「……さっきのが、
デイルームのドアが独りでに開き、もはや見慣れた古びた白衣姿が入ってくる。
先刻より疲れが目立つ顔に、だが、デレクは単刀直入に尋ねていた。
白衣姿――ファレルのほうは、相変わらず鼻を鳴らすだけで、質問には答えず、カウンターのコーヒーポットを取り上げた。
「威勢があるのは若い証だが、まずは自分の足元を見たらどうだ、研修生」
「ドクター、デレクを連れ込んだのは僕です。説明をしなかったばかりに、先ほどのようなことが起きてしまいました」
「そうだ、ピザ屋。しっかり反省しろ。説明不足もいいところだ。……だが、あのリカンサイルドはおまえらのせいじゃない。ここ数日、不安定だった。あり得るとは思っていたが……残念だよ」
「アンタが〈ドレスコード〉したんすか。それとも殺して――」
「――いいかげんにしろ!!」
ポットをカウンターへ叩き付け、背中越しに白衣が咆える。
そうして短く息を吐くと、ペーパーカップを一気に呷った。
「これだけはハッキリ言っておくぞ、研修生。今ここで、おまえの家族がスペクター化したとして、リカンサイルドの状態にできるとは限らん。俺がいてもだ」
「けど……っ!」
「そしておまえがユニーカを……どんなもんか知らんが、確実に構造変化を引き起こせるとしても、同じだ。スペクターには、何より鎮静が欠かせん。でなけりゃ確実に飢えて死ぬ。人類にできる最良の手が〈ドレスコード〉なのは、どんなヤブにだってわかることだ」
「……だったら〈ドレスコード〉してここに搬送したらいい。けどオレは、こんな場所、聞いたことがない」
「そりゃあそうだ。リカンサイルド専門のセンターなんぞ、
「何で、ここだけなんすか。ネクサスは、あんだけあるってのに、何で、リハビリセンターはここしか――」
「――
ふいに横から掛けられた、リーダーの声。その言葉が、わずかに冷えた頭を再び熱してくる。
「……どういう、意味っすか」
「ここはカシーゴ・レンジャーネクサス、合州国イチ――いいえ、おそらくは
「結局、カネってことっすか……!」
「そいつが現実ってもんだ。ここの維持費だけで、ネクサスが二桁は建つだろうな。ま、おまえたちレンジャーほどじゃないがな。おまえの〈ユニフォーム〉がいくらすると思う? 売れば立派な船が買えるぞ」
「違法売買の罪でその船ごと接収されますが。デレク、貴方の言ったとおりです。僕は、貴方に希望を持ってほしいんです」
「なにが希望っすか。リーダーも聞いただろ。フェイが……あいつが目覚める可能性なんか、奇跡より低いんだ」
「ですから、ドクターに引き合わせました。貴方のユニーカは、危険であると同時にとてつもない潜在能力を持つと僕は思っています」
「アンタになにがわかる……。レンジャーチームのリーダーで、どうせスペクター化した家族もいないんだろ」
「おい! その言い方はないだろ――!」
「――いいんです、ドクター。……ええ、デレク。僕は、貴方やドクターのような経験がない。ですが、僕のクルーは違う。クルーは僕にとって家族です」
「……」
「それに、自分のユニーカのことで散々言われる悔しさは、僕にも経験があります。僕のユニーカも、変わっているので。ですが、クルーやドクターと出会って、少し楽になりました。自分に対する見方が変わったんです。だから、貴方にもそれを知ってほしい」
「……オレはどうでもいいんす。オレは、フェイにもう一度会いたくてアカデミーに入った。レンジャーになるって決めたのだって、フェイのためだ。腕を磨いて、いつかあいつを救ってやれるかもって。ちっとも立派なもんじゃない。だからレンジャー失格っす」
「ふふ」
「可笑しいっすか?」
「ええ、可笑しいですよ。レンジャー皆が皆、崇高な動機を持っていると思っていたのですか。そういう人間は、1割もいないでしょうね。僕がレンジャーを目指した理由は、牧場で飼っていた牛をスペクターに殺されたからです。言ってみれば復讐です。これが立派だと思いますか」
横を振り向くと、ボーイッシュな黒髪が、真っ直ぐに自分の目を見据えてきていた。
