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“疑似食”作戦

 涙幽者は、常に飢えている。

 なぜなら、人智を超えた肉体の変化に、膨大なエネルギーを使うからだ。

 そのうえ、生物としての制限が機能しなくなった体躯は、凄まじく燃費が悪い。ただ鼓動を打つだけで、まるで何日も走り続けたようなエネルギーを消耗する。

 だから彼らは、ひたすらに血肉を求め、彷徨う。


「――――」


 今、タイラ邸の地下室から解き放たれ、広大な邸宅の中をさすらう4つの黒い巨躯も同じだ。

 彼らは、それぞれの激情に駆られ、感情が反転してしまった者たちだった。

 ある者は、燃える怒りに溺れ。

 ある者は、溢れる哀しみから。

 ある者は、喜びでタカが外れ。

 ある者は、幸福が不幸に転じ。

 結果、己を制御できない落泪の涙幽者と化した。

 彼らが求めてやまない、馳走は、ここにない。それは、彼らが不運にも蝋人形へとカタチを変えられたときに、手が届かなくなった。

 が、それでも、飢えは止まらない。

 だから彼らは、本能的にただ血肉を求め、彷徨う。


「――――」


 そうして今、五感の大部分を失った涙幽者たちの、唯一残された鋭い嗅覚が、手近に“それ”を感じ取った。“それ”は血肉に程遠い代物だったが、栄養があるモノだと、わずかに残る生物としての知覚が伝えている。ならば、飢えの渇きに喘ぐ彼らには、馳走と変わらなかった。

 だから彼らは、躊躇わずに“それ”へと飛びつく。

 固く、灰色のゴツゴツしたを、まるで肉汁が滴る肉塊さながら噛み砕き、咀嚼する。

 当然、一個程度では飢えなど満たされない。

 数秒足らずで“疑似食”を平らげた涙幽者の、その望みに応えるように、今度は少し離れた地点からまた、食べ物の香りがした。

 そうして、涙幽者たちは、まるで誘き寄せられるように、邸宅の一箇所へと集結する。

 涙幽者は、涙幽者を認識できない。

 だから彼らは、例え、肩が触れるほど近くに同胞の体躯があっても、一介の障害物程度にしか知覚できない。

 当然、集結地点――開け放たれたガレージで待ち受けている〈敬愛アドレイショナ〉の同胞の姿も、その傍らで、せっせと拾い上げた瓦礫に個有能力ユニーカで栄養を付加し、四方へ伸ばされた枝に突き刺している威療士の姿も、誘き寄せられた涙幽者たちには見えない。威療士の脚には、未だ枝が貫通しているからだ。

 当然、〈敬愛アドレイショナ〉――タイラと、威療士アシュリーの会話も、彼らの耳には単なる音でしか捉えられない。


「少し自信がありませんでしたが、こんなに上手くいくとは」

「オマエ――」

「冗談です、トーマス。そうでも言わないと、痛みで意識が飛びますから」

「ソウカ――ナラバ――ココカラハ――ワタシノバンダ――」

「トーマス?! 作戦と違いますっ! 僕が彼らを〈ドレスコード〉すると言ったはずです!」

「アレラハ――ムスコヲシッテイル――イカシテオケバ――トゥルーガアブナイ――」

「トーマス!?」


 そうして、アシュリーをガレージの隅へ放ったタイラが、咆哮する。


「――――」

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