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第21話 思い出


 大昔の人たちは魔物の脅威から逃れるため、地上から世界樹の枝へと生活拠点を移した。

 閉鎖的な環境になりがちな枝の上っていう性質上、それぞれの枝で全く異なる独自の文化を築いてる場合がほとんどらしい。

 こっちの常識があっちでは通用しない、みたいなのはよく聞く話で、娯楽小説とかじゃよくトラブルのきっかけになったりもする。

 でも一方で、だいたいの枝で共通してることも結構あるみたいで。


『絶対に近寄ってはならない危険スポットがいくつかある』


 っていうのはどの枝も共通のあるあるらしい。

 それは、龍神様以外何一つ特徴のないこの止まり木村も当然例外じゃなかった。


 危険な場所として代表的なものの一つが、『枝先』と呼ばれる文字通り枝の先端部分だ。

 枝先はただでさえ細い足場に加え風の影響を受けやすく、不安定だから不慮の事故が起きやすい。

 だから村の人は滅多に寄りつかないし、親は子どもに口を酸っぱくして近づくなって再三教え込む。……だからこそ私はひと気のないこの場所を好んで訪れてたわけだけど。

 確かに自分自身、不意の突風とかでヒヤッとする瞬間が何回かあった。


 そしてもう一つの危険スポットは、枝の両側面にある。

 これも文字どおり、枝の縁だから『枝縁』って呼ばれてる。

 言うまでもなく枝は円筒状になっていて、両端へ行くにつれてどんどん傾斜がきつくなってくる。

 足を滑らせてしまえば当然真っ逆さまだから、やっぱりみんな滅多なことがないと近寄らない。


 お母さんはこのうちの後者、枝縁で滑落して雲海の彼方へと消えていったらしい。

 当時、私が聞き込みで得た唯一の情報だ。


「目撃者がいたということか? 誰も寄りつかないというこの場所で」


 ここまでの説明を聞いたヤトの質問に、私は枝縁に沿って並ぶ金属の棒とロープの柵を眺めながら首を横に振った。


「ううん誰も見てない。ただ、お母さんの履いてた草履が柵に引っかかってたんだって」

「ほう」

「本当に事故だったのかとか、なんでこんなところに来てたのかとか、なんで柵があるのに落ちたのとか、そういうのは誰も知らなかった」

「……」

「……みんな、気にしてもなかったよ」


 私の場合は不出来だから特に嫌がらせがわかりやすくて露骨ってだけで、巫女として優秀だったお母さんだってお世辞にもいい扱いとは言えなかった。

 私には見せないようにしてたっぽいけど、今思い返すと心当たりはいくらでも出てくる。

 だからこの事故が曖昧なままなんとなくで済まされたのも、ごく自然で当たり前の流れだったのかもしれない。


「愚かだな。何かあれば明日は我が身とは考えないのか」

「“巫女は特別”だからね」

「ふん、思考放棄をするにはちょうどよい言い訳というわけだ」


 いつにもましてヤトの言葉は手厳しい。

 冷ややかな表情もどこかいつもと違うように思えた。


「サチカの履物が見つかったというのはどこだ」

「そこ、ちょっと他より斜めになってる棒が二本あるでしょ? そこの根元に引っかかってたんだって」

「今の話を聞いた後では、ずいぶん都合のよい話に思えるな」

「うん。それが見つかったのもお母さんがいなくなってから一週間後らしいからね。ただでさえここは風が強いのに、その間ごく普通の形の草履が大した出っ張りもない棒にずっと引っかかってたっていうのは考えにくいし」

