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第30話 父親


 牢獄に囚われてから何日経っただろうか。

 枝の中にあるこの場所は陽の光が一切入らない。

 昼も夜も曖昧に暗闇へと溶けてしまって、今がいつの何時なのかまるでわからない。


「さあ、どうだろうな。数十年は経っていないと思うが」

「何それ。龍神ジョーク?」

「永く生きている身からすれば数日程度の時間経過など誤差。つまりはわからんということだ」

「そ」


 反対側の牢屋で泥に塗れたヤトが肩を竦めたのが、格子に引っ掛けた提灯に照らされて見える。

 慢心なのか私を捕まえたのがよほど嬉しかったのか知らないけど、ドロテアに持ち物を取られることはなかった。

 でも懐中時計はどこかに落としちゃったみたいで、いくら懐を探しても見つからなかったから時間はわからない。

 あれ、結構大事にしてたんだけどな。


「ヤト、龍に戻れないの? ここばーんと壊しちゃってよ」

「まだ無理だな。仮に戻れたとして万全ではない張りぼて、この狭さでは窒息するのが関の山だろう」

「そ。龍ってもっとすごい生き物かと思ってた」

「今は人間の身に収まる程度の力しか残っていないと言っただろうが。イライラしているからと俺に突っかかるな」

「イライラなんて――っ! ……はぁ、そうかも。ごめん」


 情緒不安定な自覚はある。

 反論しようとする口を強引にねじ伏せて、私は自分の手元に視線を戻した。

 皮張りの本が私の手に収まってる。


「おまえこそ父親の日記を読んでばかりいるが、何か手立ては見つかったのか?」

「……手立てって?」

「とぼけるな。わざわざこの家に保管されていたくらいだ。この家――貿易家系の奴らに一矢報いるような情報はないかと探っていたのではないのか?」

「……ん」

「……ふん。表情から察するに、書かれていた内容は吉報ではないらしいな」


 わかったことならある。

 あまり、知りたくないことだったけど。


「お父さん、多分裏切ってた」

「……なに?」

「あの人……この家の奴らの回し者だった。騙されてたの」

「騙されていただと?」

「お母さんと、私。あはは、バカみたいだよね」

「どういうことだ?」


 続くヤトの問いは寒さにかこつけて鼻をすすり、笑って誤魔化した。

 そのまま私は日記を埋める流麗な筆跡を追いかける。


――――――――

 皐の月15日


 婚姻を交わしてから、一つわかったことがある。

 僕の伴侶、巫女家系のサチカという人間は、外ではしっかりとした性格に見えるけど家の中ではかなり隙が多い。

 彼女は典型的な身内に甘い性格で、聞けば大抵のことは教えてくれる。

 まだ一か月しか経ってないのだから身内というには早い気がするけど、まったくもって巫女家系の人間は理解しがたい。

 僕の実家である農耕家系の奴らとは真逆、龍神の世話なんて特別で楽な仕事しかしてないからか、ずいぶんお気楽だ。

 農耕の方では「見て覚えろ」、「仕事がすべて」だから、体が弱く立場も弱い僕には息苦しくて仕方なかった。

 もっとも。

 だからこそ、僕は巫女家系の婿として選ばれたのだろう。

 巫女家系への婿入りは、建前上盛大に祝いこそされるけど要は体のいいお払い箱で、毎回ひ弱な男が選ばれる。

 つまりは厄介者同士まとめておこうっていうわけだ。

 いずれにせよ僕には関係ない。

『巫女家系の監視と報告』

 できないなりに、言われたことはやる。

 環境が変わっても何も変わらない。

 それだけの人生だ。

――――――――


 どこかに勘違いだって言えるような証拠がないかって祈りながら、ひたすらにページをめくり続ける。

 ヤトにはああ言ったけど。

 私はどうしてもお父さんが私たちを裏切ったなんて信じられないでいた。

 書かれているのはどれも諦観とどこか皮肉の入り混じった内容で、まるで思い出の父の姿とは重ならない。

 でも書かれてる心境はどこか今の私と通ずるところがあって、血のつながりを強く感じてしまう。

