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プロシッター、アラン

「……ちょっと待って。トゥルーのお母さん……ミス・タイラがスペクター? さっき会ったとき、そんな気配はなかったわよ」


 質問を差し込んだティファニーに対し、グリィ89がわずかに眉を吊り上げる。その表情が『わからんやつだ』と言っているように見えて、ティファニーは少しだけ苛立った。


(なによ。こんな表情豊かな涙幽者、はじめて見たし。……リーダーたち、気づいてくれないし)


 トゥルーによって“人形”にされていた涙幽者――グリィ89。

 その回顧は実に理路整然としていて、内容と相まってティファニーは、涙幽者と話していることを忘れるところだった。

 そうして、傷を押さえた指で、〈ユニフォーム〉のセンサ部を叩き続けていた。

 言葉で救援を呼べない以上、チームと連絡を取る手段は限られている。そういう状況のためにハンドサインがあるわけだが、あいにく、傷と疲労と寒さで指がまともに動く気配がない。となれば、〈ユニフォーム〉のセンサ部を突いて波形を乱れさせ、チームメイトが気付いてくれることを祈るくらしか、ティファニーにできることは残されていなかった。

 が、返答はおろか、部屋の外からくぐもった物音が聞こえるだけで、一向にチームメイトがやってくる気配は感じない。


〈ユニフォーム〉の所有者がティファニーに登録してある以上、負傷の通知はチームに行き届いているはずだ。それでも誰も――真っ先に思い浮かんだ、彼もすらやってこない事実に、ついティファニーは思考がネガティブになってしまう。


(グリィ89の話を聞くかぎり、検知したスペクターはトゥルーの父親にちがいない。まさかリーダーたち、彼に……。ううん、だめ。そう簡単にやられたりしないわよ。……エドったら、何してるのよ)


 フレッシュグリーンのヘアカラーをした、気弱な相棒バディ

 チームの誰より臆病なくせに、救命活動となると別人のように頼りがいのある相棒。

 ティファニーが初めて、勇気を振り絞って打ち明けた過去を、笑いも同情もせずに聞いてくれた相棒。

 ずっと傍にいるからと、はにかみながらもしっかり言ってくれた相棒。

 そんな相棒に、一秒でも早く会いたかった。


「レンジャー。熱ガアルノカ? 頬ガ赤イガ」

「ち、ちがうわよっ! 出血が止まって、血の気がもどっただけ。……それより答えて。トゥルーのお母さんはどうなったの? どうして平気だったの?」

「レンジャーニモ、気ガ利カナイ者ガイルンダナ」

「ちょっとどういう意味よ! さっきからさんざん、私のこと扱き下ろしてるし、レンジャーレンジャーって、知ったふうな口で!」

「知ッテイル。ワタシノ夫ハ、レンジャーニ、ドレスコードサレタカラナ」

「……っ。ごめん。私、知らなくて」

「モウ7年経ツ。一日タリトモ、忘レタコトハナイ。……ダガ、レンジャーニハ、感謝シテイル」

「……えっ」

「最初ハ、憎ンダ。ワタシノ愛スル相手ヲ奪ッタンダカラナ。ダガ、夫ガ安定シテ面会ヲ許可サレタトキ、思ッタ。生キテイレバ会エル。タトエ、二度ト言葉ヲ交ワスコトハ、デキナクトモナ」


 そう静々と、グリィ89の白濁した双眸が、ティファニーの目を見つめて告げてくる。その眼は紛れもなく、これまでも見てきた理性を失った涙幽者の眼だ。

 が、その奥にヒトらしい温かな光が見えた気がして、ティファニーはギリッと奥歯を嚙んだ。


(……これじゃあ、〈ドレスコード〉なんてできないじゃない)


