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第34話 フーサリア戦史1

「人型兵器の呼称である機兵(エクィテス。ローマ時代の騎兵からちなんだ呼び方です。騎士ナイトほど名誉職ではなく、装甲車部隊に使われる騎兵トルーパーとの混同を避けるためといわれています」


 画面に映る映像は地図、東欧を示していた。まずハンガリーが点滅した。


「現行兵器の軽機兵は英語発音のハザーです。歴史上での騎兵はハンガリーで誕生しました。ハザーの呼称と役割は十五世紀から十九世紀にかけて使用され、二十一世紀までの地球でも部隊名として採用されています」


 次にポーランドが点滅する。


「十六世紀後半にハンガリーから亡命したセルビア人傭兵です。その後ポーランド貴族は彼等を正式採用して自国の人間も徴用。有翼軽騎兵フーサリアという役職を与えました」


  画像に大きな羽根で飾った、煌びやかな騎兵が映し出された。


「フーサリアは軽騎兵と重装騎兵の中間的存在です。英語圏ではheavy shock cavalry――重衝撃騎兵として分類されています。有翼衝撃重騎兵フーサリアと呼称されたポーランド貴族を中心とした精鋭部隊の誕生です」


「時代は中世後期。当時は東欧のポーランド王国とリトアニア大公国。二画によるポーランド=リトアニア連邦誕生後にユーサリアは出現しました。銃の出現によって登場時には時代遅れと思われたフーサリアですが、突撃戦術は華々しい戦果を残しました」


 地図上の当時のポーランド=リトアニア連邦地域が点滅する。


「中世のポーランドが対峙した国々は強国ばかり。イワン大帝率いるモスクワ公国。のちの帝国ですね。そして同盟関係にあって破棄して敵対したスウェーデン王国。オズマン帝国。クリミア・ハン国。この時代をフーサリアの黄金時代と呼称します」


 画面の地図上の上に年表が出現する。


「フーサリアの黄金時代は16世紀から18世紀までと長くはありません。西洋諸国では銃器の発展により時代遅れともいえる重装騎兵は機動力と突進力で活躍します。。東洋日本にサムライがいたように、東欧のフーサリアも伝説的な武力集団といえましょう」


 リヴィアが流し目でアンジに視線を送る。アンジも思わず微笑んでしまった。

 自らのルーツともいえる国の話であり、創作としてのサムライの話題は、リヴィウに話していた。


「1514年。ポーランド=リトアニアの合同軍とモスクワ大公国との戦闘でフーサリアの名が登場しました。この時点では重装騎兵よりも優位な軽騎兵という位置付けでした」

「1569年にポーランド=リトアニア連邦が成立。1577年にルビシェフの戦いによってフーサリアの黄金時代が幕を開けます。敵勢力は反政府軍。ポーランド=リトアニア連邦の国王選挙に不満をもったことがきっかけでした」

「反乱軍リーダーはドイツ傭兵ヨハン・ヴィンケルブルフ。傭兵や民兵をかきあつめて総数は約一万でしたが騎兵は八百騎程度。対する連邦軍はフーサリア千二百騎と歩兵と砲兵八百人でこれらを完全撃破。この結果、反乱軍は四千人以上戦死したことに対してポーランド側の死者は五十八人」

「なんだ、その結果は……」


 一万の軍勢を二千で打ち破るという結果もそうだが、何より戦死者が少ない。


「まさしく黄金時代の幕開けですわね」


「きっかけは1576年にハンガリー出身でポーランド王兼リトアニア大公。ステファン・バートリの改革にあります。軽騎兵だったフーサリアは頑丈な胸甲や金属の腕甲や脚甲を身につけ、有翼衝撃重騎兵が完成したのです」


「1581年。モギレフの戦い。ロシア軍四万に対して防衛部隊の騎兵四百名。ロシア側が都市を包囲しようとしたところ、失敗。防衛側に死傷者はありませんでした」


「1588年。ビチナの戦い。ステファン・バートリ死後、ハプスブルク家マキシミリアン三世がポーランド王を僭称して当時の首都クラクフに進軍。ポーランド=リトアニア連邦と対立しこれを撃退」


「1601年。コーケンハウゼンの戦い。ラトビアの地リヴォニアを巡るスウェーデンとリトアニアとの戦闘です。スウェーデン軍五千人に対してポーランド=リトアニア軍は三千人で戦闘には勝利したものの撤退しました」


「1605年。キルホルムの戦い。同じくリヴォニアを巡る戦争です。スウェーデン軍約一万千人に対してポーランド=リトアニア連邦三千六百人。圧倒的な数の差をものともとせず、勝利を収めました。スウェーデン軍の死者は六千とも八千。対してポーランド=リトアニア連邦の死者は約百人。フーサリアの歴史的勝利ともいわれています」


「1610年。クルシンの戦い。スウェーデンと同盟を結んだロシア帝国約四万人の軍勢に対してポーランド=リトアニア連邦約六千で打ち破りました。ロシア帝国は一時的とはいえ、皇帝の座をポーランド王に明け渡す結果になりましたが、農民の反乱により長くは続きませんでした」


「1626年。二次ポーランド・スウェーデン戦争が開戦。三年に及ぶ戦いは1629年にポーランド=リトアニア連邦が歴史的大敗を受けて状況が一変。神聖ローマ帝国の支援を受けてスウェーデン軍に反転攻勢に入ります。1629年トリチアナの戦いで勝利しました」


「1644年。オクマトゥフの戦い。クリミア・ハン帝国が遠征開始するという報が入り、ポーランド=リトアニア連邦はウクライナ地域オクマトゥフで交戦。これを撃退します」


「1651年。ベレスチコの戦い。17世紀欧州における最大の戦闘の一つといわれています。侵攻するクリミア・ハン帝国は十万人とも。対するポーランド=リトアニア連邦も徴兵や兵力をかきあつめてランツクネヒトを元にした傭兵歩兵、時代の主役になりつつあった竜騎兵ドラグーン黒騎士ライターなども含めた総数は六万といわれています」


「これに加えて農奴蜂起も懸念された戦争となりました。結果、ポーランド=リトアニア連邦は勝利を収めてクリミア・ハン帝国の侵攻は防いだものの、農奴の反乱を危惧した勢力の思惑によって完全勝利とは言い難い結果に終わりました」


 年表が続く。リヴィアは地図と年代史によってわかりやすい説明を心がけた。

 今のリヴィアには眼鏡にスーツが似合うだろうな、などと関係ないことを連想するアンジだった。


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