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第32話 ひとりきり


「キリノが気に食わんというのなら俺だけでもいい。ここから出せ」


 耳を疑った。

 でも手で覆ってた顔を上げ、少し湿った目を見開いてライヒ様が驚いて振り返ったのを見るに、残念ながら聞き違いじゃないみたいだ。


「……ヤト、何言ってんの?」


 辛うじて口にする。

 でも彼は私には目もくれず、ライヒ様に紅い瞳を向けて続ける。


「おまえ、先ほど魔物の影がどうこうと言っていたな」

「……ええ」


 見つめられたライヒ様は困惑の色を見せながらも咳払いをして村の現状を説明し始めた。


「この二、三日で祠の近く、世界樹の幹をよじ登る黒い影のような異形を見たという者が数名現れまして……」

「なるほどな」

「龍神様のいなくなった影響が本格的に出てきたのではないかと」

「影のような姿をしているのならばまだ幼体だろう。奴らは本能のまま餌を求め世界樹を這いずり回っているからな」

「そう、なのですか? 栄養とは何を指すのですか……?」

「人間」

「ひっ」


 短い悲鳴を上げたライヒ様を見て、ヤトはどこか楽しそうに「正確には魔力だ」と続ける。


「奴らは大き過ぎる魔力を危険と判断し避ける習性を持っていて、龍神――つまり俺の存在が防波堤となっていた。だが今は俺が龍の姿を捨てた影響で力を失っていて、さらにはこのような場所で囚われている。奴らにはとても察知できんだろうな」

「……そ、それがあなたをここから連れ出すというお話となんの関係が……?」


 ヤトは薄っすらと浮かべてた笑みを引っ込めて、まだピンと来てないらしいライヒ様をまっすぐ見つめた。


「単純な話だ。俺をここから出せば魔物の脅威は解決する。いまいち信じられていないようだが、俺はおまえたちが言うところの龍神だからな」

「……」

「だから、俺をここから出せ」


 切り出された本題は私の予想したのと同じ。

 ヤトは大胆にも、村を人質に自分を脱獄させるように交渉する気らしい。


「……」


 私に背を向けたライヒ様の背中はじっと黙り込んでる。

 今までのヤトへ向けてた恋する乙女丸出しの反応を考えれば、二つ返事で了承するかもと思ったけど。

 彼女は意外にもご機嫌を窺うような声色ながらも、控えめに反論した。


「あの、お気を悪くしないでいただきたいのですけど……。ヤト様が龍神様という話を信じるとして、力を失っているというのなら仮にあなたを外へ連れ出しても解決にはならないのでは……?」

「……ふん。さすがに異もなく快諾はしないか。貿易を担う家の娘ともなれば、そのくらいは気づくか」


 ヤトが鼻を鳴らして評価を改める。

 一応褒められたにもかかわらず、視線を逸らしたライヒ様の横顔はなぜか複雑そうに見えた。


「確かにおまえの言うとおりになる可能性はある。もっとも話を聞いた限りでは俺がここへ囚われた時期と魔物の目撃はおおよそ一致しているが……しかしこれもただの偶然と考えられなくもない」

