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託される使命

 髪を短くしておいてよかった。

 瞬時に凍結していく前髪を、躊躇わず手で払い除けながら、リエリーはそんなことを思った。

 ルヴリエイトからは、「もうちょっとオシャレに気を使ったら?」と何度も言われていたが、とんと関心が持てなかった。昔にマロカからもらったヘアゴムのためでなければ、今のショートポニーも切って、刈り上げているところだ。

 そんなものに時間を使うより、鍛練か、救命活動のケースレポートを漁るほうが、よっぽど有意義だった。

 そんなことを考えている間に、凍った前髪の数本が粉々に砕け散り、日光を反射して煌めく。

 燦然と散る光の向こうに、の涙幽者が見えて、リエリーの思考は止まりそうになった。


包めウィンド風の繭コクーン!」


 培った経験が、ほとんど無意識に個有能力ユニーカを行使し、押し寄せる猛烈な冷気から体を守っていた。

 そうして、凍ったアスファルトでもんどり打ち、体勢を立て直しながら、リエリーは懸命に頭を働かせた。


(……あの“腹ぺこ”たち、力をあわせてるわけ?)


 涙幽者は、他の涙幽者を認識できない。それが、科学的知見に基づく見解だった。

 だからペアの涙幽者が、ただ隣同士で突っ立っていたのなら、偶然という線も考えられた。

 が、外見がよく似たその涙幽者たちは、

 二対の双眸がこちらをヒタと捉え、流れ落ちる白泪が、瞬間的に氷化し、矢となって迫る。

 濁りきっていないその眼と目が合い、リエリーは総毛立つのを感じていた。

 

 そのことの示す意味が、稲妻のように思考を貫き、束の間、反応を鈍らせていた。


「――ぬうッ!」

「ロカ?!」


 氷の矢が目前へ迫り、だが、そこへ茶黒い背が立ちはだかっていた。


「つかまれッ!!」


 獣の咆哮に近しい、マロカの指示。

 その意味を考えるより早く、豪腕の毛並みを紫電が駆け巡っていた。


雷光ライトニング霧散スパーク!!」


 リエリーがマロカの背へしがみつくと同時、その蓄えられた圧倒的な電力が、一気に解放される。

 技名に反し、マロカのユニーカは、正確に対象を――二名の涙幽者を狙ったものだった。

 氷は、電気を通さない。

 その性質を利用し、制御が難しい電気の力を氷に閉ざされた空間で解き放つことで、強力無比な雷撃が、術者である涙幽者に見事、直撃する。――が。


「そんなっ……!? ロカ! 血が……!」

「落ちつくんだ、レジデント・リエリー。俺なら問題ない。氷が溶けるまではな。それより……っ!」


 雷撃を受け、大の字に倒れ伏した二名の涙幽者。それを見届けたマロカが、大地へ膝を突く。

 養父の背から飛び降り、正面に回ったリエリーは、目の前の光景に体中の血の気が引いていた。

 分厚いマロカの胸、そのほとんど中央に、氷の矢が突き立っていた。


「いま、あたしの〈ユニフォーム〉を――」


 自らの傷口を押さえたマロカのカギ爪の間から、赤い鮮血が滲み出ていた。

 マロカの高い体温に晒され、氷の矢が急速に溶けているのだと、真っ白になりそうなリエリーの頭が推測を告げていた。刺さった矢が溶ければ、そこから一気に血液が噴き出す。そうなれば、強靱なマロカといえど、命の刻限は途端に身近になる。

 そんなマロカに、リエリーは自身の〈ユニフォーム〉を差し出そうとするが、肩で息をする茶黒い巨躯が片手で制した。


「――駄目だ。おまえのは、あのスペクターに使え。〈ギア〉で飢餓係数の低いほうを優先トリアージするんだ。じき、ルーが来る。〈ポッド〉に収容する時間も考えて動くんだ。いいな?」

「けどロカは? 〈ユニフォーム〉はどこ?」

「負傷者に貸した。いいから俺を見ろ、リエリー。俺はだれだ? 言ってみろ。俺は、くたばりそうな奴の目をしてるか?」


 血の付いていないカギ爪を掲げ、そっとマロカの手が頬に触れてくる。

 静謐な深海色の瞳は、ユニーカの行使でわずかばかり、黄金色が混じっている。痛みのせいか、普段より険しいが、その目には諦観など微塵もなかった。


「……ロカは、戦錠だよ。最強無敵の、戦錠マロカ・セオーク」

「ああ、そのとおりだ。これくらい、傷のうちにも入らんさ」

「わぁったよ」

「よし。それともう一つ。――リエリー、おまえが直心穿通ハートランシングをやってくれ」

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