当然入浴の準備なんてされてないから、自分で熱鉱石を叩くところから始める。
その間は震えながら湯気が出るまで待機、蒸気が浴室を満たした頃にようやくどろどろの稽古着を脱ぐ。
背中は途中から入ってきたユリさんにお願いしながら、久しぶりの蒸気浴にのんびりしたい気持ちをぐっとこらえ、蒸気で浮かした汚れをお湯と手拭いで洗い流す。
「ただでさえ細身でしたが、今のお姿はもうそこらの小枝と見分けがつきませんね」
この前牢屋でしてもらった時みたいに私の背中を擦りながら、ユリさんがふとそんなことを言い出した。
彼女なりの冗談だと知ってる私は、苦笑しながら頷く。
「あはは。実際ユリさんから差し入れをもらってなかったら、今日を迎えるまでもなく餓死してるとこでした。本当に助かりました」
「……伝えておきます。私は渡された物を運んだまでですので」
私の背中を洗ってくれてるユリさんに振り返って礼を言うと、彼女は微妙に目を逸らしながら珍しく歯切れ悪く答えた。
「そうなんですか? じゃあ用意してくれたのって誰なんです? ヤタロウさんとか?」
もらった食べ物の中には、この村じゃ滅多にお目にかかれないような、お高そうなお肉とかもたくさんあった。
だからてっきりユリさんが貿易家系の厨房からこっそり持ってきてくれたんだって思ってたんだけど。
「……それよりもキリノ様。今日の舞踊は上手くいきそうでしょうか?」
私の質問には答えず、ユリさんがそんなことを聞いてきた。
ちょっと強引な話の転換に首を傾げたけど、確かにあんまり余計なことを話してる時間もないか、と思い直した。
「う~ん、どうでしょうね」
「……」
今までの私なら、きっと大丈夫だって言ってたかもな。
ふとそんなことを考えた。
「……正直ちょっと自信なくて、あはは」
「それは幽閉されていた影響ですか?」
「当然そこもありますね。もともと失敗ばっかりなのに、今回は体調管理もできてないわけですし……」
「そこ“も”……ということは、別の理由もあるということですね。たとえば自分が舞うことに意義を見いだせないから、などといったような」
「っ!」
まさにど真ん中を言い当てられて、息を呑む。
「そうだろうと思いました」
「あはは、さすがユリさんですね」
この前ドロテアの去り際に残した言葉がずっと突き刺さってる。
なんとなく頭のどこかにあった虚無感の正体。
言語化されたことで、より一層強くなってる。
「ヤト様の主張が本当であるという前提で話すなら……確かに現状あなたが直面している問題を解決する鍵はあのお方が握っています。処刑の可否はヤト様が龍の姿で戻るかどうかにかかっていて、あなたの舞が影響する余地はあまりないでしょうね」
「あれ、ここはそんなことないよって慰めてくれる流れでは……」
「事実ですので」
バッサリだ……。
「まあ。強いて言えばキリノ様の神楽によって心を掴まれた者たちから、情状酌量を望む声が大量に挙がる、という可能性もなくはありませんが」
「あーそれこそ自信ないですね。自慢じゃないですけど私、出来損ないの巫女なので……」
「……あなたはそう考えるでしょうね。そもそもその場合はご主人様方が『貿易家系宅への不当な侵入があった』という事実を明かすでしょうから、減刑は望み薄でしょう」
「……ですよね~」
失敗は許されないけど、成功させても意味はない。
うん、我ながら酷い状況に置かれてる。
「私がどれだけ頑張っても結果は変わらない、なんて。……いよいよ私の踊る意味ってなんなんだろうなってなっちゃいますよね」
「……」
「もしヤトが龍神様じゃなかったとして。踊りの出来がよければ本物が戻ってくる、とも思えませんし」
「ええ、同感です」
「……あはは。一応、私自身の命がかかってるはずなんですけどね」
私が神楽を披露する意味なんて、どう取り繕っても巫女としての責任とか、恥をかきたくないとか。そういう自分の気持ちにどう折り合いをつけるか程度の意味しかない。
自分にできることを全力で、なんて言ったところで現実はヤト頼みでしか――
「落ち込まずとも、意味ならばあるでしょう」
どんどん深みに落ちてこうとする私に対して、ユリさんはなんでもないような顔でそう言った。
「意味ですか……? でも今――」
「確かに状況を変えることは難しい。……だからといって、あなたがお利口な巫女でいてやる必要もないのでは?」
「それは、そうですけど」
「なら、やるべきことはひとつです」
私を見つめる目は凪いでいるのに、怖いくらい真剣に見える。
ほんの少し眉根を寄せた彼女は続ける。
「……今日の神楽にキリノ様が胸の内に抱えているものすべてをねじ込んで――観ている奴らにぶつけてやればいい」
自分の気持ちに折り合いをどうつけるか。
結局ユリさんが言ってることは、さっき私が考えてたことと同じなのに。
こんなにも、力強く私をすくいあげる。
「もともと踊りとは何かを表現する手段なのでしょう。ならば、これ幸いとばかりに今まで自分の足を引っ張ってきたバカどもに、怒りでも恨みでも嘆きでも好き放題伝えてやればいいのです」
ユリさんは興が乗ってきたのか、澄ました顔のまま暴言をつらつら吐き出し始めて。
私はそれについていくのがやっと。
「あなたもそうは思いませんか。キリノ様」
「……、…………ぷっ」
ようやく頭が追いついたと思ったら、こっちへ同意を求めてくるのがなんだか妙に面白くて、私は噴き出してしまった。
なんかだんだん、それでいいのかもって気がしてきちゃう。
「ははっ、確かにそうかもしれませんね」
「ええ、そうです」
何も変わらないんだったら、難しく悩んだって仕方ない。
どうせなら好き放題やってやれ。
どこまでも単純で。
前向きで楽しそうな、私の知らない諦め方。
「さっき私は周囲の声では変わらないと言いましたが。ブルクハルト様とドロテア様に、あなたの舞を見て改心する程度の人間性がまだ残っている可能性も、一応はあるのですから」
「あははっ、それは頑張らないとですね」
たまに投下されるユリさんの冗談は独特で、しかも真顔で言うもんだからわかりづらいときもあるけど。
やっぱり私は好きだな。
ひんやりと涼しげな優しさを感じられるから。
「憂いも晴れたところで、怪しまれる前にそろそろ出ましょう。私はこの後いなくなりますが、後は一人で大丈夫ですね?」
「はいっ」
「では私はこれで。キリノ様の健闘を陰ながら祈っております」
クールな顔を熱気でほのかに朱く染めたユリさんは、当たり前みたいに一礼して浴室を去ろうとする。
その背中に最大限の感謝を込めて、私は声を上げた。
「あの、ユリさんっ!」
「はい、なんでしょうか?」
「今までお世話になりました! ……巻き込んでしまった私が言うのもなんですけどっ、その、ヤタロウさんとお幸せにっ!」
「……そういう、『今のうちに言っておかないと』みたいなのは縁起でもないからやめなさい。さっきはああ言いましたが、別に死ぬと決まったわけではないでしょう」
「あはは、ごめんなさい」
今度こそ去っていったユリさんの背中を見送りながら。
あの人でも縁起とか気にするんだなぁ。
なんて考えて、私は笑った。