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第31話 要求


「……ライヒ様?」


 冷えた格子に顔を寄せて確認したその来客は、扉の向こうから流れる燭台の明かりを背にしてて顔がわからない。

 けど豪奢なドレスのシルエット、そしてキンキンと響く声は間違いなくライヒ様……ライヒだった。


「だ、誰っ⁉」


 いつもの偉そうな振る舞いはすっかり鳴りを潜め、彼女はできる限り体を縮めて叫んだ。


「巫女家系のキリノです」

「……キリ、ノ……?」


 恐怖に歪んでた顔が私を見つけるなりキョトンとして、でもすぐにお転婆令嬢っぷりを取り戻す。

 どうやら見知った人間を見つけて安堵したらしい。


「あらぁ。誰かと思えば巫女様でしたの!」


 さっそく私をこき下ろそうと、体を反らしながら恐怖の余韻に引きつる唇で精一杯の弧を作る。


「豊穣祭が迫り、魔物の影もちらつき始めていよいよ重責に耐えきれずに逃げ出したという話でしたけど……まさかわたくしの家にいたなんて思いませんでしたわ」

「なるほど。村ではそういうことになってるんですね」


 このタイミングでヤト共々行方をくらませば当たり前か。

 ドロテアとしてもその方が都合もいいだろうから、もしかしたら噂の種を蒔いたのはあいつかもしれない。


「それで、どうしてあなたがこんなところにいるのかしら? だいたいなんですの? その薄汚い恰好」

「……あなたの大好きな母親から聞いてないのですか? 何も知らないのですね。それとも、これもそういう体ですか?」

「……何、その態度。キリノのくせに生意気よ」

「お言葉ですが、巫女家系と貿易家系はもともと対等の立場ですよ。本来なら私があなたにへりくだる必要なんてありません。今までは絡まれるのが面倒だったからご機嫌取りをしてたところを、あなたが勝手に自分の方が偉いと勘違いしただけの話です」

「ぐっ、この……」


 私が普段と違う反応をしたせいか、ライヒは鼻白んだ。

 あいにく、今はいつもみたいに彼女の承認欲求を満たすのに付き合ってやる気分になれなかった。

 お母さんを殺して私たちをここに閉じ込めたドロテア、その一人娘が相手ともなればなおさら。


「……まあいいわ」

「……」


 へえ、てっきり激昂するものと思った。

 冷静さを欠かせてどうにか牢の扉を開けさせる方に誘導できないかな、とか考えたけど。

 予想外にも彼女は息を整えると努めて落ち着いた態度を装った。


「キリノ、あなたなぜこんなところにいるのかしら? そもそもここはなんなの?」

「ちなみにヤト様もいますよ」

「えっ?」

「ふん。暗所だったとはいえ、こうも無視されるのは好かんな」

「ひっ!」


 背後からの声に文字どおりライヒが飛びあがって尻もちをついた。

 前から思ってたけど、この人は反応がいちいち大げさだ。

 感情がわかりやすいって、貿易家系としては致命的じゃないかな。


「あの、ヤト様……無礼を申し訳ございません」

「構わん。だがここがなんなのかについては、俺たちの方から聞かせてほしいものだがな。おまえの家なのだろうが」

「……わたくし自身、こんな場所があるなんて今初めて知りましたわ。ですが、牢屋なのだから普通に考えれば悪人を閉じ込めるためのものではないでしょうか」


 少し後ろめたさで顔を逸らして彼女は言う。

 その引け目は想い人のことを悪人だと言ってるように思えたからなのか。

 それとも別の何かなのか。

 考えてると、ドロテアと相対した時の怒りがだんだん再燃してきて。


「……悪人なのはあなたたちでしょう」


 浮かんだ言葉を我慢する気にもなれないで、私は口にした。


「……なんのことかしら?」

「とぼけ方まで親子そっくりなんて、笑えないんだけど」


 言い捨てる。


「本当に悪人を閉じ込めるだけならあなたに隠す必要ないでしょ。まあ、本当に隠されてたんだったら、だけど」

「ちょっと、今のはどういう意味ですの? まさかわたくしが嘘を吐いているとでも⁉」

「そう言ったつもりだけど、聞こえなかった?」

「あなた如きが愚弄する気? わたくしが簡単に嘘を吐くような愚劣な輩ですって⁉」

「……愚劣だって言うなら、まさにそうでしょ……!」


 キンキン、キンキンと耳障りな声で……。

 ほんと、こいつら……――!


