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第37話 牙


 それは板材と枝を固定具と荒縄で括りつけてあるだけの、舞台とも呼べない何かだった。


 明らかに急造……それも数日とかじゃなくて、よくて数時間程度しかかかっていないっていうのがわかるお粗末な代物。

 加えて並んだ板材は大人三人が大の字になって、ギリギリ縦に寝転べるかっていうくらいの広さしかない。

 さすがにユリさんがこれに気づいてたら教えてくれてるはずだから、きっと時間がなかったっていう言い訳を欲しくて、わざと突貫で造らせたんだろう。

 柵とかの落下防止すらまともに施されてない、ただの粗末な足場。


「本当に、ここで舞えというのですか? それが正しいことだと思っているのですか?」


 祠から持ち出され雑に転がされてた祭具に損傷がないか確認しながら、それを横目に問いかければ、自身が奏でる楽器を調律してた村長さんは苦々しい表情を浮かべた。


「……今は龍神様の帰還が最優先。先ほどブルクハルト氏が説明されたように、気づかれなかったでは済まされないのです」

「だからってこんなところでなんて……」


 今回行う神楽はいつもと事情が違って、龍神様を呼び戻すという大事な目的がある。

 例年どおりに祠の奥の穴倉なんかで踊っても、龍神様に気づいてもらえないのではないかと考えて、急な話ではあったが場所を変えることにした。


『お詫びというわけではありませんが、村民の信用回復の一助になればと思い、皆には巫女様直々に申し出たと伝えておきました。なに、礼は不要ですよ!』


 最後に恩着せがましく締め括られたブルクハルトの主張を持ち出され、今度は私が顔を歪める番だった。


「ただでさえ私、本番で上手くいったことなんか一度もないのに……」

「龍神様と巫女様の間に確かな絆があるのなら、成否は問題にはならないでしょう。今はどこにいるとも知れぬ龍神様にあなたを見つけてもらうことが、何より重要なのです」

「……」


 私の必死の訴えを軽く流して、村長さんは逃げるようにこの簡易待機所から持ち場へと移動を始める。

 向かう先には村長さん――と人手不足の影響で毎年外部から呼ばれる音楽家――が演奏するための場所と、いくつかの観覧席まで設置されてる。

 どれも私が立たされる舞台より、よほどしっかりした造りだっていうのがぱっと見でわかる。


「巫女様、失礼ながら時間が押しております。準備が済み次第、祈祷の方から始めていただけますかな?」

「……わかりました」


 巫女が裏切ったっていう噂がどれだけ浸透してるのか知らないけど。

 少なくとも『巫女の失敗で龍神様が戻ってこない』という可能性から目を背けてもいいくらいには、私は疎まれてるらしい。



   ◇ ◇ ◇



「御神木の御腹に坐し坐して――」


 分厚い雲を挟んでもなお夕焼けが周囲を紅く染める頃。

 私は舞台の上で御幣を振るい、この場にいない龍神様へ祝詞を捧げている。


「此身一切を御支配あらせ給う白龍大神――」


 神楽の前に行われる祈祷は、簡単にいえば龍神様へ村の安寧をお願いするものだ。

 そう聞くと物々しくて大変そうに思えるけど、やってる身としてはそんなに苦でもない。

 いつも仕事で読み上げてる祝詞に豊穣祭用の文言が追加されたものを奏上するだけのこれは、普段やってることの延長線でしかないし、体力を使うわけでもない。

 この後に控えてる神楽と比べれば、全然負担的にはなんてことなかったりする。


「一切の罪穢れ枝葉にて立所に祓い清め給い――」


――……歩く分には大丈夫か……でも少し跳ぶだけで結構揺れる……。


 だから私は御幣を振るい、紙垂をひらひらと風になびかせ歩き回りながら、今のうちにこの急造された舞台の具合をひたすら確かめることに徹してた。


 ――風の影響も気にした方がよさそう……踏むとたわむ場所がいくつかあるな……あ、ここ継ぎ目が開いちゃう……。


 脳内で注意事項をリストアップしつつ、事故につながりそうな振り付けをできる限り洗い出して刻み込んでいく。

