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第32.2話 貿易家系のライヒ


 私、貿易家系のライヒには幼馴染がいる。

 目の上のたんこぶ、枝葉に巣くう小虫と形容するのがちょうどいい存在だけど。


 彼女の名は、巫女家系のキリノ。


 何をするにも目に留まり、鬱陶しくて仕方ない。

 意識せずにはいられない。

 そういう相手。


 今はまだ村の誰からも認められていないあの娘が。

 どこまでいっても凡人以下でしかない私は、もともとあの超然とした秀才が嫌いだった。



   ◇ ◇ ◇



「おいおいライヒ。その男……」

「どうしてあなたが一緒にいるのかしら?」


 ノックをして、ヤト様と一緒に部屋へ入ると。

 お化粧しているドロテアお母様が、鏡越しに私たちを見てぎゅっと眉を上げた。

 隣にはブルクハルトお父様もいて、どうやら何か話していたらしい。

 二人が一瞬視線を泳がせたのを見て、それだけで後ろめたい何かがあるのだとわかってしまった。


「一階のエントランスにいらしたので、声をおかけしました」

「…………そう。なぜこの家にいて、何を吹聴されたのかは知らないけど、仮にも危険人物を私の自室に易々と連れてくるのは感心しないわね」

「申し訳ございませんお母様。このお方から聞いたお話があまりにも衝撃的だったもので……」


 わかりやすくイライラした様子で振り返り髪をかき上げたお母様に、私は自分が目撃したものをヤト様からの口伝という体で話し始めた。



   ◇ ◇ ◇



 ヤト様を連れ、両親と話し終えて。

 私たちは一階の客室でテーブルを挟んでソファに腰かけていた。


「想像よりも順調に事が運んだな」

「……そうですわね」


 結論からいえば。

 お母様は単独で脱獄したヤト様をたまたま見つけたという私の主張を受け入れ、キリノとヤト様を閉じ込めていた事実を認めた。


『貿易家系は実質的に村を仕切る立場で、綺麗事だけではやっていけない』

『純粋なライヒには辛い事実だから、話す時期を慎重に窺っていた』


 要約するとこのような内容を打ち明けられた。

 終始私を気遣うような申し訳ないという顔と声色でお母様は話してくれた。


「しかしおまえはなぜ、サチカ――キリノの母親のことを聞かなかった?」


 ヤト様の綺麗な紅い瞳が私を見つめる。

 普段なら頬が熱くなってとても冷静ではいられなくなるのに、今はそうならなかった。


「……怖かったのです」

「怖い? 何がだ」

「……」


 問われてから、初めて自分が恐怖の正体を掴み兼ねてることに気がつく。

 気持ちの向き先と言葉の向き先を探して。


「……変わってしまうこと、でしょうか」


 考えた末、私はどうにかそれだけを答えた。


「ふむ……」


 ヤト様は顎に手をやって考え込み、私にそれ以上を求めないでくれた。

 やはり流麗な見た目に違わず思慮深いお方だと、想いを新たに募らせる。

 ……私とは大違いだという憧れも込めて。


「で。当分はこの客間で過ごせということだったが、ずいぶんと懐の広いことだな。大方目の届く範疇に置いた方が監視しやすいという判断なのだろうが」

「……ええ、確かにそうかもしれませんわ」


 わざわざこの家に置く両親の意図がわからないでいたけど、ヤト様の言うとおりかもしれない。

 素直に頷くと、奇妙なものに向けるような目で彼は私を見た。


「……どうかしました?」

「おまえ、今日はしおらしいな。そんなに今日のことが意外だったか?」

「……ふふ」


 乾いた笑いが出る。

 なんだか今はやけに考えることが億劫だ。


「それもありますけど。……もともと本当のわたくしなんて、こんなものですわ」

「ほう?」


 人前で“わたくし”を振る舞うようになってから、誰にも見せたことなんてなかった本当の私。


 ――とんだ皮肉ですわね。


 一番綺麗な自分を見せたい相手に、自分の醜いと思うところを晒してしまうなんて。

 でもこの私を最初に見せる相手がヤト様なら、とても光栄なことなのかもしれないとも思う。


