「……ん?」
遠く、背後で聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がして、リエリーは振り返った。
が、そこに人影はなく、さらに遠方で、臨時救護所を示すヘリックス・メディカルセンターの三重螺旋のシンボル旗が風に揺れていた。
「リエリー、どうした?」
「ううん、気のせい」
自分の耳には自信がある。だから、間違いなく空耳ではないのだが、そうだとしても構っている余裕はなかった。
それに、構っていたら、またイライラしそうだった。
「そうか。集中していくぞ。残っているスペクターは、強者揃いだからな」
「りょーかい。……あのさ、ロカ」
「ん、トイレか? わかったわかった、叩くな」
「さっきはその……ごめん」
いたずらっぽく輝いていた深海色の瞳が、何度か瞬きを繰り返す。それが、『信じられない』という意味の瞬きであるとすぐにわかり、リエリーは口を尖らせた。
「……なに。あたし、そんな意地っぱりじゃないし」
「俺が言いたかったのはな、おまえにはいつも感心しているってことだ」
「……は。いきなり褒めるとか、キモいんだけど」
「おいおい、その言い方はないだろう。戦錠だってな、傷つくんだぞ?」
「それはないってば。最強無敵のレンジャー、それが戦錠マロカ・セオークだし」
「おまえにそう言ってもらえるのは鼻が高いが……リエリー!」
「わぁってる!!」
マロカの巨躯が刹那、紫電を帯び、残像を置き去りにして消え去る。
直前、名を呼ばれたリエリーには、その意図が手に取るようにわかっていた。
獰猛に返事を返し、全身を
「
眼前、街中にある公園では、まず見かけない光景が広がっていた。
それは、水の“壁”だった。
園内の常緑樹、その樹冠を易々と超す濁流。迫るその圧に、リエリーは同じ壁――ユニーカで作り出した空気の壁を正面からぶつけていく作戦を採る。
理由は簡単。
水の“壁”の麓で、
目算で十数名に及ぶ市民を、マロカは、その電光石火のユニーカを用いて正確にピックアップしていく。
複数の涙幽者がいる以上、その場に置いていく訳にもいかず、蒼い〈ユニフォーム〉をなびかせたマロカが、1、2人を抱えては、救護所へと往復搬送を実行する。
電光石火のマロカとは言え、人数が人数だ。
強化された異能による水の“壁”が待ってくれるはずもなく、ゆえにリエリーは“遅延作戦”を採っていた。サイズこそ小さいが、〈ハレーラ〉の後部ハッチをイメージした風の壁を次々とぶつけ、水を散らせていく。
「
濁流の“水源”は、近くを流れる河川なのだろう。定期的保守を欠かさないカシーゴ・シティの川とは言え、清流にはほど遠い。
泡立つ波間に、種々雑多なゴミを認めていたリエリーは、ユニーカの種類を増加。市民へ降り注ぐ岩や、旧式の機械、果てには有名ブランドの看板らしい物体を次々と弾き飛ばしていった。
「ロカ! 本体みっけたよ!」
そうして水の“壁”がいつまでも犠牲者を出さないことに業を煮やしたのか、その濁流を割って、漆黒灰の巨躯が咆哮した。
「――――」
「この
昂ぶった感情のまま、リエリーは自らの体にユニーカを纏わせ、涙幽者へ吶喊を実行。
「待てリエリー! まだいるぞ! 突っこむな――」
と、研ぎ澄まされた聴覚が、マロカの警告を捕捉。
直後、リエリーの耳も同時にその音――水分が急速に凍っていく、バリバリッという音を捉えた。
「――っ?!」
警戒し、水流には触れていなかった自身の足。――が、髪に掛かったわずかな雫。
それが、瞬く間に氷の“根”を広げていく音が、耳元を掠めていた。