念入りに身を清めた後は自室に戻って、改めて舞踊に使う衣装へと着替える。
取り出したのは普段の生成色に近い白の巫女服とは違う、純白の見るからに上質な生地の巫女装束。
「……」
袖に腕を通せば、さっきまで泥だらけだったのも相まって、肌に触れる感触は柔らかく心地よい。
感触を楽しみたいのをぐっとこらえ、緋袴と併せて身に着けたら次はお化粧だ。
おしろいを始め、眉墨、目弾きといった普段やらないものまで入念に施してく。
普段使いしてるのも含めて、どれも汗や水気に強い高価な品だ。
最後に指で掬い取った紅を唇に引き終えたら、前天冠を頭に被り、最後に千早を羽織る。
ここまで終えたらあらかた準備は完了だ。
私よりも少し背の高い姿見の前でいろんな角度から最終確認。
「ん……よし」
頷く私の目の前。
姿見には白と紅の巫女装束、そしてその上に龍と世界樹の模様が散りばめられた異質な黒い千早を纏う、一人の巫女が立ってる。
『よく似合ってるわ、キリノ! ね、お父さんっ』
『うん。すごく立派な女性に見えるよ』
『えへへ、そおかな?』
「……」
豊穣祭当日の準備は、本来なら先代巫女――つまり親とかに手伝ってもらうものだけど。
私はこの数年の間に、一人の準備にすっかり慣れてしまった。
『この千早はね、龍神様に守られてるって意味なんだよ~』
『でもお母さん、龍神様って白いよ?』
『それは~……なんでだろね?』
『ねえお父さん。なんで~?』
『ん? ああ、それなら龍神様が穢れを肩代わりしてくれてるというのを表現してるって聞いたことがあるよ』
『そうなんだ~!』
『さっすが物知り~!』
『サチカさんは感心してる場合じゃないでしょ……』
時間こそかかっちゃうから毎年村の人に文句を言われるけど。
まだまだ未熟だって言われるけど。
誰の手を借りなくたって、私はもう全部一人でできる。
「……なんて。今までの私だったら考えてたんだろうな」
一人で頑張らないと、とか変に自分で自分を追い詰めて。
また辛くなったりして。
「……」
机に置かれた何の変哲もない一本の小枝を手に取った。
込められた魔力はもう尽きて、もう振っても何も起こらないけど。
胸には灯るものがある。
ヤトが作って、ユリさんに届けてもらったもの。
そのユリさんにしたって、ヤタロウさんがいなければ関わることもなかった。
……どうやら私は、もう一人ぼっちじゃないらしい。
だから、思い出に後ろ髪を引かれても大丈夫。
「私なりにやってみるから。ヤトも頑張って」
千早からは、ほのかな香木の匂いがする。
私はそっと黒い袖に顔を寄せた。
◇ ◇ ◇
「お待たせしました」
自宅でする準備をあらかた終えて、一階で待ってた監視役の使用人たちに声をかける。
そのうちの一人、食卓の椅子に座ってた男――朝私に今日の流れを説明したまとめ役っぽい壮年の男だ――が立ち上がった。
「巫女様、ご準備はもうよろしいですかな?」
「はい」
「ではさっそく会場へ参りましょう……おい、あれを」
あれ、てなに?
疑問符を浮かべる私の前に差し出されたのは、黒い襷状の布。
「目隠しです。身に着けてくだされ」
「え、目隠しってどうして……?」
「現状のあなたは、まだ容疑者の扱いですので」
「で、でもさっきここへ来るときは何も……」
わけがわからない。
この後は祠の方、龍神様の寝床に用意された舞台に行くだけだよね?
「巫女様、失礼いたします」
「あ、ちょっと――っ」
いつの間にか後ろにいた使用人の一人に両腕を拘束された。
羽交い絞めにされて視界が布で覆われる。
「抵抗はされない方がよいかと。せっかくの化粧が台無しになってしまいますゆえ」
「そんなこと、言われても……っ」
「暴力を振るうなどというわけではありませんのでご安心を。ただ『移動の間は視界を塞ぐように』というドロテア様からのご指示に従っているまでですので」
「――っ」
「少し窮屈ですがご了承願います」
ドロテアの名前を出されたら余計に不安になるってば!
必死に身をよじるけど、三人がかりで抑え込まれたらできることなんてない。
あっという間に捕虜みたいな巫女が一人できあがった。
「主の命とはいえ、ご無礼を働いたこと、どうかお許しください。……それでは改めて参りましょう。ゆっくり進みますので、ついてきてください」
「…………」
――ドロテアはいったい何を企んでるの。
この後待ち受ける何かを想像し、再現なく広がる不安を抱えながら。
手を引かれるがまま、私は歩き出した。
◇ ◇ ◇
方角すらわからない状態で歩いて、もうどのくらい経ったかな。
少なくとも祠までにかかる時間はとっくに越えてるくらいには歩いたと思う。
「おい、あれ見ろよ……」
「うわ……」
ざわざわとした囁き声が聞こえ始め、それでもまだ歩き続ける。
やがて村の喧騒もすっかり遠のいた頃――
「ここです。危険ですので腰を下ろしてください」
ずっと私の手を引き、数分前から背中を押す形で案内してきた男が到着を知らせた。
妙に足元がおぼつかない。
さっきから風も強く感じる。
きっと近くに建物がないせいだ。
「……」
嫌な予感が加速度的に大きくなる。
少し離れたところから目隠しを外すよう指示される。
慎重に結び目を解き、眩んだ目が慣れてきて。
目の前に広がった光景は――
「ひっ⁉」
視界いっぱいに広がる青空と、眼下に広がる果てのない雲海。
見覚えがあり過ぎるくらいに見慣れた景色に、命の危険を感じて後ずさる。
「なっ、なんで……ここ……――っ」
この景色を村の誰よりも知っている。
私は何かあるたびにここを訪れ、この景色を眺めてたから。
「遅かったじゃない、巫女」
「――ッ」
後ろからした声に振り返る。
「やあ、巫女様。私の妻が用意したささやかなサプライズ、楽しんでいただけましたかな?」
「ブルクハルト、様。ドロテア様……」
満面の笑みを浮かべる夫婦が私の反応を嬉しそうに眺めてた。
動揺を押し殺して、私は二人を睨みつける。
「これは、どういうことですか……っ?」
「あら嫌だわ。犯罪者かつ駄目巫女のあなたに華やかな大舞台なんて分不相応でしょう? だからぁ――」
そう言うとドロテアは、目と口を弓なりに細めて指さした先。
舞台と呼ぶにはあまりにもずさんな、頼りない枝の間に板材を渡して固定しただけの足場が見えた。
「――あなたには今日、この枝先で踊ってもらおうと思って」
おまえ如き、これで十分だと言わんばかりに。
その女は嗤った。