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ブロントの懸念

「――そういう訳で貴様の処分は保留になっている、ハリス。今のところはな」

「せめてフルネームくらい、呼んでほしいものだけどね、ブロント・ヴァイスマスター?」

「フンッ。処分保留の者が、よく言えたものだ」


 枝部長ネクサスマスター室の立ち机スタンディングデスク越しに鼻を鳴らした褐色の痩身が、腕を組む。

 そうしたまま部屋を出ていかないということは、用件が済んでいないということになる。


(生真面目さは変わらない、か。それとも僕のほうが変わったのかな)


 おおよその見当は付いていた。

 さまざまな意味で薄氷を踏むような“尋問”を終わらせ、その足でこの部屋を訪れたのだろう。

 そうして、報告という名の警告を一通り浴びせ終えたブロントが求めるものなど、限られていた。


「僕は辞めると決めたんだ。止めても無駄だよ。誰かがこの責任を取る必要がある。そして僕がいなくなれば、威士会エアーもここのことは気にしなくなるだろうさ。椅子で鈍った彼らの足を解すには、打ってつけの仕事がエンドレスで待っているからね」

「それで貴様は高飛びか? 言っておくが、あの船は没収だ。辞任したところで返さんぞ」

「残念だよ。

「……本当に理解しているのか? 今、がカシーゴネクサスを離れれば、どれほどレンジャーに影響すると思っている! ここのレンジャーの大半は、お前が引っ張ってきたヤツらなんだぞ! アキラ・レスカ襲撃の件もある。くだらん例の競技会もだ。開催まで30日を切ったというに、何の通知も届いていないだろう? スペクターの増加は言うまでもない! そういうときにお前がいなくなれば――」

「――君こそ、本当にあのハルゲイサ・ブロントなのかい? いまの僕には、へっぴり腰のそっくりさんドッペルゲンガーにしか見えないな」

「っ……?!」


 ピタリと、ブロントの動きが止まった。滅多に見せることのない、意表を突かれたときの仕草だった。

 まるで、凜々しい彫刻よろしく考えあぐねている副枝部長を真っ直ぐに見据え、ハリスは背を伸ばした。


「僕がなぜ怒っているのか、わからないか? だとしたら、君には少し仕事を任せすぎたかもしれないな。貯まりに貯まった休暇を取ってほしいと言いたいところだが、あいにく、これからもっと仕事が増えるよ。何せ、ヴァイスマスターである君は、まもなくヴァイスでなくなるからな」

「……」

「君もよく知っているとおり、僕はね、彼らを――。憎いといってもいい。よって胸を張って言おうじゃないか。カシーゴのレンジャー諸君は、成り上がりの笛吹きが消えたくらいで動じるタマじゃない!」


 背後に回していた手で襟元を正すと、ハリスは静かに続けた。


「君が、一番よくわかっているはずだ、ハルゲイサ・ブロント。なぜ、嫌われ者の代名詞である監査部トップの君が、僕のを年中処理できるほど暇で、なぜ、君がレンジャー諸君に慕われているのか。――それはひとえに、彼らが極めて優れたレンジャーであり、同時に人としてできているからだ。もし、僕が消えて、パフォーマンスが下がるレンジャーが出たら、僕の首を取りに来てくれ。君が言ったように、これは僕の責任だ」


 言い終えてようやく、ハリスは息を止めていたことに気が付いた。

 一方のブロントは一言も発さず、乱れたところを見た記憶のない、ゆっくりとしたリズミカルな呼吸を繰り返していた。

 もはや慣れてきた、睡眠不足による眩暈を深呼吸で誤魔化していると、腕組みをしたままのブロントが淡々と言葉を継いだ。


「有能であることと、支えを失うことによるダメージは別物だ、。ここのレンジャーにとって、お前は、すでにネクサスマスターという上官だけではなくなっている。お前は、シンボルになったのだ。わからないか? 古参の者には復活のシンボルとして、新しい者には未来のシンボルとして、そして若い者にとってお前は、守護者そのものになっている。何故なら、絶望的な救命活動現場にあっても、お前は決してレンジャーを信じることをやめん。例え全ての通信が切れても、お前なら必ず、自分たちを探し出し、暗闇から引っ張り上げる。そういうネクサスマスターがいると信じているからこそ、ここのレンジャーは立ち向かえるのだ」

「光栄だよ。だが、象徴シンボルなんか不要だ。歴史が証明してきたじゃないか。危険すぎる」

「ならば暗闇に飛び込めと命じるか? よもや耐え忍べ、などとほざくつもりはないだろうな?」

「ないよ。だが、そもそも、象徴なんてものに頼らないでほしいね」

「儂らの“背”を否定するか?」


 素早い切り返しだった。

 ブロントの背中には、レンジャーたるシンボルダブルウィングが刻まれている。

 

 威療士枝部長という役職には、シンボルなど不要だからだ。

 枝部長こそが、その枝部のシンボルだからだ。


「……皮肉なものだね。人々の希望の象徴であるレンジャーが、自らの象徴を求めるなんて」

「レンジャーも人間だ。光なくして、光たりえんからな」

「英雄コルインの言葉かい? 彼の末路を思えば、まさに皮肉そのものじゃないか」

「――ジョナサン」


 肩をすくめてみせたハリスを、ブロントが正式名full formで呼び止める。

 その名前で呼ぶ者は彼以外におらず、そしてそれは決まって、大切なことを伝えるときだった。


「今度は改まって何だい。別にいますぐ辞める訳じゃないんだよ? 見送りのハグなら――」

「――何故だ。何故、ファイルを持ち出した? ……否、 お前は、他に何を隠してる!」

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