「仮に誰かが仕組んだのだとしたら、あまりにも杜撰だな」

「……詰める必要なんてなかったんだよ。私たちの時と同じ」

「……はっ、なるほどな」


 思い出すのは私とヤトの処遇を決める会合での一幕。

 衛兵家系のソウタさんが、話し合いの流れを無視して強硬策を取ろうとした時のこと。



『ズズ……なに、村の奴らにゃこう説明すればいい。『巫女と侵入者が暴れ出したからやむなく対処した』ってな』

『しかし……』

『じゃあこうでもいいぜ? 『武器を持ったソウタを止めることなんてできなかった』』

『………………』


 誰も、何も言わなかった。

 目だけが忙しなくお互いを見合って、やがて何かを決めたように再び私たちへと視線が注がれる。


『……へっ、決まりだな』



 あれと同じだ。

 その場にいる大半が望んでることなら、どんなことだって黙認される。

 あの時間違いなく理不尽な状況にも関わらず私が早々に諦めたのは、察したから。

 当時お母さんに何があったのかは知らないけど。

 きっと、こうやって同じようになかったことにされたんだって。

 数の暴力にはどうやっても抗えないんだって。


「しかし、だとすればおまえはどうするつもりだ? 仮に貿易家系の家で何かを見つけたとして、糾弾したところでまた黙殺されるのが精々だが」

「散々人のこと焚きつけといて、今さらそういうこと言う?」

「俺はおまえの矛盾した態度を言葉にして、どうしたいのかを聞いただけだ」

「そうかもだけどさぁ……」


 なんかずるいなぁ。


「……どうするかなんて、まだわかんないよ」

「……」

「でもさ。何をするにしても本当のことは知っておきたいの。中途半端にモヤモヤしてるのは嫌だし、もし私が考えてる陰謀みたいなのが全部妄想なんだったら、貿易家系の人たちに申し訳ないし」


 そう言うと、ヤトは少し呆れたような顔をした。


「粗末な扱いをしてくる者どもに申し訳ないも何もないだろう」

「いや、それとこれとは話が別じゃん」


 表情の変化が乏しいヤトだけど、最近はちょっとだけ細かい違いがわかるようになってきた。

 今度は『心底理解できない。何言ってんだこいつ』って思われてるみたい。

 ……うん。今のは誰でもわかるし、わからない方がよかった気がする。

 さすがに心外だったから口早にまくしたてる。


「だ、だってそうでしょ⁉ お母さんのことが勘違いだったら、少なくともその分だけはあの人たちのこと許せるようになるじゃん!」

「――……」

「や、何、絶句しないでよ……私そんな変なこと言ってないよね?」


 読み取るまでもなく驚いてるっぽいヤトの顔を見てると自信なくなってきた。

 弁明したつもりが、なんか余計に悪化してない……?

 よくよく考えたら私ぼっちだから、考え方が世間離れしてるかどうかなんてわかんないもんなぁ……。


「……許す?」

「うん」

「貿易家系は、おまえの敵だぞ?」

「ううん。嫌いだけど、敵じゃないよ。……まだ、だけどね」


 いよいよ『わけわからん』の最上位まで到達したのか、一周回ってヤトの眉が厳しくつり上がった。何も睨むことないじゃん……。


「さっきからどうしたの? ちょっと変だよ」

「……おまえに変だと言われる筋合いはない」

「なんでちょっと不機嫌なのさ」

「見当違いなことを言うな。……おい、巫女。ここにはもう用などないだろう。戻るぞ」

「あ、ちょっと――」


 言うが早いか踵を返して、さっさと一人で歩き始める。

 すっごいわかりやすく不機嫌じゃん。しかも若干子どもっぽい方面で。

 なんで?

 ヤトはたまによくわかんない。


「待ってよ、も~」

「……」


 隣に並んで見た彼の顔は、不機嫌っていうより少し思い詰めてるように思えた。

 何に?