「案外わたくしは弱くて脆い女かもしれませんわよ?」

「ふん、とてもそうは思えないがな」

「うふふ、誉め言葉として受け取っておきますわ」

「人間はどいつもこいつも自分を偽ってばかりだな。なぜそのようなことをする必要がある?」


 ヤト様が私を見る目は澄んでいて、気持ちのいいくらいまっすぐだった。

 好奇心から来る質問だと理解しても、不思議と不快には感じないほどに。


「昔、とある幼馴染……と言っていいのかしら……から助言を受けたことがありまして」

「助言?」

「ええ。貿易家系として立派に立ち回れるよう、その娘のアドバイスを実践した結果ですわ。……今となってはいがみ合う関係になってしまいましたけれど」



『ねえ。あなたは、どうして平気なの?』

『どうして……とはどういう意味ですか?』



 キリノはきっと覚えていない。

 あの日のことも。



『これ、あなたにあげる』

『はい……? わ、時鉱石の懐中時計だぁ。いいんですかっ?』

『ええ、お父様の取引先からの貰い物だけど。私にはもう他に使っている物があるから』

『えへへ、ありがとうございます!』

『……あなたって、そういう顔もできたのね』



 あの日、懐中時計を渡したのが誰だったのかも。

 きっと、覚えてなんかいない。


 なぜなら、お互いの立場を忘れて話したのなんてその時くらいで、向こうにとってはきっとなんでもない日常の会話……下手をすればただの面倒事、機械的に処理する雑務の一環でしかなかっただろうから。

 そう思っていたからこそ――


「……あの懐中時計がわたくしの家に落ちているのを見つけた時、わたくしは嬉しかったのです」

「嬉しい?」

「ええ。ほんの一時だけ、確執を忘れてしまうほどに」


 事情を知らないヤト様は怪訝な顔をした。

 彼に対して私は曖昧に笑う。


「ですから柄にもなく、行方の知れなくなっていたあの娘のことを探してしまったりして……」

「……よくわからんが。そうしているうちにあの牢がある部屋を見つけたというわけか」

「ええ。裏切られたのが憎くて、散々嫌がらせしてきた相手だというのに……本当にらしくないですわね」

「裏切られた?」


 話してもいい相手だと認めてしまえば、言葉は後から後から湧いて出てくる。

 ずっと抱え込んできた気持ちだから、一度栓を外せばとめどない。

 彼がこの村では唯一といっていいキリノ側の者で、かつあの娘に傾倒していないというのも大きかった。


「そもそもの話だが。おまえや村の者がキリノに突っかかる理由はなんだ?」

「……」


 小娘のちっぽけな思いにも、ヤト様は真面目に耳を傾けてくれる。

 彼になすすべなく一目惚れしてしまった私は、それを嬉しく感じてしまう。

 本人曰く彼は龍神様――魔物で、心を許すべきではないのだとしても。

 ……この気持ちが、キリノへ向ける恨みと矛盾するのだとしても。


「たかが未熟というだけのキリノに……いやそもそも巫女家系の者におまえたちはなぜこうも辛く当たる?」


 ああ。

 たかが一目惚れ如きで行動が歪むほどに、私の心は弱い。

 きっとキリノなら。

 彼女なら、こうはならない。

 あの娘は強いから。

 今はまだ、誰も認めようとしないだけで。


「おまえは確執と言ったが。俺にはおまえや村の者たちからの一方的な投石にしか見えんがな」

「……」


『一方的なんかではありませんわ!』


 思わず飛び出しそうになった口を慌てて噤む。

 いくら迂闊な私でも、辛うじて抑えが利くくらいには重要なことだ。


 ……巫女家系の者にはまだ知られていない、とある噂話がある。


 ここ数年の話ではなく、もっと前……それこそ私がこの世に生を受けるよりも前から囁かれているらしい噂。

 だから多分ヤト様も知らないだろう。


「……」

「おい、どうした? 何を悩んでいる」


 言うべき、なのだろうか。


 私がこれを打ち明ける影響は計り知れない。

 事態がどう転がるのか、私如きではまったく予想できない。

 目指すべき指標だったお父様もお母様も信用できない今。

 私にできる正しい選択は、何?


