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第34話 豊穣祭


 来たる豊穣祭当日。


 壮年の使用人が牢の前へやって来たのは、お昼にはまだ早いくらいの時間だった。


「現時点をもって、巫女様はこの牢から解放されます」


 数人の部下――ユリさんの姿もある――を引き連れたその男性から、挨拶もそこそこに言い渡された。


「……はい」


 居住まいを正した私が神妙に頷いて返す。

 彼は貿易家系に仕える使用人特有の凪いだ目で、じっと私を見つめながら続ける。


「解放後は一度自宅にお戻りいただき、身を清め、衣装を改め、その他準備を終えたことを確認し次第、まっすぐ舞台の方へと連れられます。その後は例年どおり祈祷を捧げたのち、舞姫として龍神様へ捧げる最初の舞踊――龍神式神楽を始めていただきます」

「はい」

「その間、巫女様には監視の目がつきます。これは侵入者への共謀の嫌疑が未だ晴れていないことによるものですので、あらかじめご了承くださいませ」

「わかっています」


 水が流れるようにすらすらと説明される。

 聞き取りやすいだけにこの後のことを想起させられて、ずんと胸が重くなる。


「もし一連の流れを終えても龍神様がお戻りにならなかった場合、当代龍巫女として村の守り神を失した責任、および龍神様を名乗る侵入者を匿った共謀罪により、巫女様は枝振るいの刑に処されます。よろしいですね?」

「はい」

「……では今から鍵を開けますが。くれぐれも妙な真似はなさらぬよう、お願いいたします」



   ◇ ◇ ◇



 数週間ぶりの外は、食欲を刺激するたくさんの匂いに満ちていた。


 ――年に一度、催される豊穣祭。


 龍神様への感謝と翌年の豊穣祈願を行うお祭りだ。

 このたった一日しかない日をよりよい思い出にすべく、村の人たちは誰もが準備に全力を尽くし、当日になれば全力で遊び尽くす。

 村の景色もいつもと様変わりして、お店とかは何気ない民家や果ては井戸にまでも花飾りが施され、夢のような光景が広がっている。

 遠目に見える交易市場では、村の有力者や交易商たちの構える出店が並び、多くの客で賑わっている。


「あー! 坊ちゃん、外れちまったねぇ、残念賞だ!」

「もっかいやる! おとーさん!」

「はいはい、あと一回な」


「おい、この肉見ろよ! このでけえのが鶏肉なんだってよ!」

「おまえの顔よりでかい鶏の足ってなんだよ……。ぜってえ変な肉だぞそれ」

「そうかな? まあ美味けりゃなんでもいいや!」


 村の人たちは普段ではお目にかかれない数の行商人の出店を練り歩き、珍しい物を求めて食べ歩いたり、娯楽に興じて日頃の疲れを癒す。

 その中にちらほら見える見慣れない顔は、他の枝から来た人たち。

 何かしらの理由で特別な許可を得てやって来た彼らも、村の者が同行すれば祭りを楽しむことを許される。




 あいにくの曇り空でも関係ないとばかりに誰も彼もが笑うなか。


「巫女様、こちらへ」


 はしゃぐ子どもや客寄せの声で賑わうのを横目に、私は監視役を兼ねる使用人たちに連れられて自宅を目指す。


「あれ見て、巫女様だわ。どうしてあんなに汚れた格好してるのかしら」

「へ、考えるまでもねえ。誰にも見つからねえよう穴倉にでも隠れてたんだろ」


 村の人たちの間では、私は責任から逃れようとどこかに隠れてて、それを貿易家系の人間が見つけたってことになってるらしい。

 見つかった巫女を一目見ようと、私の行く先々でちょっとした人だかりができ、そんな囁きが聞こえる。

 どうやら無敵のお祭りムードも、私の周辺では効力を失うらしい。

 いや、むしろある意味ちょっとした祭りの見世物みたいな感じなのかな。


「逃げられると思ったのか駄目巫女!」

「……」


 時折掛けられる罵声は、もはや懐かしさすら感じるくらい。

 受け止め方もちょっと変わった。


『巫女は村を乗っ取ろうと画策する裏切者』


 私たち巫女家系の知らないところで囁かれてるらしい噂。

 確かにそんなのがそれなりの地位について偉そうにしてたら、腹も立つってもんだよね。

 だから緘口令を敷かれても我慢できない人たちが、私の不出来にかこつけて義憤を晴らしてた、と。

 噂を知れば、確かに行動は理解できる。

 ……やっぱり納得はできないけど。


「……巫女様。大事な日ですので、気を乱さぬよう」

「……ええ、ありがとうございます」


 後ろを歩いてたユリさんから声をかけられて、気を引き締め直す。

 きっと仲間の使用人に指摘されない範囲で気遣ってくれたみたい。

 思えば貿易家系の家に行ってからずっと、なんだかんだ憎まれ口を言いつつも面倒を見てくれてる。

 この人には感謝しかない。



   ◇ ◇ ◇



 幸い、監視役の使用人たちと一緒に歩いてるおかげで何かを投げつけられることもなく、無事自宅に到着した。


「……ただいま」


 呟いて玄関を潜る。

 しばらく放置してたせいで積もった埃のざらざらする匂いのなかに、澄んだ木の香りを見つける。

 私の家ってこんな匂いなんだなぁ、なんて十六年生きて初めての気づき。


「我々はここで待機しております。外にも監視はおりますので、妙な真似はされぬよう」

「はい。わかっていますよ」


 久しぶりの帰宅で感傷に浸るまもなく壮年の使用人に忠告される。

 ていうかさっきからこの人、どれだけ私が妙な真似すると思ってるんだろ。

 まあいいや。

 とりあえずまずは身を清めないと……。


「その汚れで動き回るのは酷でしょう。私が入浴の補助をいたします」

「あ……お願いします」


 泥だらけの状態でまず何から手をつけたらいいか考えてたら、ユリさんが手伝いを申し出てくれた。

 正直、溜まりに溜まった汚れを落とすのは時間がかかりそうだったから、すごく助かる。

 とか思ってたら「ちょっとユリ」と使用人の一人がずいっと出てきた。


「あなた、巫女と組んで何か悪だくみする気じゃないでしょうね?」

「まさか。この後に差し支えてしまいそうなので進言したまでのことですが」


 疑いの眼差しを向けられたユリさんは、平然と首を横に振る。


「別にあなたが代わるというのならそうします。潔癖症のあなたにその気があるのなら、ですが」

「……な、何よ。ちょっとからかっただけじゃない」

「そうですか。では巫女様、先に浴室へ。とりあえずの着替えをお持ちいたしますので、場所を教えていただけますか?」

「え、あ、わかりました。場所は二階の――」


 私が危ないかもって思う間もなく、ユリさんは華麗に噛みついてきた同僚をなんなくいなしてみせる。

 多分私がちょっと間抜けな顔を晒しながら自室の場所を教えると、何事もなかったかのように二階へと足を向ける。

 ……そのすれ違いざま。


「……浴室で少し話しましょう」

「ぇ」


 たった今疑われたところなのに?

 強かにもほどがあるでしょ……。

 愕然とする脳内の自分をどうにか誤魔化しつつ、私はなんでもない風を装って一足先に浴室へと向かった。



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