口の端を吊り上げながらも目が笑っていない。
私にとっては見慣れた表情を浮かべ、ブルクハルトがヤトの前に立ってる。
隣に立つ妻のドロテアもまた、巨体を前に悪意を隠そうともしない豪胆かつ傲慢な態度。
「お戻りいただいて早々、耳の痛いご指摘痛み入ります。確かに龍神様の仰ることには一理あるかもしれません」
『ふん、一理か。不満があるようだな』
「はい。一定の理解はしつつもやはり全面的には同意しかねますな。ましてや他でもない龍神様がそれを仰るのならなおさら」
『面白い。詳しく話せ』
「ええ、畏れながら申し上げますと――」
ヤトの許可を得たブルクハルトとドロテアはぬるっとした笑みを深めた。
「巫女様は確かに龍神様を呼び戻すという責任を果たされたのかもしれませんが……まだ自由の身になったわけではない」
「そうよねぇ、あなた。だって、あのヤトとかいう侵入者を庇った巫女の罪がなくなったわけではないもの」
「え……?」
思わず私の口から声が漏れた。
どういうこと?
「以前行われた村の会合、“龍神様を自称する侵入者の言葉が本当なら罪にはならない”というのが巫女様の主張でした。そして、それを聞いたライヒの温情によって“豊穣祭までに龍神様と侵入者が同一の存在だと証明できれば処刑を取り消す”ということになりました。……ここまで、巫女様が記憶している内容と相違ないですね?」
「……はい。そのはずです」
頷く。
実際にヤトが龍神様だったからここにいるわけで、特殊な形だけど言葉だって交わしてる。
だから、証明ならもう十分なはずでしょ……?
「実は私、この前少し気になることがあって使用人に調べものをさせたの。……魔物が自分の体を作り変える方法についてなのだけど」
急にドロテアがそんなことを言い出した。
「魔物が起こす不思議な現象って人間でいうところの魔法と同じ理屈らしいわねぇ。ほら、その音鉱石とかを作れる特別な才能を持った人間、魔法使いが使うっていうあれよ」
ドロテアが舞台上に突き刺さってる錫杖を指して言った。
「でぇ、その魔法使いが書いた本いわく、一部分だけとか小さな動物とかならともかく人間の体とかになると、全身丸ごと作り変えるなんてほとんど不可能。……できたとしても、とても高度な技術と知識が必要らしいわねぇ」
『……ああ、そうだな』
「あと、とっても時間がかかるらしいの。当たり前よねぇ。何か一つ間違えるだけでぐちゃぐちゃになって死んじゃうでしょうからぁ!」
「……何を、言いたいんですか?」
「うふふ」
ドロテアは困惑する私の反応を楽しげに眺めながら続ける。
「今回、確かに龍は戻ってきたわ。この頭に響く声と癇に障る喋り方もあの侵入者とそっくり」
「……そっくりじゃなくて、本人ですよ」
「あらそうなの? でもねぇ……私たちはまだ、あの侵入者が龍に姿を変えるその決定的瞬間を見ていなくてよ?」
ドロテアの口がぬるりと弧を描く。
「こんな中途半端な状況で私たちはどうやって、ふふ……“目の前の龍とあの侵入者が同じ“だと信じたらいいのかしらねぇ?」
まさかこの期に及んで、証拠が足りないから認めないって言うつもり?
