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第73話 対決

 ホテルマグノリアは広大な敷地内に庭園を囲むようにして東棟、西棟、南棟、北棟の四つの建物が建ち、上から見るとさながらロの字になっている。


 五十階建てのこのホテルで自分の部屋に行くには、敷地の中央に建つエレベーター棟を利用するしかない。

 ところがこのエレベーター棟は独立して存在しており、どこにも繋がっていない。いってみれば塔のようなものだ。


 ではどうやって目当ての部屋に行くか。

 実は浮遊板に乗って目的の階に到着すると、ドアが開いた目の前に転送ポートが設置してあり、これに乗った瞬間、目的の部屋の前に立っているという仕組みだ。


 ところが今、事故によってエレベーターが閉鎖されている。

 この状況でどうやって宿泊客が外に出るかというと、各棟の端に設けられた非常用階段を使ってえっちらおっちら昇り降りをするという、実に原始的な手段を使うしかない。 


 古美術商ロジエの部屋を飛び出たわたしは、風の精霊を使役して百メートル以上の高さを落下して庭園に着地すると、一階にある東棟の階段入り口で黒スーツたちを待ち構えた。


 ――待つこと五分。

 大荷物を抱えた二人の黒スーツが息を切らしながら現れた。


 ロジエの部屋は四十階。地上からだとざっと百五十メートルの高さだ。

 いくら下り階段とはいえ、売れ残った古美術品を抱えて一階まで降りて来るのは相当に体力が必要だったろう。

 案の定、息を切らし、足をふらつかせている。

 わたしは宙に魔法陣を描くと、短杖ワンドを軽く振り下ろした。


炎龍えんりゅうのいましめ!」

 ボゥ!! ギュオォォォォォォオオオオン!!

「わわっ!!」


 魔法陣から飛び出した炎の龍が行く手を阻みつつ周囲を飛び回り、炎熱のダメージを振りまくと、最後に怯える黒スーツ目がけて飛んだ。


 『炎龍のいましめ』は、龍の形をした炎のかたまりが敵を縛り上げ、ついでに霊体アストラルボディに火傷を負わせるというものだ。


 外傷は発生しないものの、激痛で身動きがとれなくなる。 

 もちろん手加減はしたけれど、動きを止めるにはある程度のダメージを与えないとね。

 ところが――。


 炎の龍が黒スーツたちに巻きつこうとした瞬間、不意に黒スーツの前に大きな影が現れ、手を無造作に振った。

 炎が一瞬で掻き消される。


無効化レジストされた?」


 そこには仏頂面ぶっちょうづらで立つ大きな黒い影があった。

 綺麗にウェーブがかかった金髪。その下の厚塗りされた顔。タラコのように太く厚く塗られた真っ赤な口紅。そして、黒布を羽織っただけのようなその姿。


 悪魔クィン=フォルトゥーナだ。

 わたしの魔法は、クィンによって掻き消されされたのだ。


「ちょいとあんたら、怪我するから早く逃げな。まったく、これじゃどっちが悪者か分からないじゃないか」


 口をへの字に曲げたクィンが尻もちをついている黒スーツたちに向かって『あっち行け』とばかりに手をヒラヒラ振る。


「クィン、あんたやっぱり売れ残りの中に隠れていたのね。ちなみにどれよ?」

「そこの裸婦像の中よ。それにしてもやってくれたわね。ヤサが壊れちゃったじゃないのさ」 


 見ると、黒スーツたちが運び出した古美術品のことごとくが黒焦げになったり変形、破損したりしている。

 炎竜が飛び回ったせい——つまりはわたしのせいだ。


 クィンの言う裸婦像なんか、上半身が吹っ飛んでいる。


 古美術商ロジエがいくらでこの像を売るつもりだったか知らないが、そうとうに高価なはずだ。 

 思わず苦笑いを浮かべたそのとき、わたしの頭に何かが当たった。


 不審に思って頭上を振り仰いだわたしの顔に、小さな水滴が当たる。

 雨だ。

 さっきまで晴れ上がっていたのに、いつの間にか直上の雲が真っ黒になっている。

 今このタイミングで!?


 ザァァァァァァァァァァァァァァァァ!!


 息を飲んだ瞬間、ホテル目がけて雨が激しく降り出した。


 ちょっと離れた位置の空は真っ青に晴れているのに、ここだけバケツを引っくり返したような降りになっている。


 あっという間にびしょ濡れになったわたしは、呆然とつぶやいた。


「雨雲がこんなピンポイントに発生するだなんて……」

「おーーーーっほっほっほ! あたしのもたらす不運が古代神アーマンの加護をようやく上回ったようだね。もう不運を避けられないよ。あたしの勝ちだ。残念だったね」


 クィンが嬉しそうに笑う。

 唇を噛みしめつつ再度空を見上げたわたしの顔が凍りついた。


 ゴロゴロゴロゴロ……。


 雷だ。黒雲の中を稲光が走っている。

 間違いなくわたしめがけて落ちてくる。


「くっ!!」


 勝利を確信したような余裕の表情をしたクィンに対し、何か言い返そうとしたそのとき、各階の廊下に続々と人が現れ、階段に殺到しだした。


 その数、ざっと二百人。

 老若男女さまざまだが、いずれも宿泊客か従業員だ。

 それが皆、着の身着のまま、大慌てで降りてくる。


「な、なに!?」


 動揺するわたしに、クィンが笑う。


「いやなに。このホテル、最初の事故のときにかなりの部分、ヒビが入っていたんだよ。お姫さまは気づかなかったろうけどさ。そこへもってきてこの大雨さ。最新設備のホテルなのに突風でガラスが割れるわ、雨漏りするわ、電気も使えなくなるわとくりゃ、避難だってするだろうさ」

「クィン、あんた!」


 その瞬間、視界が真っ白に染まった。


 カッ! ドドドドドォォォォォォォォォォォンン!!