 押し黙ったティファニーをしばし見つめ、ふいに、グリィ89の巨躯が立ち上がった。

 反射的にギクッと身を硬くさせるが、グリィ89はティファニーではなく、周囲を見回すような仕草をした後、硬い声で続けた。


「タイラ氏ノ哀シミヲ感ジル。オマエノレンジャー仲間ト、オ会イニナッタナヨウダ」


 グリィ89の言葉を裏付けるように、くぐもって聞こえていた物音が大きくなり、時折、地響きのような揺れが続いた。


「ぐりぃ……?」

「ダイジョウブ、トゥルー。……レンジャー。頼ミガアル」

「ティファニー。私、ティファニー・ロスよ」

「ソウカ。ワタシハ、アラント呼バレテイタ。レンジャー・ロス。夫人ト、フォリナーハ、ゴ無事ナンダナ?」

「そうよ。私らで船に乗せたから」

「モシ、夫人ガ、ドウナル?」


 骨張った足元に縋りついているトゥルーの頭をそっと撫でつつ、グリィ89が尋ねてくる。トゥルーに気を遣っているのは確かで、要するに『トゥルーの母が次に涙幽者化した場合』のことを尋ねているのだろう。


「わからない。正直に言うとね。市民の安全に関わるなら、そのときは。……だけど、約束する。トゥルーとフォリナーを悲しませたりしない。どうしたらいいかは、いまはわからない。でも私、考える。考えて、ぜったい悲しませない方法を見つける」

「ダガ、レンジャーノ仕事デハナイダロ?」

「私らレンジャーは、どんな過酷な状況だって命を救ってきたのよ? ついでに笑顔にするくらい、造作もないわ」

「フン。頼モシイナ」


 笑うように牙を覗かせたグリィ89が、膝立ちになってトゥルーと目線の高さを合わせる。それでも上背があるぶん、自然とトゥルーはグリィ89の眼を見上げる恰好になった。


「トゥルー。モウ、誰モ人形ニ変エテハイケナイ。イイネ?」

「でも、パパが、ぐりぃやママが怒ったときは、やってっていったよ?」

「イイカイ、トゥルー。ソレハモウ、ダイジョウブ。ワタシハ、モウ怒ラナイシ、他ノミンナモダ。ママト、パパモダ」

「ほんとう?」

「ワタシガ、噓ヲ言ッタコトガアルカイ? サ、レンジャー・ロスト行クンダ。ママト、フォリナーニ、会ッテキナサイ」

「うん、わかった。ぐりぃはいつくるの?」

「ワタシハ、イツデモトゥルーノ傍ニイル。ココニナ」


 鋼鉄をも切り裂くカギ爪が、衣服に傷ひとつ作らず、優しくトゥルーの胸の中央を指し示す。

 当然、トゥルーが意味を理解できるはずはなく、あどけない首をかしげるだけだ。


「……アラン。トゥルーを送り届けたら、すぐもどってくるから――」

「――イイヤ、レンジャー・ロス。オマエハ、子ドモタチニ付イテイテクレ。約束デキルナ?」

「……〈バッズ〉に誓って」

「ソレデイイ。サ、〈ユニフォーム〉ヲ着ロ。病ミ上ガリデスマナイガ、走ッテモラウコトニナルカラナ。ソレト、オマエノレンジャー仲間ハ、腕ガ立ツカ?」


 指示されずとも、ティファニーは〈ユニフォーム〉を羽織るつもりでいた。白濁したグリィ89の眼から徐々に泪が滴りはじめ、黄金色の輝きを帯びはじめていたからだ。

 回復したとは言いがたい体に鞭を打って、よろめきながら立ち上がる。軽い目眩がし、力を入れた拍子に腹部の傷がキリッと痛んだが、鎮痛剤がよく効いているようで、動くぶんには問題なさそうだった。