「デレク。先ほど貴方は、スペクターに進んで歩み寄った。コード・インディゴのときも、貴方は自ら助けに行こうとした。それだけではありません。今日、貴方は実際にスペクターの命を救った。それは、
「……」
「そのうち慣れる。昔からこいつは、大真面目な顔でクサいことを言いやがるんだ。まったく、やってられん」
「オーラルケアには気をつけているつもりなんですが……」
「……リーダー」
「何です」
「オレはフェイのためにレンジャーをやる。それは譲れないっす。だから、リーダーやチームに尽くすのは無理だ。そんなオレでも、いいんすか?」
「当然です。貴方は、貴方の心に忠実でいてください。絶対に、自分の心を偽ってはいけない。それができるなら、〈SP〉は大歓迎です。ただし! 救命現場では指揮系統を遵守してくださいよ?」
「ありがとう、ございますっ!」
そうして、デレクは深く息を吸うと、ファレルへ向き直った。
「ドクター。オレのユニーカを調べてください。役に立つなら、オレを使ってください」
「よし、いいだろう。スタッフが一通り、検査するからな」
ファレルが旧式の通信端末をポケットから取り出し、二言三言、会話を交わす。
すぐに紫スクラブのスタッフがデイルームにやってくると、「スケリーです」と促した。
「デレク。今日は非番です。検査が終わったら、しっかり休んでください」
「ラジャーっす」
† † †
「……いいのか? おまえ、本当は〈ドレスコード〉のことを言うつもりだったんだろ?」
研修生を見送り、二人っきりになった部屋で、ファレルが確認の問いを投げかけてきていた。
「お見通しでしたか。確かに、レンジャーになろうとしているデレクには、
「おまえの言うその真実は、“猛毒”だがな。研修生が可愛くなったのか?」
「最初から可愛いですよ、デレクは。ただ……。そうですね。今は、毒より希望の果実のほうが効果的かと思いまして」
「その腹黒さにはゾッとするがな。だがあの研修生なら、自分で気付くぞ? そうなりゃあ、今度こそおまえは縁を切られるんじゃないのか」
「自ら導き出した結論がそうなら、仕方ありません。そも、この真実を受け入れられなければ、レンジャーは続けられない。――そのときは、
「ハァ……。よくやれるな、おまえ。
「隠すからいけないんです。重い真実だからこそ、すべてのレンジャーが知るべきです。僕は、諦めない」
「今さら言えたもんでもないが、これが明るみに出れば、
「それはドクター、貴方もでしょう? 望むところですよ。
それ以上、白衣は何も言ってこなかった。
それでいいと、アシュリーは思った。
ファレルも、自分も、命を救うために全力を注ぐという点で変わらない。
それは、他の威療士たちも同じだろう。
だからこそ、枝部が自分たち威療士に
ファレルに出会い、この目で見ていなければ、アシュリーも引退の日まで、疑いもしなかっただろう。
気が狂いそうな
それは、真実をひた隠している枝部への怒りであり。
それは、真実に気付かなかった自分への怒りであり。
それは、真実を人々に知らせなければならないという使命だった。
(真実を知った人々が、レンジャーを不要だと結論づけたとしても、僕はそれを受け入れます。これまでの罪に、少しでも贖えるなら)
だからといって、チームを巻き込むつもりはない。そのための準備はできている。
ファレルが言うように、もし、デレクが
そう決心を新たにし、アシュリーはファレルへ向き直る。
「そうそう。新しい名前を考えたんですよ。活動には、コードネームが付き物ですから」
「おいおい、本気で仲間を増やすつもりか? 俺たちだけで充分だろうが。加わった連中は、人生を棒に振るかもしれないんだぞ」
「だからこそ、その決意へ敬意を示すべきです。僕たちは破壊活動をするわけじゃない。これは、真実を人々に報せる啓蒙であり、人類はこれまでもそうやって進化してきたのです」
「たいていの啓蒙活動は悲惨に終わってるがな」
「人々の頬を引っ叩くのです。多少の犠牲は仕方ありません」
「俺は、とんでもないヤツを選んだ気がしてならんよ。……で、おまえの、その名前ってのは?」
「僕たちは真実を照らし出すのが使命です。ですから――〈