようにしてトゥルーの手から人形をもぎ取り、〈ユニフォーム〉の中に放り投げる。密閉を確認し、泣き叫ぶトゥルーを抱え上げて、玄関を目指す。胸がズキズキ痛んだが、時間がなかった。


「おろして! ぐりぃをかえして!!」

「ごめん。ぜんぶ終わったら返すから――」


 玄関ドアを視界に捉え、ホッと安堵する。

 その安堵が、油断を生んだのかもしれない。

 普段なら気付くはずの巨大な気配を見落とし、それをカバーする装備も、今は外していた。


「――っ?!」


 唐突に襲った、息が詰まるほどの強い衝撃。

 腹部をおそるおそる見下ろすと、半透明の氷の棘が、突き出していた。周囲から血が滲み出していき、体から力が抜けていく。


(トゥルーだけでも……逃がさな、きゃ……)


 が、暴れるトゥルーを抱き留めておけず、ティファニーの腕からするりと小さな体が離れていった。

 そうして、トゥルーは玄関――ではなく、ティファニーの視界の端に映った黒い巨躯の元へ、駆け寄っていた。


「ぐりぃ!」

「――――」


 聞き慣れた咆哮に続いて、刺し貫かれた氷柱が引き抜かれる。

 途端に襲ってきた激痛のせいで、トゥルーの喜ぶ声が聞こえた。それはまるで、幼子が母親を呼ぶような、信頼の声だった。


(え……)


 膝から崩れ落ちていく体を、かろうじてティファニーは方向転換させ、トゥルーの様子を確かめる。

 暗転していく視界の中、黒い巨躯――涙幽者に抱きつくトゥルーの笑顔が、見えていた。

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