 龍神様だったっていう話を抜きにすれば、ヤトとは十日経つかどうかって程度の付き合いだ。当然彼の考えてることに心当たりなんかない。


 ……考えてみれば、ヤトのことなんにも知らないなぁ。

 もともと彼の正体を確かめるために居候させるって決めたのが始まりだったのに。

 そこらへんなぁなぁになってるよね。


「ヤトは、さ。お母さんのこと……どう思ってた?」


 口に出してから止めとけばよかったと後悔した。

 気になると同時に、聞くのがちょっと怖い。


「俺が龍であると信じていないのではなかったか? 数日前に侵入してきた不審者がおまえの母親を知っているわけがないだろうが」

「あ~……まあ細かいことはいいじゃん。今だけ信じてあげるからさ」

「ふん、都合のいいことだな」


 でも言っちゃったものは戻せない。気になるっていうのはほんとだし。

 いつもの軽いノリで進めたら、小バカにしたような顔とともに肩を竦められた。


「……どうと言われても、曖昧で答えようがないな」

「なんでもいいよ。いくら人間に興味ないって言っても、ずっと世話役としてそばにいたんだから何も思わないってことはなかったでしょ。……ないよね?」

「短命な人間と長命な龍では時間の感覚が違う。俺の基準ではずっととは言えん」

「じゃあ何も思わなかったの?」

「ないことはない、が……」


 顎に手をやって言葉を探すヤトを待つ。

 ヤトは意外と律儀だ。

 なんだかんだ言いながら、真面目に答えようとしてくれるあたりとか。


「……そうだな」

「おっ、何々?」

「おまえと逆でいちいち距離感の近い女ではあった」

「近い?」

「俺は言葉を交わせないというのに延々と話しかけてきた。鱗磨きだろうが洞の掃除中だろうがお構いなしにな。よくもあそこまで話すことがあるものだと感心するくらいにな」

「あはは……」


 ヤトの疲労混じりの声と顔が「苦労させられた」と雄弁に語ってる。


「お母さんってさ。外面はすごく大人なんだけど、家族とかにはぽわぽわした構ってちゃんになるからね」

「同意だな。あれはやけに世話を焼きたがった。挙句の果てには人間の言葉を教えてやるなどと言い出して、暇さえあれば本の読み聞かせをしてくる始末だ。……俺は眠りたいというのに耳元で延々とな」


 おかげでこうして当たり前に話せる程度には人間の言葉を習得してしまった。

 よっぽど困ってたみたいで、そう続けるとヤトは実感のこもったため息を吐いた。


「あ、その話前に聞いたことある! 童話を読んであげたら鼻息で吹き飛ばされたって落ち込んでたよ」

「当たり前だ! ……奴め。あろうことかこの俺を子ども扱いするなどと――っ」

「……ふふ」

「何を笑っている。俺が困るのがそんなに面白いか」

「ああごめん違うの。気にしないで」


 思えば。

 肉親以外の誰かからこうしてお母さんの話を聞く機会なんか、今まで一度もなかった。

 新鮮で、あとちょっと嬉しい。

 憎まれ口を叩きながらも、ヤトの口調はどこか温かい気がするから。


「……サチカが俺のもとへ来なくなって、代わりに娘であるキリノが来るようになった。その娘は沈痛な面持ちで母親のことを語ろうとはしない」

「……」

「ふん、ある程度は察していたがな」


 お母さんがいなくなって数日した頃、枝震が起きた。

 原因は、枝全体が揺れるほど大きな龍神様の咆哮。

 私が龍神様の声を聞いたのは、後にも先にもこの一度きりだ。


「そっか」


 風が吹く。

 あまり嗅ぎ慣れない土の匂いが鼻腔を抜けた。

 程近いところに見える畑に、人はいない。

 戻る先の村もまだ遠い。


 ここは世界樹の枝の縁。

 誰もいない、小さな世界の端っこ。


「……そっか」


 口の形に迷って、結局私は同じことを呟くに留めた。

 隣を歩くヤトの目は、まっすぐに前を向いてる。

 彼の目がわずかでも潤んでいたなら。

 私は、この頭にしがみつく疑問を口にできただろうか。


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