「……っ!」


 私が村のためにできることって、なんなの――?


 ひっかき回り、乱れる頭の中のたくさんを。



『この期に及んで高貴な人間ぶらないでくれるかなぁ!』



 まだ記憶に新しい言葉が暴力的にさらっていく。


「――……ふふ」


 そうでしたわねキリノ。


 自宅の下に牢があって、そこにキリノとヤト様が……なんて想定外のことが続いて狼狽し、いつの間にか自分が村のこと全部を背負った気になっていたけれど。


 もともと私如きがどう動いたところで、村をどうこうなんてできやしない。

 なぜなら。


『また貿易家系のご令嬢が何かやってるってよ』

『はぁ、またか。尻拭いさせられるのは俺らだってのに』

『……ごきげんよう、皆様』

『ああ、これはライヒ様! 今日もお綺麗ですな!』


 私なりに考えた末の行動には、肯定と苦笑いが返ってくるのが常で。

 周囲はそんな視線で私を見、そして隣の誰かと絡んで疎通する。

 どこの記憶を切り取っても、いつもそうなのだから。


 ――うるさいわね。ちゃんとわかっていますわよ、キリノ。


 もともと高貴な精神なんて持ち合わせていない。

 簡単に取り乱し、一時の感情で血迷い、揚げ足を取るのが精いっぱいの凡人。

 ……あらゆることを淡々と受け流し、笑ってしまえるあなたと違って。


 ――本当に、本当に憎たらしい娘だこと。


 まあでも。

 どうせ引き返せやしないのなら、いっそこのまま。

 見様見真似で作り上げた歪な高貴なる者の似姿を演じてやればいい。


「……ふふ」

「? 何を笑っている」

「いいえ。なんでもありませんわ」


 いつもみたいにしていればいい。

 わかってしまえば、こんなに簡単なことはない。

 湧き上がる激しい衝動を糧に、突き刺さる想い人の視線を真っ向から受け止めて、“わたくし”は笑う。


「『龍巫女は龍神様を利用して村を乗っ取ろうとしている』」


 紡いだ言葉に、ヤト様は眉をひそめた。


「……なに?」

「村の中で長いこと囁かれている噂ですわ」

「どういうことだ?」

「聞きたいのはこちらの方です龍神様……いえ、ここは侵入者様とお呼びした方がよろしいかしらぁ?」


 挑発するようなわたくしの物言いに、ヤト様は眉をぴくりとさせた。


 そう、これが正しい。

 しょせん私如きでは難しいことなんてわからない。

 知っているのは、キリノが私たち村の人間を裏切っているという昔からの噂だけ。


「村に住む皆様が不安に駆られて巫女を村八分にしてきたのも、確かに褒められたことではないかもしれませんが、ある意味では仕方のないこと」

「……」

「ましてやここ最近立て続けに起きている騒動に加え、わたくしの自宅へまで不法に侵入してきたとなると、もはや申し開きのしようもないのではなくて?」

「ふん、なるほどな」


 もしも、あの憎たらしい龍巫女が何かを企んでいるというのなら。

 とことん指摘して、槍玉にあげて、追及してやらないと。


「質問するのはわたくしの方ですわ、犯罪者」


 だって、それが“わたくし”――


「……こそこそとわたくしの家まで忍び込んで……あなたたち、一体何を企んでいますの?」


 ――貿易家系のライヒなのだから。



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