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いつものお遣い

「じゃ、行ってくる」

『安全第一だからな、リエリー』

『レイモンドによろしく伝えてね』


 航空用ヘッドセットから返った家族チームの言葉に、「りょーかい」と軽く返答して、リエリーは右手を置いたスラスターレバーを一気に引き倒した。


「ヒュー!」


 途端、押し倒されそうな重力に包まれ、リエリーは立位操縦席スタンディングコックピットで腰の重心を落としてバランスを取る。改造に改造を重ねた愛機ハレーラの加速は、いつ味わっても格別だった。

 ルヴリエイトの『エリーちゃん!』という声が聞こえたような気もしたが、あいにく、ヘッドセットは首に落としてあるから、気のせいだろう。

 眼前、横長のフロントガラスに、カシーゴ・シティの空を覆う蒼穹がいっぱいに広がっていた。

 この瞬間が、リエリーは一番好きだった。

 愛機を駆り、大空に向かってどこまでもスロットルを吹かしてやる。

 空には、限界がない。

 どれほど船のエンジンをカスタマイズし、限界まで加速しても、空は悠々とそこに広がるだけだ。

 それは、絶対に超えられない“壁”であると同時に、リエリーの挑戦をいつでも受け止めてくれる最高の好敵手ライバルでもあった。

 それは、まるでいつも隣にいる茶黒い巨躯のようで――。


『――そこの箱! どこ飛んでるっ!』

「箱じゃないし! カシーゴでいっちばん速い船だッ!」


 例によって、他の飛行体の進路を遮ったらしく、首にぶら下げたヘッドセットから怒声が飛んでくる。

 慌てて操縦桿を引き倒し、ニアミスした貨物機へ叫び返してやったものの、おそらくは届いていない。


(落ちつけ、あたし。ライセンステストがあるだろ。自重ジチョー)


 今の自分は、威療助手レジデントとしてではなく、一介のパイロットとして自宅兼救助艇〈ハレーラ〉のメンテナンスを頼まれている身、すなわちお遣いの途中だ。

 当然、“免罪符”代わりの緊急灯は使えないし、私用だから機体のエンブレムも消灯してある。

 幼少期から、玩具代わりに触れて共に育った機体だ。自分の体なみに扱える自信はある。たとえ先方が突っ込んできたところで、掠りもせずに飛ばすことくらい、造作もない。

 が、それはどうやら、社会通念とやらに照らし合わせると、いわゆる非常識なことらしい。

 だからもし、こんなお遣いで、苦情を枝部に申し立てられたら、堪ったものではなかった。

 ゆえに、リエリーは交信相手への追加の抗議の言葉を飲み込み、謝罪を意味する方向指示器を灯すことで場を納めにかかることにした。もっとも、向こうは返答を返すことなく、瞬く間に街のほうへと消えていったが。


「マナーがなってないじゃん」


 感想を独りごち、今度は速度を落として、目的地の方角へと進路を取る。

 向かう先は、カシーゴのセントラルから南西へしばらく行った、ヨークビル。カシーゴ・シティの旧市街地だ。

 航空路が疎らになるにつれ、リエリーの思考は自然と、過去へ飛んでいた。

 これから向かうヨークビルは、自分たち一家がカシーゴ・シティに住まいを移す前に住んでいた場所だ。養護施設で育ったリエリーにとっては、世間一般に言う実家だと考えていた。

 であるなら、ヨークビルでモーテルと小さな整備工場を営む、気難しい老爺――レイモンド・バーグは、リエリーにとっての祖父にあたるのかもしれなかった。


「レイ爺ちゃん、どうしてるかな」


 リエリーが威療助手となり、本格的に救命活動を生業とするようになってから、顔を合わせる機会は減ったが、今でもこうして〈ハレーラ〉の整備で時々は顔を見せるようにしている。

 リエリー自身、レイモンドは祖父というより、師匠という趣が強かった。

 威療士の装備を始め、船の修理からカスタマイズ、果ては、スクラップから真新しいガジェットを組み立てるノウハウまで、そのほとんどはレイモンドから教わったものだ。

 華麗な経歴を持つレイモンドが、なぜ、自分たち一家に親身にし、あれやこれやと気に掛けてくれるのか、リエリーは聞いたことがなかった。尋ねたことは何度もあるが、その度、決まって「わしの気まぐれだ」とトレードマークである剛毛の眉を寄せてはぐらかす。

 そう言われるとさらに気になって仕方ないのだが、リエリーには、そんなことを訊くよりレイモンドから新しいスキルを学ぶほうがよっぽど楽しみだった。


「と~ちゃ~く」


 やがてレトロな街並みがフロントガラスに映るようになり、遠目にもわかる、広大なスクラップヤードを目に留め、リエリーは着陸のプロセスに移った。

 そうして、開けたスクラップヤードに〈ハレーラ〉を駐機させると、コックピット横のドアから勢いよく飛び降りた。


「――シンニュウシャ! シンニュウシャ! ココハ、シユウチダ!」

「お、レイ爺ちゃんの新しいオモチャ。にしちゃあ、出来が雑だけど」


 擦れた人工音声を発しつつ、おもむろに、ミニチュアのボールが転がってくる。それを取り上げ、しげしげと眺め回す。

 と、オドオドとした声がして、リエリーはそちらへ目をやった。


「――そ、それは、お師匠じゃなくて、そ、その、ぼくが作り、ました」

「ふ~ん、そ。顔認識させるんならさ、頭部つけたほうがいい。じゃないと、誤認が増えるから」

「わ! そうですね! さすがは師姉ねえさまです! 素晴らしいアイディアですっ」

「……ちょっとまって。いま、なんてった?」


 聞き慣れない呼び方をされ、リエリーはピクリと頬が引き攣った。

 そんな様子に気付いた素振りは微塵もなく、男の子はパッと顔を輝かせると、もう一度繰り返した。


「リエリー師姉ねえさま、です!」

「……は?」

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