「「「きゃあぁぁぁぁああ!!!!」」」

「「「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」

「くっ!!」


 雷が落ちた。わたしに!

 絶対防御が効いてくれたおかげで怪我はせずに済んだが、この感じ、魔力をかなり消費したようだ。

 同時に、一階まで降りてきた客たちが大騒ぎしている。

 どうやら、わたしのレジストした雷が地面を伝って、客の何人かに怪我を負わせてしまったようだ。


「やってくれたわね」

 ゴロゴロゴロゴロ……。


 まだだ。まだ雷雲は去っていない。すぐ次の雷がくる!


「不用意にレジストしたものだから、怪我人を出しちまったようだね、お姫さん。次の雲はさっきの雲よりずっと大きそうだ。きっと連発で雷が降るよ。あんたは助かったとしても、客たちに影響を与えずに済むかね」

「クィン!」


 怪我人を出さないためには、このホテルをすっぽり覆うほど巨大な防御壁を張らなければならない。

 雷の連発に耐えうるほどの強度を出すために、どれだけの魔力が必要になるっていうの!?


 クィンがニヤリと笑う。


「いいことを教えてやろう、お姫さま。この呪いは、あたしに宣戦布告したあんたをターゲットとしている。だから、あんたがギブアップすれば呪いはおさまる」

「なんですって?」  

「わたしの負けです、ごめんなさいって言ってここからすごすごと立ち去るだけでいい。それで呪いは解け、宿泊客も助かるよ。プライドが許さないかい? だが、お姫さまの謝罪一つで無辜むこの民が救われるんだ。そっちのほうが良くないかい? さぁ、よぉく考えるんだね。あっはははは」


 クィンが大げさに笑う。

 だがわたしはその口調の違和感に気づいていた。

 ひょっとしてコイツ、戦うよりわたしの撤退を望んでいるの? まさか……。


「さぁお姫さま、どうするね? 土下座の一つでもして呪いを回避するか、とことん付き合ってホテルの宿泊客二百名を危険にさらすか。二つに一つだよ、おーっほっほ!!」

「土下座ですって? このわたしに? いい度胸だわ。絶対に謝罪なんかするもんですか!」

 パチンっ。


 言いながらわたしは、右手の親指を弾いた。


 ◇◆◇◆◇


 次の瞬間、わたしたち――わたしと白猫アルと悪魔クィンの三人は、薔薇をモチーフに作られた、おしゃれな鋳物のガーデンテーブルに着席していた。


 テーブルの中央にはケーキや菓子の乗った三段のティースタンドが、各人の前に湯気をたてるティーカップが置かれ、周囲には見事なくらい草木や花々が咲き乱れている。

 周りをキョロキョロ観察しながらクィンが口を開く。


「ふぅん。幻影空間ファンタズマゴリアかい。幻影空間は術者の記憶や想像を元に構成されるはずだが、ここはどこだい? ずいぶんと趣味がいいじゃないか」

「ここは五百年前のイーシュファルト王国。わたし専用の庭よ。お気に入りの庭師に手入れしてもらってたんだけど……もうないわ」

「そうかい……」


 クィンの質問に答えながら三人分の紅茶をれたわたしは、アルとクィンの前に紅茶の入ったティーカップを置いた。

 多分アルは飲まない。幻影だと分かっているから。

 でもクィン、あんたはどう?


 胡散臭そうに、だがお茶の匂いを嗅いだクィンの顔が明るくなる。


「これはネロア産の茶葉じゃないか。いい香りだ。カップやポットの柄も色づかいもとてもいい。さすが伝説の王家の出だけある」

「気に入ってもらえたようで良かったわ」


 優雅にお茶を飲むわたしとクィンとを、アルが目をキョロキョロさせて見ている。

 何かことが起こり次第、介入するつもりなのだろう。


「それで? わざわざこんな場を用意したんだ。あたしに話があるんだろ? なんだい? あぁ言っておくけど、不運の連鎖を止めてくれってんなら無理だよ。前にも言ったが、これは統制不可アンコントローラブルな能力なんだ」

「別にそんなもの求めていないわ。おかわりいる?」


 飲み終えたティーカップをテーブルに置いたクィンが、不思議そうな表情でこちらを見るも、わたしは笑顔でテーブルに置いてあったティーポットを指差してみせた。

 クィンが黙って首を横に振る。 


「そ。まぁいいわ。ねぇクイン。いくつか質問してもいいかしら」

「……答えられることなら」

「あなた、なんでそんな容姿なの?」


 真意を計りかねているのか、クィンが眉根を寄せる。


「……言ってる意味が分からないね」

「美意識が高そうなわりには太っててさ。聞いたわよ? あなたたち悪魔に固定の形はないって。好きなように容姿を変えられるはずなのに、なんでその姿なのか気になってたのよ」


 そう言って、わたしは対面に座るクィンの目を真っ直ぐに見たのだった。

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