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リカンサイルド

「……リカン、サイルド……って、なんすか?」

「自分の目で見たほうが早いぞ」


 聞きなじみのない単語を繰り返したデレクに対して、ファレルの白衣がもったいぶる。

 苛立ちを覚えないでもなかったが、リーダーに背を押されてエレベーターを降りた途端、そんなものは頭から吹っ飛んでいた。


「うそだろ……。こんなに、回復者レヴェナントが……?」


 知らず、足が前に出ていた。

 眼前、枝部ネクサスのメインホールに匹敵する、広々としたフロアが出迎えていた。

 フロア全体が、柔らかな暖色の照明に色付き、深呼吸したくなる安心感を与えてくれている。実際、吸い込んだ空気には、爽やかな甘みを持った柑橘に似た香りが付けられていた。

 そんなフロアのそこここに、黒い巨躯の姿があった。

 本能的な忌諱を覚える、痩けて長い手足を持った、狼貌ウルフフェイス。つい、生唾を飲み込んだその姿は、だが、破壊を振り撒く気配は微塵も見られない。涙幽者の特徴である白泪も流していなかった。

 そうして、デレクは最も近い距離にいた黒い巨躯と、それに付き添う紫のスクラブの職員へ、声を掛けていた。


「あの、もしかして回復者レヴェナント、っすか?」

「……失礼ですが、あなたは? 部外者には、お答えできかねます」

「セロン。彼は、の研修生だ。構わん。答えてやってくれ」

「センター長。ユニフォーム組は刺激になりかねないと、ご存じでしょう? それをわざわざ、二人も」

「悪いな。この研修生は、ちょいとワケありだ。俺が見てるから、頼む」

「……わかりました、センター長。スペクター学の観点から正確に捉えるなら、回復者とはすこし異なります。私たちのセンターでは、彼らを調和を得た者リカンサイルドと定義しています」

「調和を得た、者……?」

「良いネーミングだろう? 最高機密でなければ、メディアの連中に使わせたいぐらいだ」

「ちなみにですが、デレク。ネクサスの最高機密を漏洩した者には、一生、ネクサスから出られないという特典がありますので注意してください」


 釘を刺したリーダーの言葉が耳を素通りし、デレクはその巨躯――リカンサイルドをただ見上げていた。

 白濁した眼は焦点を結ばず、やや遅い呼吸を繰り返す口元からは、鋭い牙が覗く。

 どこをどう見ても涙幽者に違いないはずだが、目と鼻の先に立つこの黒い巨躯からは、激情の片鱗も感じ取れなかった。


「感情の大波が、ない……」

「わかるか。もっとも、一時的ではあるがな。俺たちも、目指すところは完全回復にある。だが、そこまで到達できる者は、ごく一部しかおらん。だからここでは彼らを、そう呼んでいる」

「どんな手を使ってるんすか? もしかして、強制覚醒で起こして、何かの薬かなんかで維持してるんすか」


 知らず、デレクは拳を握り締めていた。もし、デレクの推測の通りなら、ここでやっていることは到底許されないことだった。


「強制覚醒だと? フン。あんなもん、俺に言わせりゃ、覚醒剤入りの自白剤だ。あれで叩き起こされて正気を保てるわけがないだろう。どうだ、専門家?」


 腕を組んだ白衣が、剛毛の眉を吊り上げてリーダーに目を向ける。

 そうしてわざとらしく咳払いを挟むと、痩身のチームリーダーは「デレク、今の発言は、聞かなかったことにしてください。立場上、ややこしくなるので」と、言葉を向けてきた。


「……じゃあ、どうやって意識を保ってるんです?」

「どうもこうも、自力で目覚めただけだぞ。こればっかりは、俺たちの手が届かん領域だ。悔しいがな。そも、〈ドレスコード〉されたスペクターだからって、常に深い昏睡状態にあるわけじゃない。でなけりゃ、回復者なんぞ一人も出んぞ。人によっちゃ、脳波が顕著に動く場合もある。数は、少ないがな」

「けど、ここにはたくさんいるじゃないっすか!」


 目の前の涙幽者だけではない。

 奥行きの広い廊下には、デレクが数えただけでも十数人近い黒い巨躯が闊歩していた。


(こんなところがあるって知ってたら、フェイは……っ!)


 一度たりとも、頭を離れたことのない彼女の姿が思い浮かび、デレクの言葉に力が入った。


「スペクターが自分で覚醒する確率は低いんじゃなかったんすか! だから、“奇跡の回復者”なんて呼ばれるんでしょう! それに、どうして隠してるんすか! こんな場所があるって知ったら、みんな、〈ポッド〉の中でただ覚醒を待ったりしない!」

「落ちついてください、デレク。ここでは感情を抑えて」

「アンタも、なんでオレをつれてきたんだ! こんなの見せて、オレに希望でも持てってか!」


 相も変わらず、宥めてくるリーダーの襟首をつかみ、デレクは湧き上がった感情をただぶつける。

 このチームリーダーは、自分の過去を知っている。

 にもかかわらず、まるでそれを利用するように逆撫でばかりしてくる。

 今だってそうだ。外見は変わらないが、明らかに意識を取り戻しているように見える涙幽者の姿を見せつけてきた。


(フェイは、ツキがなかったって言いたいのかよっ!)


 例によって感情が読み取れない黒瞳がデレクを見つめ返し、それがさらにデレクの苛立ちを煽った。――と。


「――――」


 ふいに、聞き慣れた咆哮が木霊し、デレクはハッとそちらを振り仰いだ。

 廊下の奥にいた1体の涙幽者が、長く伸びた腕を振り回し、付き添っていたらしい職員を突き飛ばしたところだった。


「っ――」


 駆けて行こうとし、だが次の瞬間には、至近距離からが耳に届いていた。


「――コード・インディゴ。全職員は、担当リカンサイルドと部屋へ退避しろ。対象は無力化した」

「……ドク、ター?」


 どこから取り出したのか、長身の銃口を白衣のポケットに仕舞ったファレルが、こちらへ目を向ける。


「デイルームで水でも浴びて待ってろ。済んだら、向かう」

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