 空がこんなに近い枝先だと、一回転ぶだけでも大惨事につながるのは目に見えてるから。



「御祖のもとに収めせしめ給へと願奉――」


 いくら確認しても足りやしない。

 せめて後もうちょっと……。

 そんな私の願いも虚しく、祈祷は終盤に差し掛かる。

 神楽を一目見ようとやって来た観客の数はさっきと比べて、いや例年に比べても目に見えて多い。


「――聞こし食せと恐み恐みも白す……」


 私が奏上を終えると同時に村長さんたちの演奏も止む。

 村の人たちから突き刺さる視線はここからでもわかるくらい鋭いけど……まあヤジが飛ばないだけマシか。

 私がゆっくり一礼すると聞こえたまばらな拍手は、多分事情をよく知らない他の枝の行商人とかだろう。


「さあさあ祈祷が終わったところで、いよいよ皆様お待ちかねの舞踊――龍巫女神楽を披露していただこうかと思います!」


 神事の後の厳かな空気。

 その余韻を壊すようにブルクハルトが声を張り上げた。

 まるで商業イベントの司会みたいって思ったけど、案外本人的にはそういうイメージなのかもしれない。


「……急がないと」


 私は余韻に浸る間もなく舞台を降りて、祭具をまとめてある待機所で次の準備を始める。

 村長と後は外部から助っ人として来た奏者もこっちに戻ってきた。

 言葉を交わすことなく会釈だけして、ブルクハルトのやけに張り切った進行を聞きながら各々の作業を進める。


「村の皆様には言うまでもありませんが……実は今年、我が止まり木村の象徴にして守り神、龍神様が忽然と姿を消すという前代未聞の大事件が起こりました」


 少なくないどよめきが上がる。

 声の主はこのセリフが示す重要性に気づいた村の人たちと、外からやって来た行商の人たち、後は私の近くにいる奏者の人も。


 彼らが驚くのは当然で。

 村の自衛のほぼ唯一にして要ともいえる龍神様の不在。

 つまり今まで魔物や他の枝からの侵攻を牽制してきた、文字どおりの守り神がいないこの村はやられたい放題ですよって自白してるようなもの。


 秘匿しておきたいはずの事実をわざわざ大々的に公表するってことは、どう転ぶにせよ龍神様の問題に終止符を打ちたいって気持ちの表れ。

 さらにいうなら、水面下で画策してきた貿易家系が本格的に動き出す構えだってことを意味する。

 もしここで龍神様が戻らなければ、きっと一年も経たずに貿易家系のものになるだろう。


「ですがそんな未曽有の危機に、誰あろう巫女様が立ち上がりました!」


 理想の未来を頭に思い描いてか、営業スマイルっていうよりは喜悦に染まって見えるブルクハルトの大げさな口上が続く。


「巫女様は龍神様を逃がした責任を重く受け止め、なんと危険を顧みず“自ら”この枝先で神楽を披露したいと申し出たのです!」


 ……なるほど。

 ヒロイックに盛り上げて、プレッシャーをかけつつ私の失敗を引き立てようって魂胆ね。


「さあ巫女様、村の存続をかけた一世一代の大勝負の舞台へ……お上がりください!」

「……」


 ほんと、今年の私っていい見世物だなぁ。

 もしかしたらブルクハルトには、今の私がお金を生む魔鉱石にでも見えてるのかも。

 あまり深刻に考えないように気をつけながら、私は祭具を手に取って舞台へと足を向ける。


「あ、あのっ」

「?」


 ふと、誰かが呼び止める声が聞こえた。

 外部からきた奏者の一人、私より少し年下くらいの女の子だ。

 去年はいなかったから、新人なのかな。


「あんなところで踊りなんて危ないですよ……今からでもやめた方がいいんじゃ……」

「お、おいバカ!他の枝の事情に口を挟むな……!」


 父親だろうか。中年の男性に諫められながらも、その娘は心配そうに私を見てる。

 やっぱり普通そう思うよね。

 私が変なわけじゃないってわかって、ちょっと安心した。


「…………」


 ――ここですべてを洗いざらい話せたなら、どれだけ楽だろう。


 一瞬考えて。


「心配いりませんよ」


 どうせ彼女たちに伝えたところで何も変わらない。

 どっちにしろ、この会話を知ってか知らずかドロテアがこっちをじっと見てるし。

