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第20話 日常と非日常


 太陽がまだかすかに気配を匂わせるだけの早朝。

 青みがかった世界の中で私はベッドから起き上がる。

 着替えはいつもの巫女服……じゃなくて他の村の人が着てる、小袖に似たもっと動きやすいものを選ぶ。

 まだヤトが寝てる部屋、そして居間を素通りして玄関の扉を開ける。


 外もやっぱりまだ薄暗かった。

 人の気配はもちろん、鳥の声すらまばらで風は冷たく頬を撫でる。

 最近本格的に下がってきた気温でちょっとうってなりながらも、私は身に染みた習慣に背中を押されて歩き始めた。


 祠を抜けて辿り着いたのは世界樹の洞――今は誰もいない龍神様の寝床だ。

 私は大きな空間にちょこんとある祭壇の中を漁って、いくつかの祭具を取り出す。


「はぁ……やるか~」


 そのうちの一つ、棒にたくさん鈴のついた祭具を握りしめ、見つめる。


「……ごめんなさい」


 この後にすることへの罪悪感に堪えかねて一言呟き。

 面倒臭がる気持ちが眠気で鈍ってるうちに、私は年季の入った鈴音を響かせ始めた。



   ◇ ◇ ◇



 舞の稽古をひと段落させて祠を出たのはそれから二時間後のこと。

 朝日はすっかり顔を出してて、燭台だけが光源の薄暗い洞で慣れた目には刺激が強い。


「ん~あさ~っ」


 ぎゅーっと伸びをする。

 筋肉の間に挟まった疲労が逃げてくみたいな感じがすごく気持ちいい。

 こういうのも含めて、舞自体は苦手だけど稽古の方は嫌いじゃなかった。

 もともと体を動かすのは好きだし、不出来な私は反省点を探すのに忙しくて余計なことを考えずに済むから。


「にしても。……な~んかしっくりこないんだよなぁ……」


 イマイチだった稽古の内容をぼやきながら短い帰路につく。

 再開してからこっち、体の動かし方に違和感が拭えない。

 村の侵入者、つまりヤト関連のゴタゴタで日が空いたせいってのもあるけど。

 多分、単純に寝不足な日が続いてるからだろう。


『ライヒ様の家に忍び込む』


 そうと決めてから数日経った。

 あれから頭の中はずっとそのことばっかりで、どうするこうするって脳内会議をずっと繰り返してる。

 大元の処刑の話とか他の不安材料も相まって、健康的な夜は遠い。

 幸い、稽古の最中はちゃんと切り替えて集中できてるけど。


「体の疲れまではどうにもならないもんねぇ……」


 呟きとともに帰宅すると、自宅横の空き場でヤトが陽の光を浴びるように両手を少し広げて立ってるのを見かけた。

 ちょっと前までの彼ならまだ寝こけてた時間だ。


「おはようございます、ヤト様」

「……ん、おお」


 ヤトは相変わらず「おはよう」とは返してくれない。

 まだいるだろう監視の目――多分ライヒ様以外の誰か――を気にして巫女として接する私を、彼は一瞬だけ目を開けてチラッと見た。


「もうそんな時間か」

「ええ、そんな時間です。今日の塩梅はどうですか?」

「……相変わらず陽射しは少し弱いが、季節を考えれば上々な部類だ」


 ポツリと言って、また彼は日光浴に没頭し始めた。

 なんとなく彼の隣……から一歩分離れたところに並んで、私も真似してみる。

 秋へと季節が移り変わって本格的に冷え込んできたっていっても、日光に当たっていればそれなりにまだ暖かい。

 暖かいんだけど、ねえ……。


「……本当にこれが龍の力を取り戻すのに一番効率いいんですか? ただの日向ぼっこにしか思えませんが……」

「効率に関してはすでに話したはずだ。あと日向ぼっこは止めろ。恰好がつかん」


 ヤト、案外そういうの気にするよね。

 でもここ数日やってることが、

 日向ぼっこ!

 食べる!

 寝る!

 ……だからなんていうか、すごくおじいちゃんっぽいんだけど。


「ひな……日光浴してるなら、うちの壁の色塗りでもしてくれませんか?」

「壁?」

「はい。塗装が剥げてまたあれが見えてきてしまったので」


 指さした先の白い壁は、よく見ると薄っすら何かが透けてる。


「何か描かれているな。なんだ?」

「落書きです。定期的に塗り直さないと昔描かれたやつが浮き出てくるもので……」

「ほう」

「最近飽きたのか新しく描かれないだけまだマシなんですけどね。落ち込んでいる時に見かけてしまうとさすがにちょっとしんどいというか、心に来るものがありますから」

「そうか。考えておく」

「了承はしていただけないのですね……」


 はぁ、とため息を吐いてるとまたヤトが目を開けて私を見てきた。

 ……て、ちょっと不機嫌そう? なんで?