「では――」

「だとしても俺の要求は変わらず、おまえたちの利も揺るがない」


 こんな場所でも、ヤトの顔は自信に満ちてた。


「俺は太陽の光を浴びることで力を蓄えることができる。本格的に奴らの襲撃が来る前には、少なくとも抑止力となる程度は取り戻せるだろう」

「……」

「これがその場しのぎの嘘ではないのは、監視役を買って出たこともあるおまえならわかるのではないか?」

「……ええ。ヤト様がよく日向ぼっこを嗜まれているというのは確かに聞いておりますわ」

「おい、せめて日光浴と呼べ。恰好がつかん。……『ぼっこ』の部分が特にな」

「……はぁ」


 いつかも同じことを言ってカッコつけたがってたな。

 あの時の私は内心笑ってたけど、今の私は心中穏やかには聞いていられなかった。


「ヤト。私はどうなるの……?」

「縋るな」


 息を呑む。

 吐き捨てたヤトの紅い目は、苛烈なまでに強い光を放っていた。


「俺たちはもともと貸し借りの関係で、もうじゅうぶんに付き合ってやったはずだ」

「…………そう。わかった」


 辛うじて絞り出す。

 私の返事を聞いて、さっさとヤトは紅い瞳に映す相手をライヒ様へ切り替えた。


「どうだ、貿易家系のライヒ。悪い話ではないと思うが」

「……」


 問われたライヒ様が、チラリと私を見やる。

 普段の高圧的な目じゃなく、もっと年相応に近い印象を受ける。

 なんでって、向けられた私の方が戸惑ってしまうくらい。

 でもそれもほんの一瞬で。


「わかりましたわ」


 再びヤトへ顔を上げたライヒ様は、いつもの通った声を響かせた。


「ヤト様をここから連れ出せば、魔物から村を守れるのですわよね?」

「ああ。少なくともこのまま手をこまねいているよりはマシな状況にしてやる」

「……約束、ですわよ」

「ああ、信用できなければおまえらの信仰する神に誓っても――いや、その場合は俺自身に誓うことになるのか。まあとにかく嘘にはしない」

「……ええ、じゅうぶんですわ」

「交渉成立だ。牢の鍵は扉の横の壁にかかっているはずだ。開けろ」


 ライヒ様はいつになくてきぱきとした動作で動き出す。

 鍵束を探し出し、すぐに該当するものを見つけると、ヤトが囚われている牢の扉を開く。

 久しぶりに牢から出た彼は、伸びをすると呟いた。


「ふん、さすがに開放感があるな。ここでの時間は洞に閉じこもっている間よりも長く感じた」

「行きましょう、ヤト様」

「わかっている」


「…………」


 二人のやり取りを、私は牢の中から眺めるだけ。

 そのまま私なんていないみたいに、ヤトとライヒ様は光漏れる外へと歩き去っていく。

 耐えられなくて、思わず私は口を開いてた。


「ライヒ様……っ」

「……」


 扉の向こうにいる彼女の気を引けたことにわずかな安堵を覚えながら、私は続ける。


「最後に、どうしてここへ来たのかを教えてもらえませんか」

「……どうしてそんなこと聞くのかしら?」

「その、まだ、聞いていませんでしたから」

「……」


「……そんなの、私もわからないわよっ!」


 ライヒ様らしくない言葉遣いを最後に。

 私は一人、暗闇の中に取り残された。


「……」


 湿っぽくて、泥でざらつくベッドに腰かける。

 なんでか、懐の提灯を点ける気にはならない。

 今は恋しく思ってた光の方が、この粘り気のある暗闇よりも疎ましく思えた。


「ヤト、この後どうするんだろ」


 独り言つ。


『縋るな』

『俺たちはもともと貸し借りの関係で、もうじゅうぶんに付き合ってやったはずだ』


 あの時、私を切り捨てたヤトの瞳には明確な意思が宿ってた。


「……らしくないじゃん」


 そう。

 いつもの人を観察するような、凪いだ湖面めいた目じゃなくて。

 何かしらの強い意思を、ヤトから感じ取ったんだ。


「縋るな、ね。……確かに、ただ待ってるだけなんて甘えか」


 らしくないのは、こっちも同じだったかもしれない。

 私、待つだけのお姫様って柄じゃないもんな~。

 諦めはその場をやり過ごす手段であって、決して不満を受け入れたわけじゃない。


 些細でもいいから、何か抵抗を。

 今できることを全力で。


「私を置いていったのは、そうする必要があったから。……大丈夫、ちゃんとわかってるよ」


 一応私を見捨てるに至った理由なら、いくつか思い当たるものはある。


 ライヒ様との確執がある私と明確に対立することで、相対的にライヒ様の好感度を稼ぐことができるのが一つ。

 あとはドロテアの説得も含まれるはず。

 ヤトの脱獄自体はすぐにばれるし、あいつを説き伏せる必要が出てくるはず。

 その時、ドロテアが自分にあれだけ楯突いた私の解放を認めることはないだろう。

 ドロテアにとっては『秘密を村の者にバラさせない』『ヤトが逃げられない』ようにするための人質って意味でも、ここに私が残るのは必要なこと。


 だから。

 後で私を助けるつもりでいるのなら、ヤトは私の問いに対して、切り捨てる以外の選択肢を持っていなかった。


「前に村の会合で殺されかけた時はヤトが残って私に逃げろって言ってくれたんだから。だから……今度は私の番ってこと、だよね」


 今はあの時と立場が逆になっただけ。

 どちらかだけでも脱出できれば選択肢は広がる。


「そうでしょ?」


 尋ねたのは去っていったヤトにか。

 それとも自分自身か。


「……」


 生まれてからずっと、家族以外の他人を信じるなんてしてこなかった私だ。

 手放しの信頼なんて怖すぎてできやしない。

 これだけの材料を積み重ね、くべて、ようやく信頼の篝火は不信の暗闇を遠ざけるだけの大きさを保てる。


「……なるべく早くね、ヤト」


 私が暗闇に囚われちゃう前に。

 もとの私に戻る前に迎えに来てね。

 ……なんて。


「あはは、浸り過ぎかな~。これも私らしくないかも~?」


 暗がりのなか、私はわざと乱暴にベッドへ身を投げ横たわる。

 あーもう。


「このベッド、寝心地最悪―! ヤトが出たくなるわけだー!」


 光一つない暗闇のなか。

 理由をまた一つくべる私の声が、鈍く反響した。


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