「この期に及んで高貴な人間ぶらないでくれるかなぁ! あなたは最初だけ親切なお姉さん面で近づいてきて、心を許した頃に態度変えて嫌がらせしてくるような、もとからそういう卑怯な女でしょ⁉ 裏で散々人のこと虐めてたくせに他のとこでは平気な顔でお上品に振る舞ってさぁ!」

「な――っ」


 傷ついたみたいな顔するな、バカ。

 ムカつくから。


「そ、それはあなたが――」

「私がずっと……っ、ずっと、ずっとぉ! どんな気持ちで過ごしてきたか、ライヒは考えたことある⁉」

「はぁ? どの口がそれを言うんですの⁉」

「私たちが何をしたっていうの⁉ 挙句の果てには人の家族を殺しておいて! そんなひどい奴らの何を信用できるって言うのかなぁッ⁉」


「……………………え?」


 不意に始まった言い合い……とも言えない言葉のぶつけ合いはライヒの、今度こそ虚を突かれたというような表情によって、また急に終わりを告げた。


「……え」


 頭の空洞から疑問符だけ転がって出てきたみたいな声だった。

 とても演技とは思えない様子だったけど、信じたいとも思えなくて私はベッドに腰かけて俯いた。


 ――そう、終わりだ。


 嫌がらせなら散々された。

 でもなんだかんだこの人のことは憎み切れずにいた。

 中途半端なところで彷徨ってたけど、もう終わり。

「家族をって……なんのことですの?」

「悪いけど私、親を殺した相手にご機嫌取りできるほど我慢強くないから」

「あ、あなたのお母様のことは事故でしょう……? そのことは気の毒に思いますけれど、言うに事欠いてわたくしたちのせいにするなんて……恥を知りなさいな!」

「へえ、ライヒ様にも気の毒とかそういう感情ってあるんですね。それともこれも嘘で全部演技なんですかね?」

「――っ」


「感情がないのも嘘つきなのもキリノの方でしょうッ!」


 ライヒの目元が濡れて見えて。

 見間違いかと確認するまもなく何かを投げつけられる。

 私の胸に当たって転がった物を拾い上げる。


「……」


 手のひらに収まるサイズの円盤状をした金属のそれ。

 ひっくり返すと橙色に染まった盤上の中心には小さな鉱石が一つ嵌ってる。

 その周囲に中くらいの結晶が一つと小さな結晶が二つ浮いてるのを見て、今が夕方の七時らしいことを知る。


 間違いない。

 ライヒが投げつけてきたのはどこかに落としたはずの、私の懐中時計だった。


「これ……なんで……?」

「なんなのもう……っ」


 貿易家系の豪邸へ侵入する直前にこの時計で時間を確認したのは覚えてる。

 だからこの時計を失くしたのはこの家のどこか。


 ――自分の家にこれが落ちてるのを見つけて、私を探してくれたってこと?


「なんでライヒ様が……?」


 もう一度丸まった背中に聞いても、答えは返ってこない。

 無限に湧いてくると思ってた怒りが戸惑いで鎮火される。

 彼女は必死に抑えようとして上手くいかないみたいに、ただひっひっと上下して嗚咽のような音が聞こえるばかり。

 高飛車で身勝手な貿易家系のご令嬢らしくない。

 まるで私の知らない人みたいだ。


「……」

「……」


 さっきまで順番待ちしてた言葉が全員どこかにいなくなってしまった。

 なんとなくもう放ってしまった言葉の後味の悪さを感じてると、ヤトが「喧嘩は終わりか?」と言った。


「ならば貿易家系のライヒ。おまえに頼みがある」

「……なんでしょう?」


 ライヒ様の絞り出すような返事を気にする様子もなく、ヤトは続ける。


「キリノが気に食わんというのなら俺だけでいい。ここから出せ」





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