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第85話 レナ10

「ヴァルヴァの子供はあの子たち以外にも三十名ほど保護した」

「そんなにいたのか」

「捕まえた兵士に吐かせた所、食用や猟銃の標的用として用意されていたそうだ。安心しろ。もうそんな目に遭わせたりはしない」

「頼んだぞ」

「この場に展開していた部隊が撤退した理由もわかった。この場所にきていた要人百名弱が全員消息不明になったらしい」

「連中か。見学用の宇宙艇ごと溶融炉に落としたぞ。この子を助けるために必要だった」

「……そうか。のちのち厄介なことになるかもしれん」


 よほどの要人だったのだろう。ヴィドルドの表情は暗い。


「俺のせいにしておけ。後悔はないさ」

「あとで詳細を聞かせて欲しい。今はその子の傍にいてやってくれ」

「助かるよ」


 どうやら他のヴァルヴァの子供たちも助かったらしい。


(らくしゃす。きこえる?)

(当機との脳に負担がかかります。会話は控えてください)


 ラクシャスの声が以前よりも鮮明に聞こえる。


(おねがい。さいごかもしれないから。いつかあなたたちにおれいがしたい)


 今の彼女に出来ることは何もない。アンジたちがすぐに移動するであろうことは理解できた。


(当機と搭乗者である月守安司は見返りなど求めません)

(あんじにはあなたからおれいをつたえてほしいの。わたしはもうことばがはなせないかもしれないから)

(その提案は拒否します。あなた自身がその病苦を克服し、その口で礼を告げるべきです。それがアンジが抱いた苦悩を取り除くことになるでしょう)

(わかった。でもおねがい。あなたたちはいってしまう。これでさいごかもしれない。はなしておきたいの。わたしはなにかしたい)


 少女が食い下がる。少女の意志に真摯に向き合うラクシャス。


(不要です。未来では当機が残存する可能性も少ないといえるでしょう)

(それでも)

(――予測される未来。当機がいない一人になった搭乗者アンジにあなたが寄り添ってください。今あなたの傍にアンジがいてくれたように)

(あんじはひとりになっちゃうの?)

(あなたとおなじように当機と会話できる少女がいます。その少女を守るために搭乗者は一人になる道を選ぶでしょう)

(なんでそんな……)

(これ以上の会話は無用。今あなたに必要なことは睡眠を取ることです。眠りなさい)

(ありがとうらくしゃす)


 無機質な声には不思議と優しい。少女はようやく眠りにつき、目を覚ました時にはアンジとラクシャスはいなかった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 その後モレイヴィア軍が救出した子供たちの里親を探した。

 三ヶ月後、レナには思いがけない人物が手を挙げた。

 この国の重要人物である女傑、リヘザ教授だった。


「君はレナと名付けよう。君の人生が美しく、輝くように」


 その日からレナとリヘザの生活が始まった。

 彼女の生活は主に看護師のペトラだ。リヘザとは大学の恩師と教え子にあたり、レナについて話したところ養子に引き取ると言い出したのだ。


 ペトラはリヘザと一緒にリハビリを行った。ブローカ失語症は脳の単語と口にする言葉が結びつかない、高次機能障害であり運動性失語ともいわれる。

 症状の改善には地道なリハビリと投薬治療が必要だった。


 今日も同じような訓練を繰り返す。

 ペドラが問いかける。


「レナ。あの光景を表現できる?」

 外で飼い犬が飼い主を追いかけている光景をレナとペドラは一緒に見ていた。

 レナはその状況を声にだす。

「ヒト が イヌ 追う」

 そう表現してまう。これはブローカ失語症。運動性失語の典型的な例であり、レナが意図した内容とは異なる言葉を発してしまったことを意味する。

「イヌがヒトを追う、のよ」


 ペドラは優しく訂正する。レナはうまく表現できなくて、もどかしい思いに苦しめられていた。そしてそれさえも表情に出せない。

 そんなレナに優しくペドラは寄り添い続けた。

 きついリハビリはなく、優しい音楽を聴いた。絵を描くことも進められた。


 単語や文章の発音を繰り返す特訓。文章構成の練習。会話のトレーニング。地味だが辛いリハビリが続いたが、レナは弱音も吐かず向き合った。


 リヘザの養子になってから一ヶ月後、もう一人養子がやってきた。

 リヴィアと名乗る少女は彼女と同じく廃棄物扱いを受けていた身であり、美しい銀髪の持ち主だった。


「レナのことは聞いているよ。ボクは保護者に捨てられてさ。よろしくね」


 男の子のような口調で話し掛けるリヴィアに、レナは首を縦に振る。


 当初はリヴィアとの接触は少なかった。リヴィアもひどく心に傷を負っているような状態だとレナにも理解できた。

 勉強時のみリヴィアとレナはペトラから同じ部屋で学んでいた。


 レナは一年後に、カタコトで話せるまでに回復していた。

 リハビリと座学に専念する。絵を描くことはもちろん、趣味としてフーサリアのプラモデルを欲した。

 指先を使う作業はリハビリによく、フーサリアのプラモデルも買い与えられた。


「先生。相談があります。レナのリハビリは引き続き私が行いますが、授業は他の方を雇用してください」

「どうしたいきなり。あの二人の授業態度に問題が?」

「いえ。まったくありません。単に……その。すでにあの二人に私が教えられることはありません…… 医者ではありますが教師ではないので教え方がわからないのです」


 恥ずかしそうにうつむくペトラ。


「座学だけならあの二人はモレイヴィア大学に入学も可能かもしれません」

「冗談は寄せ。君は私の教え子でも優秀な生徒だ。まだあの子たちは十歳にも満たないんだぞ。リヴィアは七歳、レナは六歳ぐらいのはずだ」


 工場生産の二人には正確な生年月日がない。外見から遺伝子情報で仮登録されているだけだ。


「私が冗談でこんなことをいうと思いますか?」


 ペトラに見つめられたリヘザが言葉に詰まる。


「そこまでのものか?」

「可能性の塊ですよ。学力を伸ばすためにも優秀な教師が必要です。先生自身の指導はまだ早いと思いますが」


 眉をしかめて考え込むリヘザ。


「選任の家庭教師を手配しよう。形だけでも中学、高校にいかせたほうがいいな」

「それも早めに。あの子たちにとっては苦痛になるかもしれませんね。教えすぎました。申し訳ございません」

「なにをどうやったらそうなるんだ」

「あの子たちは何かに急かされているかのように、勉強するんです。教えた授業からその日のうちに予習してしまい、次の次を見越して学習を終えています。それはもう貪欲に」

「目標があるというのも良し悪しだな」


 リヘザが苦笑いする。二人が抱いている焦燥感の理由は理解している。

 アンジという男の死刑判決だ。死刑にならないとは言い聞かせても、彼女たちは未来に備えて勉強しているのだ。

 おそらく二人はアンジという接点があることを知らないだろう。


「他者との交流という面でも学校は必要です」

「わかった。引き続きレナのリハビリは頼んだよ」

「アンジに託された子です。私にやらせてください」

「手のかからない、優秀すぎる子供をもって私も幸せ者だ。しかし優秀すぎるというのも考え物だな」

「同感です」


 二人の保護者は少女たちの未来を案じていた。 



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