屁理屈みたいな引き下がり方だけど、ちょっとややこしいことになったのも事実だった。
なぜなら、処刑延期の期日は豊穣祭まで。
ヤトが今から再び人の姿に戻ろうとしたとしても、その前に建前上正当な形で私を処刑を強行できるから。
前提となるドロテアの予想も、多分だけど的を射てる。
事の発端である龍神様が行方不明になった時、ヤトの出現までに何日か空白の期間があった。
そして今回に関しても、ヤトが姿を消したって話をドロテアから聞かされてる。
話をされたのは前日だけど、もしかしたら実際は何日か前からいなかったのかもしれない。
きっとドロテアたちはそのことに気づいたんだ。
だからこその余裕。
あくまでこっちが悪者っていう前提は覆させずに、あわよくば私だけでも排除してしまいたいって思惑らしい。
……んだけど。
多分問題はないと思う。
『……くだらん揚げ足取りだな』
ヤトが体を起こした。
手のひらを上に向けると、そこに淡い光が宿り始める。
ブルクハルトとドロテアがそれを見て、薄ら笑いを引っ込めた。
「……お、おい何をする気だ⁉」
『いきなり狼狽してどうした? まさか俺に立てつくことの意味を理解していなかったわけではあるまい』
そう。
交渉が通用するのは、均衡した力関係が大前提。
ヤトが強引な手段を選べば、どんな企みもたちまち無に帰すのみ。
交渉を担う貿易家系としては初歩的かつ致命的なミスだけど、ある意味仕方ないのかもしれない。
だって。
「あ、あなた、野蛮な魔物とはいえ村の守り神でしょう⁉ 村の人間を襲う気⁉」
昔外から嫁いできたっていうドロテアですらそう言ってしまうくらい、止まり木村にとって平和は当たり前で、龍神様は居眠りばかりしてる置物っていう認識が染みついてるんだから。
害されるなんて考えたこともないだろうから。
「や、ヤト様! お待ちになってくださいませ!」
今まで思い詰めた様子で成り行きを見守ってたライヒ様が、両親を庇うように両手を広げた。
「いくらなんでもいきなり――ッ、このようなこと認められるはずありませんわっ!」
『ふん。この俺が、どこの誰に、自分の行いを認められる必要がある?』
「それは……ですが……ッ!」
ライヒ様が必死に言葉を探す合間にも、光は増していく。
……別に情なんてないけど。
さすがにこのままってわけにもいかないよね。
「ねえ、ヤト――」
『案ずるな。殺しはしない』
言いながらヤトは、不意に手の内にできた光球を持ち上げた。
ブルクハルトとドロテアが「ひっ」と短い悲鳴を上げて腰を抜かす。
それを見て、つまらなそうに言う。
『本来であれば面倒事に付き合わずとも、尾を一振りでもすれば終わる話。わざわざ貴様らの悪あがきを聞いてやる必要もないが……キリノに汚名を濯いでいないというのも含め、それを実行するのは俺の本意から外れる』
ヤトはそれを目の前の二人じゃなく、自分に向けた。
『ちょっとした戯れだ。今回はその矮小な企てに乗ってやろう』
お腹の辺りに光球ごと手のひらを押し当てる。
するとみるみるうちに、体が光の粒に変わって空気に溶けていく。
「な、なにを……?」
『貴様らが言ったのだろう? 明確な証拠を見せてみろ、と』
光の粒が八方に散って、手の届くところに星空が降りてきたような幻想的な光景を作り出す。
やがて巨大な龍の体は徐々に輪郭を失い。
中心に残った輝く繭のような球体が収束していき。
「ここまでしてやれば、さすがに理解できるか?」
光の中から現れたのは、紅い瞳と白い髪を持つ一人の人間。
ある日突然やって来て、平和な村をかき乱し――
ずっと私を見守り、味方でいてくれた人。
「あぁ」
――そういえば私、ヤトのこと疑うの忘れてたなぁ。
ちょっと話したくらいで、彼と龍神様が同じだって当たり前に信じちゃってた。
ドロテアじゃないけど、前までの私だったら『こんな都合のいい話あるわけない』って疑って、いちゃもんみたいな疑念の一つくらいぶつけてたはずなのに。
「……なんだ。私、ちゃんとヤトのこと信じてたじゃん」
「ようやくか? まったくもって面倒な性格だな」
私の頭をポンと撫でる大きな手。
見上げれば彫刻みたいに整った、けど同時に冷たくて怜悧な顔に柔らかな苦笑が浮かんでる。
それがなんだか嬉しくて、安心感に包まれて、ぼうっと見つめる。
視線が絡んで、頭の奥がほわってする。
「……さて」
ふとヤトが呟いた。
ああ、今はまだ大事な話の途中だった。
我に返った私は、彼と一緒に前を向く。
尻もちをつきながら驚愕と屈辱に顔を歪めるブルクハルトとドロテア。
すぐ後ろにはライヒ様や村長をはじめ、見慣れた村の面々と世界を旅する枝渡りの人たち。
その全員が注目するなか――
「さあ、愚かな止まり木村の人間どもよ――」
「――これで、ご満足いただけましたか?」
私たちは、不遜に笑った。