「――では失礼する。例の件、考えておいてくれ」
軽く片手を挙げると、返事も待たずに白制服姿の男――ジョン・ハリス枝部長は、そそくさと部屋を出ていった。
結局は乗せられた感が否めず、どっと疲れが襲ってくる。眉を寄せたまま、深く息を吐いて体の力を抜こうとしたが、あちこちが悲鳴の痛みを挙げてきて、ますます眉間の皺が深くなるのをアキラは感じていた。
「痛つつ……。んだよ。考えるたって、んなもん、アタイ一人で決められっかよ」
先刻、ハリスが提案してきた案の感想を投げやりに吐いて、今度こそアキラは無理やりベッドに倒れ込んだ。
枝部長の提案は、昨夜の襲撃、その捜査の指揮を執らないか、というものだった。
非常識も甚だしい話だ。
いくら、涙幽者が関連した事件の捜査を威療士が担うと言っても、自分は威療士であって、捜査の経験などない。そもそも、そういった類いのことは苦手だからこそ、威療士に道を選んだ。
仮に引き受けたとして、今度は、否が応でも昨夜のことを考えなければならなくなる。
――急いで、アキラ。カバーしきれないっ!
――すんません、リーダー……ボクのゲロ、が……
「――っ」
クルーたちの痛々しい姿が一瞬で思考を埋め尽くし、アキラは跳ね起きるように上半身を起していた。心臓が早鐘を打ち、適温に維持されている部屋で、流れる汗が目に染み込んでくる。
慌てて目を拭い、瞼を瞬かせる。――と。
――コロ、す……レン、ジャー……ヒト、ゴロシ……
「く、来るなっ!」
「――レンジャー・レスカ?」
悲鳴が聞こえたのだろう。部屋のドアが開けられ、心配げな表情を浮かべた看護師の姿が、足早に傍に駆け寄ってくる。
「ヤツが……スペクターが……あそこに……っ!」
「深く息を吸って。ここにスペクターはいません。いいですか、レンジャー・レスカ。ここは、ネクサスの医務室です。安全だから安心して」
「……サム……ヴィキ……サイアム……クソっ、アタイのせいでみんな……っ!」
「あなたのせいではありませんよ、レンジャー・レスカ。リーダーのあなたが諦めなかったからこそ、あなたのクルーたちは一命を取り止めたんです」
「……じゃあ?」
「はい。峠は越えたとドクターが言っていましたよ。ですから、大丈夫。あなたのおかげです」
年甲斐もなく、つい、看護師に抱きついていた。
流すまいと誓っていたはずの涙が、とめどなく溢れて、アキラは声を上げて泣いた。背中をポンポンとさすってくれる手が温かかった。
「……悪りい、エルサ。アタイは、もう大丈夫だ」
「どういたしまして。ホッとしましたよ。あれだけのことがあった後だったというのに、あなたは感情を出そうとしなかった。心が壊れてしまうんじゃないかと心配しましたが……。本当に大丈夫?」
「あぁ、スッキリしたぜ。サンキュな。だけど、その、クルーにはなんだ、今のは……」
「看護師には守秘義務がありますので、ご心配なく」
そう言ってウインクしてきたエルサに、また目頭が熱くなってきて、慌ててアキラは話題を変えた。
「なあ、エルサ。こんなこと、アタイに訊かれても困るかもしんねぇけどさ……」
「困ったときは、困ったと言いましょう」
「そうしてくれると助かるぜ。実はな……」
ハリスの提案を打ち明けると、しばしエルサは黙っていた。
それはそうだろう。一人の患者に過ぎない自分に意見を求められたところで、答えられるわけがない。
それに、立場のこともある。ハリスは、アキラの上官である一方で、エルサの上司でもあるのだ
「やっぱいい。困らせちまって悪りいな。今の、忘れてくれ――」
「――個人的な意見でもよいのですか?」
「え、あ、あぁ。でもよ、いいのか?」
「意見に反対したくらいで、とやかく言うような人ではありませんよ、ネクサスマスターは。レンジャー・レスカもそれは知っているでしょう?」
「まあ、な」
「私があなたのクルーなら、あなたの決めたことに賛成します。レンジャーにとって、クルーは家族同然の存在です。レンジャー・カルツツァは、高熱にうなされながら、あなたの名前を呼んでいました。その絆を信じるべきでしょう?」
「でもよ、もしだ。もし、アタイがやるって言ったら、あいつらもやるって言うに決まってんだ。あいつらにはもう、あんな目に遭ってほしくねぇんだ」
「ならそのことを伝えるべきですよ。家族であっても、案外、言わないと伝わらないんです。あなたの思いを話して、クルーたちの意見を訊いたらどうですか」
「……もしアタイがこっそりやったら、あいつら、めっちゃ怒るだろな」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。それこそ、話してみないとわかりません。ですが、大事なのは、
「アタイが?」
「はい。だって、あなたがリーダーでしょう? あなたがリーダーだから、クルーたちはここまでついて来たのではありませんか? リーダーが迷っていたら、クルーたちはもっと困ってしまうと思いますが」
「アタイは……」
ハリスに訊かれたときから、アキラの心には
訊かれた手前、ああ言ったが、例の狙撃手のことを、アキラも考えていた。
そうでもなければ説明がつかなかった。でなければ、あれほどタイミングよく撃てるはずがない。ハリスの説明を聞くほど、その推測は確信に変わっていた。
(もっと早く撃てたはずだろ。ヤツは……あのスナイパーは、ヴィキたちがスペクターにやられるのを黙って見てやがったんだ。許さねぇ!)
「じゃ、私はクルーたちの様子を見てきます。レンジャー・レスカ、あなたもしっかり休むように」
「あぁ、サンキュな。……あいつらを頼むぜ」
「……面会できるようになったら、すぐ伝えにきます」
エルサの言葉に、アキラは聞こえないフリをする。少しでも話せば、これからやることを知られてしまいそうだった。
そうして再び一人になった病室で、アキラはゆっくり息を吐いた。
「アタイが仇をとってやるからな、みんな」