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問い

「っ……」


 何ともない、と言えば嘘になる。

 数時間前まで人生を共に歩んでいた“右足”が、忽然と消えたのだ。

 たいがいの出来事には慣れているつもりだったが、さすがに堪えるものがあった。


「出血が皆無だったことが幸いしたな。ドクターによれば、しばらく痛むかもしれないが、それは一種の幻だ。つまるところ――」

「――幻肢痛ファントムペインでしょ。知ってる」


 気を紛らわせたくて、つい、ブロントの説明を遮っていた。

 が、黒い〈ユニフォーム〉姿の副枝部長は、片方の眉を上げて「そうか」とうなずいただけだった。


「じゃなくて! アキラはどうなったの? オペ中って、もしかして……?」

「残念だがアキラ・レスカに回復傾向は認められない。術式は開頭術だ。〈ドレスコード〉時の転倒で強打したからな。加えて、直前の“憑依”現象だ。あらゆる可能性を検討せねばならん」

「憑依? あれはそんなんじゃないっ! あれは……あれはもっとべつの……」


 アキラの涙幽者スペクター化直後にリエリーが感じ取った、のような激情。

 人が変わったようなのは間違いないが、取り憑かれたようにはどうしても思えなかった。

 言語化するのが難しいが、あの感覚は、無理やりを――まるで毒のようなものを体中に流し込まれるような感じに近い。

 そんなことを考えて頭を抱えた矢先、ふと、リエリーはこちらを観察するように見つめているブロントへ、細めた目を向けた。


「……なんでヴァイスマスターが知ってんの。あの船、ハリハリの私物なんじゃ……」

「それが何だ。ネクサスマスターの監査も、儂の仕事だ。むしろ、あのような戦艦をレンジャーのネクサスマスターが隠蔽していたことのほうが問題だ。レンジャーは救命活動専門部隊であって、兵力ではない。武力行使とて、最終手段と定められておるんだ。正規軍と張り合う戦艦など作りおって」

「もしかして、ハリハリにキレてる?」

「キレとるかだと? 今しがた彼奴の澄まし顔に一発、見舞ってきたところだ」

「わーお」


 浅黒い手に収まった金属製のタンブラーが、ギシギシと悲鳴を上げているのが見えて、リエリーは目を瞬かせていた。

 ハリスは武闘派ではないが、その代わり、頭で闘う。向けられた拳が届く前に、他の人間に向けさせるくらいのことを軽くやってのける。

 そんなハリスに拳をめり込ませたとなれば、やはりブロントがカシーゴ威療士枝部レンジャーネクサスで二番目に強い人間、ということになるのだろう。


(ま、ロカには敵わないけど)


「何をニヤついている、レジデント」

「え、ううん、なんでもない」

「笑えるのは今のうちだけだ。もし、の調査が本格化すれば、泣いたところで解放されはせんぞ」

「……は? だれのこと?」

威士会エアーに決まっておるだろう。彼らにしてみれば、絶好の機会だ。あらゆる手で弾糾するはずだ」

「ちょ、ちょっとまって! エアーが来んの? なんで? もうハリハリ殴ったんでしょ? じゅうぶんじゃない?」

「……貴様は、権力闘争が拳ひとつでどうにかなる代物だとでも思っていたのか?」


 片側の眉をグイッと吊り上げたブロントが、ため息を堪えた声で唸る。

 リエリーとて、まつりごとを単純だとは考えていなかった。

 ただ、自分の人生に関わることはないだろうと思っていた。


「ぜんぜん。けど、なんで? あの船、ハリハリのものじゃん。レンジャーがなに持ってるかまで首つっこむとか、エアーって暇なの?」

「その言葉、まかり間違えても彼らの前で言わんことだ。……儂の買いかぶりだったようだ、レジデント・セオーク。貴様は状況を理解しておらんな」

「とーぜんでしょ。ヴァイスマスターが説明するっていうから、まってるんじゃん」

「……確認だ。貴様、ネクサスマスターが相手でもこうなのか?」

「こうって?」

「ハァー……。否、もういい。あれが苦労するはずだ」


 なぜか急に歳を取ったように見えるブロントに、リエリーは首をかしげてみせる。

 納得したようでよかったが、いったいハリスは何に苦労していると言いたかったのだろう。


「よく聞くことだ、レジデント。もはや、事はジョン・ハリスによる戦力所持の疑いだけの話ではない。貴様も、そしてレンジャーのアキラ・レスカも、大いに関係している」

「……は? 元レンジャーってどういう――」

「――でアキラ・レスカの〈バッズ〉を儂が預かった。そしてレジデント・セオーク。貴様がレジデントでいられるか否かは、この後の儂の質問への回答次第だ」

「――は?」


 思考が、回らなかった。

 それを待ってくれるはずもなく、正面に向き直った〈ユニフォーム〉が、選択肢を突き付ける。


「答えろ。ネクサス内にスペクター、あるいはその兆候がある者を、貴様が招き入れたのか?」

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