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第84話 レナ9

 トロッコはラクシャスの胸部に衝突して停止した。

 ラクシャスは檻を抱きしめるかのような形になっていた。


「さあ。一気に上まで上がるぞ!」


 檻を抱えてラクシャスはトロッコを押すように緩やかな速度で前進する。

 アンジは檻のなかで倒れて動かない少女をみて、心臓が止まりそうなほど心配になっている。

 頭から血が流れ落ちている。


「焦るな。今は子供たちを安全な場所へ!」


 地上に向かうラクシャス。アンジにはとても長い時間に感じたが、数分で地上に辿り着いた。

 ラクシャスが檻を引き裂き、アンジはコックピットから降りてレナのもとに駆けつけた。


「おい。生きていてくれよ……」


 頭部、額の左側を強く打っているようだ。

 首筋に手をあてると脈を感じる。脈もある。かすかに上下する胸。心臓も動いている。


 レナは薄く目を開き、自分を抱えている男をみた。


「――」


 声がでない。


「無理に喋るな」


 アンジは少女の不思議な瞳に吸い込まれそうになる。人間でも極めて珍しいアースアイという瞳だった。

 そっとレナを抱きしめる。


「……良かった。君が生きていてくれて本当に良かった」


 うっすらと涙を浮かばせて語りかけるアンジに、レナは不思議な思いを抱いた。


(このひとはなんでないているんだろうはいきぶつにいきていてよかったなんてかわったひと)


 レナが生まれてはじめて味わった人肌のぬくもり。

 心地よい暖かさがあった。

 アンジは自分の服を脱いで枕にし、レナをあおむけにしてそっと寝かせた。

 救急キットでレナの頭部を止血したあと、縛り付けられている子供たちを解放する。


「必ず戻る。君たちは隠れていてくれ。そうすればこんな怖い思いをしないところに連れて行ける」

「ほんとうですか?」


 男児の少年2がアンジに問いかける。


「ああ。優しい大人がたくさんやってくる。あと少しだけ待っていてくれ」

「わかりました」


 この少年少女の中でもレナはズバ抜けて頭脳明晰だったが、他の子供たちも年相応以上に聡明だ。命の恩人を疑うことはなかった。

 幼児教育を受けていないにも関わらず、大人たちの会話だけで言葉を覚えた者ばかりなのだ。

 アンジはラクシャスに乗り込むとヴィドルドに通信を行う。


「アンジだ。子供たちの救出に成功したが、一人重傷だ。現在の座標を送信する」

「現在急行中だ。救護飛行艇も向かわせている。頭部損傷なら無理に動かさないほうがいい。意識があるかどうかだけ確認を続けて欲しい。あと三十分程度で到着する。待っていてくれ」

「わかった」


 アンジはコックピットの中で、敵の防衛部隊に備えていたが、あることに気付いた。


「防衛部隊が撤退中だ」


 レーダーに映る機影は散開している。逃走しているようにしか見えない。


「我々も間近だ。無意味な戦闘は避けたい。子供たちの救出を優先しよう」

「賛成だ」


 アンジはモニタに映る少女を気にしていた。

 一人だけ仲間を鉄の檻に縛り付け生き延びる努力をし、最後は身を挺して他人を救おうとしていた少女だけは失いたくなかった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 医療用の大型ティルトローター機に少女は運ばれた。

 アンジも付き添いで中に入る。他の子供たちも健康状態を確認中だ。


 少女は目を覚ましたが、声がでない。

 隣には白衣を着たヴァルヴァの女性がいる。大きな狐耳が特徴的な看護師だ。


「まだ声を出すことは無理よ。大怪我だったんですからね。今は眠りましょう」


 声がでないもどかしさはあるものの、酷い頭痛がする。

 眠気もまだ取れない。

 レナは懇願するかのようにアンジに手を伸ばした。

 アンジはすぐにレナの意図を悟り、手を握り返す。


 ほっとしたかのように眠る少女。

 頭痛がするので目を瞑っただけなのだが、二人は眠ったと思ったらしい。会話が聞こえてきた。


「脳の損傷で声がでない? どういうことなんだペトラ」


 ペトラと呼びかけられた看護師は少女の容態について話し始めた。


「ブローカ失語症という症状です。頭に強い衝撃を受けたせいで、左脳のブローカに損傷が見受けられます」

「治療できないのか?」

「脳の構造は複雑です。腫瘍などが原因の場合は脳外科手術という方策もありますが、今回のような事故では……」


 申し訳なさそうに謝罪するヴァルヴァの看護師。


「俺のせいだな…… もう少しうまくやっていればこの少女をこんな目に遭わせずにすんだ」

「違います。この少女が生存していること自体奇跡のようなものなのです。それを理解してください。あなたはこの少女の命を救った英雄なのです」

「俺が英雄? そんなものには程遠いが…… 奇跡が起きたというなら五体満足でいて欲しかった」

「あなたがいなければこの少女は溶融炉に投げ込まれていたのです。そもそも半身麻痺になっていてもおかしくなかった。ご自身を責めるのはやめてください」


 自責の念に苦しむアンジを看護師が必死に説得している。


(そのとおりだよあんじ。わたしはあなたとらくしゃすがいなければとっくにしんでいた)


 そう話し掛けたいが声もでないし、なにより目を覚ましたことを告げると二人は気まずいだろう。レナはそのまま寝たふりをする。


「その……ブローカ失語症というものは言葉がわからなくなるのか?」

「言葉の意味は理解しますが、声に出せないという症状ですね。症状も人によって異なりますですが」

「なんとか会話できるようにして欲しい。この子の人生は長い」

「この少女は私が――私達が責任をもって治療を続けます。ブローカ失語症は地道なリハビリが効果的です。脳には可塑性かそせいという能力があります。損傷した部位を補い、補完することが可能な場合が多いのです」

「では俺がつれて行くことは無理か…… 助けておいて無責任な話だが、俺は理学療法士とは無煙だからな」


 傷付けてしまった少女をなんとかしたいと考えるアンジ。

 当時のレナにはその気持ちだけで十分だった。


「不可能です。私はあなたの立場を理解しています。――私達が寄り添います。きっとこの少女が普通の人生を送れるように」

「頼むよ。できれば最良の養親を探して欲しい」

「はい。必ず。あなたの期待を裏切るようなことは決してないよう、私やヴィドルド少佐が最善を尽くします」


 レナは目を瞑りながら耳を傾ける。理解できないことも多いが、廃棄物である自分の身を案じていることだけは確かだった。


「アンジ。ペドラ」

「ヴィドルド少佐!」


 ペドラが立ち上がり、敬礼してこの部隊の指揮官を迎える。




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