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監査官と事務官

「――カシーゴ・レンジャーネクサス監査部のグライドだ。身柄の確保と現場検証をおこなう。ご苦労だった」


 明らかに救助艇とは趣の異なる、鏃の形状を模した護衛機から降りてきたスーツ姿が、そう淡々と告げる。〈ギア〉の一種なのだろうが、完全に目元を覆ったサングラスのせいでその目は窺いしれない。

 残る二機からは、10名ほどの同じスーツ姿が大小のスーツケースを携えて、タイラ邸へと次々に踏み込んでいた。


「ずいぶん早いご到着ですね、監査官。こういうのは、救命活動の完了が報告されたあとに実施されると聞いていますが」

「事情が事情なのでな。君たちも知っての通り、本件ではネクサス職員がスペクター化している。は、機密アクセスレベルを持った上級職員だ。市民の安全のためにも、徹底的な調査が不可欠となる」

「ええ、そうでしょうとも。とはいえ、などという人物は、いませんが」

「……何が言いたい、レンジャー・アシュリー・キム」

「レンジャーコード第8項に則り、救命活動の現場においてその活動が完了するまで、レンジャーが全権を持ちます。それに、僕たちの現場には、負傷者か要救助者でもあるレンジャー、あとはせいぜい、野次馬くらいしかいません」

「御託を並べるのは結構だが、レンジャー・キム。我々は、ネクサスマスターの指示を受けている。大人しく従ったほうが身のためだと考えるが?」

「貴方方の職務を邪魔するつもりはさらさらありませんよ。ただ、僕たちにも仕事がある。割りこまれるのは、良い気がしない。それは監査官も、同じでしょう?」

「見た所、君の言う仕事は終わってるように見えるが」

「――お待たせー、ボス。あ、なんか怖そうな人たちがいるー!」

「サマンサ。彼らは本部の監査官です。さ、仕事の邪魔をしないよう、僕たちはとっとと引き揚げることにしましょう」

「待て」

「何か?」


 3基の浮遊式担架ポッドを救助艇へ乗せようとしていたサマンサの元へ、グライドと名乗った監査官が駆け寄る。アシュリーはその背中を追いかけながら、背後に回した手でハンドサインを切った。


『要求通りに、サマンサ』

「レンジャー。その〈ポッド〉は? 報告では、1体のはずだが」

「数を見てわかんない? ここの家、何人が住んでるのか、監査官サマたちの方が詳しいんじゃないの?」

「サマンサ」


 監査官へ露骨な皮肉を投げかけたチームメイトへ諫める目を向けるが、当の本人はそちらに見えない角度でウインクを返してきていた。


(やれやれ……)


 誇らしさと呆れが綯い交ぜになった心中を脇へ押しやっていると、「確かに被疑者の家族構成と一致する」と、監査官の声が返った。


「ふ、ふーん。意外と素直じゃない。監査官って、もっとこうネチっこい――」

「――ほら、サマンサ、搬送中ですよ。ブランドン、後部ハッチを」


 この〈ポッド〉を積み終われば、離陸ができる。機内には“課題”がまだ残っているが、それは移動中にでも考えればいい。


「では監査官。僕たちはこれで」

「ああ」

「……グライド監査官? なぜ、ついてくるのです」

「安全確保のため、メディカルセンターまで私も同乗する」

「……お待ちを。救助艇に部外者を搭乗させるわけにはいきません。それは――」

「――令状だ。ネクサスマスターと判事の署名もある。これでも私を乗せられないというのか?」

「っ……。わかりました」


 スーツの内ポケットに手を差し入れたグライドが、正式な書類であることを示す一枚紙を掲げた。印字されたナノチップを〈ギア〉が自動的に読み取り、【認証完了】の文字を浮かび上がらせる。

 想定外だった。

 判事への令状請求には、枝部長ネクサスマスターの許可が要る。

 真意が読めない人、という威療士たち共通の印象同様、アシュリーもまた、彼には一種の苦手意識を持っていた。が、彼が自分たち威療士や、要救助者を第一に考えているということだけは、少ないやり取りの中でも確信できていたのだが。


(これではトーマスが……)


 トーマス・タイラの隔離は、避けられないだろう。

 事情がどうあれ、タイラは完全な涙幽者化を遂げている。そうである以上、他の涙幽者と同じように対応しなければならない。

 こうなってしまった以上、強引にでも時間を作るしかなかった。


「機内が散らかってるのよ。だからちょっとだけ待って。すぐ片づけるから」

「気遣い不要だ。立ち乗りできればそれで結構。それとも何か、私が乗ると不都合なことでもあると?」

「……監査官。少しだけ、ほんの数分だけ時間をいただきたい。そうしたらすぐに離陸しますので――」


 多少のいざこざを覚悟のうえで、グライドを引き留めに掛かる。

 が、ふいに背後から嗄れ声が届いた。


「――離陸シテクレ、レンジャー。用ハ、済ンダ」

「トーマス!」


 そこには、エドゥアルドに肩を貸されて立つ、タイラの姿があった。アシュリーがエドゥアルドにアイコンタクトで尋ねると、エドゥアルドはしっかりと頷き返した。


「グライド、カ。奇縁ナモノダナ」

「タイラ先生……。いや、トーマス・タイラ元ネクサス事務官だな?」

「ソウダ」

「貴様には、ネクサス・アーカイブへの不正アクセス、および機密情報を故意に外部へ持ち出した嫌疑が掛かっている。メディカルセンターまでの道中、聴取をさせてもらう」

「私ガ眠ッタラ、イクラデモ記憶ニアクセスデキルダロウ?」

「強制記憶開示は、最高機密レベルの窃盗犯のみしか使うことが許されていない。貴様は、該当しない。それに……いや、これは蛇足だな。レンジャー・キム、いつ発てる?」

「……ブランドン。搭乗完了。離陸して」

『ラジャー』


 後部ハッチが閉じていき、機体が緩やかに揺れ始める。

 互いに向き合ったまま、微動だにしない事務官と監査官のうち、先に口を開いたのは、前者のほうだった。


「レンジャー・エドゥアルド、キム。スマンガ、監査官ト二人ニシテホシイ」

「ですがトーマス……」

「ソチラノ監査官ドノナラ、私グライ、一人デ倒セル」

「……わかりました。医務室にいますので、何かあれば“咆えて”ください」

「ソウシヨウ」


 エドゥアルドと二人でタイラを座席に収め、機体前方へ足を向けようとする。が、どうしても枯れ色の背から目が離せなかった。

 そんなアシュリーの肩をエドゥアルドがそっと叩いた。


「行きましょう、リーダー」

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