「ところで貿易の。なぜそんなところで腰を抜かしている? 何か恐ろしいことでもあったのか?」
「――!」
風にそよぐ白い髪をかきあげながらヤトが問うと。
尻もちをついてたドロテアとブルクハルトは羞恥で顔を真っ赤に染めた。
慌てて立ち上がりながらこちらを睨みつけてくる。
「まさかこんな短時間で戻れるはずは……っ」
「汚らわしい魔物め……!」
「目論見が外れたか? 残念だったな」
「く……」
「だがもともと思い込みばかりを縫い合わせた穴だらけの計画だろう。当てが外れたところで気にする必要はあるまい」
ヤトがまるで子どもをあやしてるような調子で返すと、二人は忌々しげにギリリと歯を鳴らした。
「ともかく、これで貴様らが言うところの明確な証拠とやらは揃ったな? 早くキリノと俺の身の潔白を認めろ」
射殺さんばかりの視線も涼しい顔で受け流してヤトは尋ねるけど、二人からの答えはない。どうにか屈辱を晴らせないかって考えてるけど、気持ちが逸ってうまくいってないように見えた。
沈黙が続いて埒が明かないとヤトが口を開いたその時。
「確かにここまで明らかな証拠を見せられては、さすがに認めざるを得ませんわね」
「……ら、ライヒ?」
平静を欠いた両親に代わって矢面に立ったのは、ライヒ様だった。
娘の堂々とした振る舞いに、後ろでブルクハルトとドロテアが私たちへの怒りも忘れて目を丸くしてる。
「わかりましたわ。ヤト様が外の枝から無断で侵入してきた犯罪者ではないと認めましょう。そしてあなた様への処罰の件も取り下げることをお約束いたしますわ。……お父様、お母様、そして村長さんも。それで問題ないですわね?」
「あ、ああ」
「……そう、そうね。まあ、仕方ない、わね」
「……は、はい。あなた方がそう決めたのであれば、村の者も納得するでしょう」
ライヒ様からにこやかに問われた三人は、困惑しながらも異口同音に同意する。
それを見て、私はようやく安堵の息を吐いた。
何はともあれ、よかった。
ようやくこれで私とヤトは正式に無実の身に――「待て」
「……なんでしょう、ヤト様。何か問題でも?」
にこやかな表情で問うたライヒ様に対して。
ヤトはさっきまでの不遜な笑みを引っ込め、険しい視線を向けた。
「今おまえが言った内容。確かに俺の無実を認めてはいるが……キリノに関しては一切触れていない」
「…………」
「共謀の罪を問われていたこいつも同様に無実であり、その行動が巫女としての責任を果たすため、すなわち村を思ってのものである……ということも当然認めるのであろうな?」
ヤトの指摘に。
笑みを浮かべてたライヒ様の、緩やかな弧を描いてた口の端。
それが、気づいたか、と言わんばかりに吊り上がる。
「……ええ、もちろんですわ」
知らないうちに首筋に刃が当てられてたような感覚に肌が粟立つ。
「そちらの方も、当然認めましょう」
「足りん。“そちらの方”が何を指すのか、おまえの口から具体的に説明しろ」
「……共謀の罪を問われていた巫女もまた無実であり、その行動は村を思うがゆえで決して害意や悪意などはなかった。この事実を認め、ヤト様同様、処罰の件を取り下げるよう計らうとお約束します。……これでよろしいでしょうか?」
「ああ。今言ったこと、くれぐれも違えるな」
油断してた。
今ヤトが確認してくれた部分をなあなあに済ませてしまってたら、後で覆されたり『村への恨みを晴らそうとしてたのでは』とかって、信用問題に発展させられたかもしれない。
ヤトがいるっていっても、少なくとも不穏の種は残されることになってた。
巫女が裏切ってるって噂が裏で出回ってるんだったら、なおさら。
……まさかあのライヒ様が、こんな罠を仕掛けてくるなんて。
「……ヤト。前ライヒ様に届け物とか頼んでたりしたよね。今もなんか協力してもらってたりする?」
「いや、これに関しては何も」
「……そう」
いつものライヒ様と何かが違う。
さっきまで会場間違えて走ったせいで汗まみれだったくせに。
凛とした振る舞いはまるで――
「ヤト様、キリノ」
「……はい」
「今言ったとおり、枝への無断侵入及びその共謀の罪についての無実は認めてあげますわ」
ライヒ様が何を考えてるのか、一定してにこやかに形作られた表情からは窺えない。
「けれど、こちらの件は本来であれば些末事。お母様が求めた証拠というのも、正式に無実を言い渡すにあたって、小さな懸念を失くすための確認でしかありませんもの。……ねえ? お父様、お母様」
「……ああ」
「そうね、ライヒの言うとおりよ」
娘から声を掛けられて、ブルクハルトとドロテアは嬉しそうに笑い、そして並び立つ。
「立派になったじゃないか。ライヒ」
「本当、見違えるようだわ」
「……。当たり前ですわ。二人の子どもですもの」
「――くっ、ああ、そうだな! 後は私たちに任せてくれ」
……。
親子三人の心温まる会話。
まるで投げ売りされてる小説のセリフみたいだと思った。
娘の口元が一瞬歪んだことにも気づかずに、ドロテアとブルクハルトは再び私たちと相対する。
「この娘の言うとおり、今の話はしょせん大事の前の小事でしかないわ」
「せっかく龍神様と会話できることがわかったのです。あなた様に聞かねばならないことはまだございます! 龍神様が人間の法に合わせていただけると仰るのなら、なおさらのこと」
「ほう?」
ヤトが顎で先を促す。
相槌こそ何を言い出すのかって面白がるような感じだけど、その紅い目には彼がたまに見せる観察するような真剣さが窺える。
「そもそもですが、今回の件は龍神様がある日突然姿を消したことから端を発しています。……ああ! もちろん龍神様にも事情はおありでしょう! わかっておりますともっ!」
龍の姿で脅かされた後なのに、もうこんな飄々とした振る舞いができるのは、さすが村の交易を担ってきた貿易家系の当主って感じだ。
それとも家族の絆パワーってやつなのかな。
……。
「どうした?」
「別に。なんでも」
「……。そうか」
ちょっと吐き気がしただけ。
やたら大げさな身振り手振りを交えて語り続けるブルクハルトが、意識を逸らした私たちを諫めるように「しかも」と声を張り上げた。
「ちょうど巫女様の能力を疑問視していたタイミングでそれが起きたのです。突然の危機に動揺した我々が責任者たる彼女に原因を求めてしまうのは、良いとは言わないまでもある意味で当然の流れ!」
「相変わらず貴様は話が長い。早く結論を言え」
「……っ、いいでしょう」
一瞬鋭くした視線を取り繕って、ブルクハルトは言う。
「つまり……龍神様がこんなことをしなければ、巫女様はここまで追い詰められることもなかったともいえる。つまり村を突然の窮地に追いやり巫女様を真に追い詰めた真の原因は――あなた様なのですよ」
「……」
「だとすれば、たとえ侵入者という汚名を晴らしたところでもはやこちらは問題にもならない。……村を離れた理由によっては、枝振るいの刑に値するほどの重罪と言わざるを得ないのではないですか――ッ⁉」
まるで自分たちが物語の主人公にでもなったかのように、指先を突きつけて放った逆転の一手を聞いて。
「ふ」
人の身となった龍は、鼻で笑った。