 今不機嫌になるの私の方だと思うんだけど。


「おい、なぜ俺から距離を取っている?」

「へ? ああいえ別に大した理由なんて――」

「不愉快だ。こっちに来い」


 いつかの日みたいに腰に手を回されて乱暴に引き寄せられる。

 ヤトの整った顔が迫って私は焦る。

 ときめいたとかライヒ様みたいな色恋的な話じゃないっていうか待ってそれどころじゃなくて今は近寄んないで!


「や、ちょ――」

「ん?」


 割と本気の抵抗をしてると、ヤトが何かに気づいたように声を上げた。


「……ああ、なるほど。汗を気にしているのか」

「ば、ぁ――!」


 ヤトに回された手の間に挟まる、湿って肌に張りついた服の感触をことさら強く意識させられて。

 私は思わず手を突き出した。


「少しは乙女心を学べバカぁ!」

「必要性を見出せんな」


 ひらりとかわされた隙に全力で身をよじって拘束から脱出。

 思いっきり離れて睨みつける。

 ヤトが強者の余裕とでも言わんばかりの表情をしてるのがムカついた。



   ◇ ◇ ◇



 ヤトのデリカシーのなさについて、たっぷりお説教しながら家に戻る。反応を見た感じ、効果は多分ない。

 いったん湯浴みで汗と一緒にしょーもない怒りを洗い流しちゃって、何事もなかったみたいに二人で朝食を囲んだ。


「ところでキリノ」

「何?」

「鍛冶屋の店主に取り入る算段はついたのか? 決まっているのなら詳細を教えろ」

「……取り入るって言い方なんか嫌なんだけど」

「事実だろう」

「そうだけど。……ん~と、まあなんとなく世間話から入ってみよっかなって」

「なるほど。無策ということでいいか?」

「……悔しいけど否定できない」


 私が首を垂れると、現状唯一の協力者は鼻を鳴らして鷹揚に頷いた。


「ふん、素直なのはいいことだ。精々励むといい」


 相変わらず無意味に偉そうなヤトにムカついて、またちょっと喧嘩した。



   ◇ ◇ ◇



 朝食後はまた舞踊のお稽古と日光浴で別れて、昼からはヤトとともに村へと向かった。

 目的は貿易家系の豪邸へ忍び込む前の下準備と……後は単純に食料の買い出しだ。

 二人分になったから食材の減りも早いんだよね。


「昼間から出歩いて巫女の仕事は大丈夫なのか?」

「前にも言いませんでしたっけ? 今ヤト様とこうしてるのが仕事ですので」


 今日もあくせく畑で働いてる農耕家系の人たちを横目に質問されるけど、こっちとしてはこう答えるしかない。

 実際事実だけど、こうして何もない道をのんびり歩いてるとちょっと後ろめたさもあったり。あらためて巫女の仕事って龍神様ありきなんだなぁ、なんて。


「村の人たちに『龍神様依存からの脱却を!』ってずっと言ってきましたけど、実は一番依存してるのって私なんですよね」

「家に割り当てられた仕事なのだろう。仕方あるまい」

「そうなんですけどね。イマイチ説得力に欠けるなあ、と」


 とか話してるうちに村の中心部へ。

 相変わらず通り過ぎる人たちの目は厳しい。

 案の定、先日の顔合わせの効果は薄かったみたい。

 監視役は別にいるのに、村の人全員がそうだって言わんばかりに鋭い視線を向けてくる。

 ここまでの状況になっちゃうと、さっきみたいな話も迂闊にできない。


「で、侵入の下準備とは聞いたが、具体的に何をするつもりだ」

「ちょ、声潜めてもらえます⁉」


 ……できないんだけど、残念ながらヤトは空気が読めない。

 慌ててヤトの口を手で塞ぐ私を、村中全員のって言ってもいいくらい注目が集まった。


「そうやってキョロキョロしている方がよほど怪しいぞ」

「そうさせたのは誰ですか……!」


 空気が読めないっていうか読む必要がないとか思ってるんだろうな。

 小さくため息を一つだけ吐いて、声を潜めながら話を戻す。


「……下準備っていっても大したことじゃないよ。鍛冶屋の店主さんにアプローチしてみるってくらい。あとはちょっとあの家の周辺とか心当たりとかを軽く見回ってみようかなって」

「ほう。見回りついでに聞き込みでもしてみるか?」

「ヤト、わかって言ってるよね? 村で信用のない私たちが下手にそんなことしても、かえって状況が悪くなるのは目に見えてるでしょ」

「ああ。そうだろうな」


 そもそも。

 意味がないってことは、もうすでに身をもって経験済みだ。


「……実は聞き込み、お母さんがいなくなった時にもうやってるんだよね」

「ほう。成果はあったのか?」

「あんまり」

「つまり少しはあったということか?」


 ヤトの疑問に私は頷く。


「うん」

「何がわかった?」


「お母さんが死んだ場所」



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