 それに――


「私はただ、果たさねばならない責任をまっとうしているだけですから」


 巫女として以前に、一人の人間として。

 私は、ここでヤトを待たなければいけない。

 彼を人間のくだらない諍いに巻き込んだ私には、その責任と義務がある。


「だから、私は大丈夫。そのお気持ちだけいただいておきますね」


 笑って頷いた私を見て、女の子は諦めたように顔を伏せた。

 持ち場へと向かった彼女に呟き、私もまた自分の持ち場へと向かう。


「……ありがとね」


 ちょっとだけ勇気をもらった私は、舞台へと一礼。

 壇上へと至り、振り返る。


「――……」

「お、どうやら巫女様の準備ができたようですね」


 観覧席にはどこにいたんだってくらい多くの人。

 演奏席には村長さんやさっきの女の子の姿もある。

 ヤタロウさんやユリさんもどこかで観てくれてるのかな。


「さあ! それではキリノ様! 止まり木村に住む我々の命運はあなたに託されました! どうかこの神楽を成功させ、龍神様を呼び戻してくださいッ!」


 ブルクハルトが軽薄な口上をがなり立てる。

 言葉とは裏腹に私に向けられた目が、できるわけがないと嗤ってる。


「……改めまして、ご紹介にあずかりました当代龍巫女のキリノです」


 だから私は始める前に、ちょっとだけブルクハルトの茶番に付き合ってあげることにした。


「この村に住む皆様には言うまでもありませんが、私は『出来損ないの巫女』と評判の駄目巫女でございます。それが災いしたのか、先ほどブルクハルト氏がおっしゃられたとおり、今年は龍神様までいなくなってしまう始末でした」


 何を言い出したんだと、観客が騒然とする。


「しかしそんな私を見捨てず、いまだ温かく住まわせてくださっているこの村の皆様には感謝しかございません」


 私がそう言った途端、村の人が一斉に顔を伏せたのがちょっと小気味いい。

 安心して、今のとこあなたたちがやってきたことを打ち明ける気はないよ。


「そんな私がこの村にできる恩返しはなんだろう。……ずっと、長いこと考えておりました。そして今回……」


 私が狙うのは――


「文字どおりこの身に宿る命を賭す覚悟を決め、このたび“自ら”舞台の変更を申し出た次第でございます」


 視線の先。

 私の言葉を聞いたブルクハルトとドロテアがわずかに、でも明らかな動揺を見せた。


 ――あなたが用意した詭弁、ありがたく受け取ってあげる。


 お利口気取って縮こまるのはもう終わり。

 これは私なりの戦いであり、ささやかな復讐だ。

 どうせ最期かもしれないのなら。

 上がりきった観衆の期待すらも飛び越えて、あいつらに一泡吹かせてやる。


「……では僭越ながら、村に再び龍神様の加護が戻らんことを一心に願い……。広い茜空のいずこかにおわします龍神様と、今ご観覧いただいております皆様へ、この神楽を捧げます」


 ブルクハルトの前口上に便乗して、盛り上がりを助長させるように宣って。

 私は深く、深く頭を下げた。


「すぅ、はぁ……」


 深呼吸一つ。

 はやる気持ちを抑えて頭を上げる。


「…………」


 ――この枝先から眺めると。

 紅く染まる大きな大きな世界樹と、その枝の上に築かれた村がよく見える。

 巨大な幹と比べて、あまりにもちっぽけな私の生まれ故郷。

 私はずっと、この村が窮屈で仕方なかった。


 ――……まずは決着つけて、生き残らないとね。


「……それでは皆様」


 声は上がらずとも会場のボルテージが高まってるのがわかる。

 村の人たちも含め、観覧席の誰もが私の一挙手一投足に注目している。まるで裏切りの噂のことなんて忘れたみたいに。

 ここまで期待を高めたら、もう失敗なんて許されない。



「龍巫女の永きに渡る歴史の果て、この身に宿る命を賭した今際の舞――」



 右手の鈴を打ち鳴らし、左の扇を眼前に咲かせ。



「――どうぞ御照覧あれ」



 私は、この小さな世界に牙を剥いた。



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