 間違いなくお父さんのものなんだって思ったら、冷たい筆跡がつららみたいに突き刺さっても止まることなんてできない。

 痛みと共感に苛まれながらめくり、めくり、最後のページへ辿り着く。

 書かれた内容は、少し字が乱れて短かった。


――――――――

 葉の月23日


 最近サチカに体の不調が続いていると思ったけど、どうやら子を宿したらしい。

 体の弱い僕だから、正直期待はしていなかった。

 これから忙しくなる。

 何はともあれ、まずは大叔母様……正確にはその背後に控えるドロテア様へ報告しなければならない。


 巫女家系に子どもができたのだと。


 吉報としてではなく、凶報として。

――――――――


「……これもうトドメだよね」


 呟く。

 お父さんにとって、私が産まれたことは祝うべきことじゃなかった。


「あーそうなんだ。そっかぁ」

「おい、いきなり笑い出すな。気味が悪い」


 いや、こんなん笑うしかないって。

 私は表紙の端をつまんで乱暴に振るってみせた。


「ヤトもこれ読む?」

「……見せてみろ」

「いいよー」


 通路を挟んで反対側の牢にいるヤトへ雑に投げ渡そうと振りかぶって。

 でも結局そうはできないで、お互いに精一杯腕を伸ばすことでどうにか手渡した。


 黙々とヤトが日記を読んでる間、私は汚らしいベッドに体を投げ出して無理に何も考えないように努めてた。


「……こんなものが、人間の親子か?」


 失望したようなヤトの呟きを聞いて、私の中で何かが急速に膨らんでく。


「さあね。もう私にもわかんない」


 きっとよくないものだけど、今の私には抗えない。

 私は仰向けに寝転がったまま、腕で顔を隠しながら口に弧を描かせた。


「でもほんとくだらないよね~。なんでこんな奴信じてたんだろって自分が情けな――」

「キリノ、やめておけ」


 途中で遮られたことが妙に腹立たしく感じて、私は勢いよく体を起こしてヤトを半ば睨むように見た。


「……何が? なんで?」

「勘違いだった時に、後悔するぞ」

「――……。なんでそんなこというの? ヤトだって今がっかりしてたじゃん」

「俺は俺だ。この日記を書いた男の子ではない」


 まただ。

 あの紅い目で、私を見てる。

 そうされると、私は自分の振る舞いがどうにも気になってしまって、居心地が悪くなる。


「……後悔なら、今してるんだけど? なんでお父さんを信じてたんだろって」

「一度信じたのなら、そう簡単に翻すな」

「綺麗事言わないでよ。だって私が産まれることは凶報だって書いてるんだよ?」

「ああ、書いてあるな」

「それでも信じろっていうの?」

「ああ」

「……もしかしてヤト、何か知ってるわけ?」

「いや、おまえたちに関しては知らん。だが俺は俺の経験を信じている。それに基づいてその方がよいと言ったまでのこと」

「……何それ。押しつけないでよ」


 口を開くのも億劫になって、またベッドに体を預けて背を向ける。

 話さなくなると遠くで世界樹の道管を流れる水の音ばかりが耳に入る。


『あれからもう何年も経ったけど、今もあなたの母親は体を腐敗させながら世界樹のどこかを流れているのかしら?』


「……ぅ」


 嗚咽が漏れそうになって、思いきり唇を噛む。

 痛みと何かが伝う感触が流れてくけど、今はヤトに聞かれるよりその方がよっぽどマシに思えた。


「……キリノ」


 呼びかけには答えなかった。

 ヤトには悪いけど、話す気分じゃない。

 と思ったけど。

 続けて言われた「誰か来るぞ」という言葉に、渋々私は体を起こして格子に引っ掛けてた提灯を消して懐に隠した。

 多分使用人が食事を運んできたのだろう。

 ちょっと前にも食べた気もするけど、ここは時間の感覚がないからよくわからない。


 ヤトの言うとおり、ギギギ、と鉄扉が控えめに開く音がした。

 続いて誰かの声。


「どうしてわたくしの家にこんな場所があるんですの……?」


 中へと入ってきたライヒ様は、どこか脅えるように呟いた。



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