「うちは、〈ドレスコード〉数じゃ、カシーゴでも上位に入るチームよ」

「ナラ安心ダナ。アア、心配スルナ。オマエノレンジャー仲間ヲ襲ウヤツハ、ワタシガ止メル。少シハ手伝ッテモラウコトニナルダロウガ、手練レナラ、問題ナイダロウ? 躊躇ワズ、針ヲ突キ刺シテクレレバイイ。……サ、トゥルー。カノジョノ手ヲ握ッテ」

「ぐりぃ89は、どこにいくの?」

「ドコニモ行カナイサ。チョット、オ父上ト話ヲシテクルダケダ」

「聞いて! チームに連絡させて。もっといい案がきっとあるわ!」

「アレヲ、見テモソウ言エルカ?」

 顎で示されたほうを見やったティファニーは、息を吞んだ。

 フィギュアケースに鎮座していた“人形”たちが、いつの間にか独りでに動き、ガラスを叩いている。まだミニチュアサイズだが、個有能力ユニーカが解けかけているのは一目瞭然だった。


「そんなっ?! どうして!? まさか、反転共鳴!?」

「ワタシニワカルノハ、今スグココヲ離レタホウガイイトイウコトダ。――レンジャー・ロス」

「あなたは、私が〈ドレスコード〉する。だから、無茶しないで――」


 馴染んだコンソールの装着感がすると同時に、腕を強く引かれた。それがアランであると理解した時には、体が勢いよく部屋の入り口へ投げ飛ばされていた。

 そうしてティファニーと逆に、一斉にガラスの割れる音が続いた背後へ駆け出したグリィ89――アランと擦れ違い様、こんな声を聞いた気がした。


 ――レンジャーハ、嫌イナンダ。



†   †   †



 確かにレンジャーは嫌いだ。

 大義名分がどうあれ、彼らは自分から愛する人を奪った。その事実は変わらない。

 ただ、自分でもよくわからないが、この若いレンジャーなら、信じられると思った。


「――――」


 トゥルーのユニーカから解き放たれ、正面から殺到してくる同類たち。

 そのいずれも、理性を残しているとは言いがたい、おぞましい咆哮をあげていた。

 なぜ、自分だけが“染まって”なお、こうして思考を保てているのか、ついぞ理由はわからなかった。

 タイラ氏と対立し、涙幽者化してしまった夫人が、トゥルーのユニーカによって“固定”された後に記憶を無くして回復したのは、夫人がトゥルーの母親だからだったからなのだろうと推測がつく。

 だが、一介のシッターに過ぎない自分が、姿形は“染まった”ままであるとは言え、思考を保っている理由がわからない。――否、知ってしまいたくなかった。

 トゥルーもフォリナーも、自分にとっては実の子に等しい。プロとして一線を越えたことはなくても、生まれてきたときから世話をしている自分は、心からあの子たちを愛している。

 亡き夫も、子どもが好きな人だった。いつかは養子を迎えようと、本気で話し合っていた頃が懐かしい。


「アラン! アラン!!」


 ――ああ。覚えていてくれたのか。


 背後から呼ばれた本名に、今すぐ追いかけていって応えてあげたかった。

 だが、それはできない。

 今、頬を伝っている熱い泪は、かつてアランという名前で呼ばれていたシッターのものではない。


「――――」


 レンジャーとトゥルーが部屋を出た気配を確かめ、カギ爪を振り下ろしてきた同類へ、逆に己の牙を突き立てる。

 涙幽者の集団は、まるで気に介さずに部屋の入り口へ向かおうとしていた。


 ――行かせてなるものか。


 トゥルーのユニーカはおおよそあらゆる相手を固定できた。

 だが、全員を“染まって”しまう前の状態にまで戻せるわけではないらしかった。

 成功したのは、自分と夫人の二人のみ。

 願わくば、タイラ氏が3人目となってくれることだ。

 あの家族には、これからも幸せであり続けてほしい。


 ――お仕えできて、光栄でした。


 わずかに残された思考を温かな想いで満たすと、まるで潮が引いていくように、記憶も慈しみも乾いていく。


「――――」

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