ざわざわと騒がしい声に目を覚ましたテオは、馬の動きが止まっていることに気づき、右手を手綱から離した。重たい目蓋を擦り、しょぼしょぼする目を、ゆっくり開ける。高い位置に登りかけている太陽の光が、赤い瞳を直撃し、とっさに手で
――どうやら熟睡してしまったらしい。
(……やっぱり、まだ、出かけるのは早かったか……)
そう思っていると、明滅していた視界がクリアになっていき、目の前の光景がはっきりと映る。
「――えっ?」
テオの前には、騎乗したままのレオポルドの背があった。そして自分の身体は、オズヴァルドの左腕の中に収まっており、いつでも疾走できるように右手に手綱をくるくると巻き付けている。
――いったい、なにが起きているんだ?
二人の緊張感が、ピリッと肌に突き刺さって、テオは思わず左腰に佩いているスモールソードにそろっと手を伸ばした。その時、
「動くな。お前は眠ったふりをしておけ、テオ」
と、オズヴァルドに右手を封じられてしまう。テオは左耳へかかる息に、ビクッと身体を揺らして、振動で伝わる程度に頷いてみせた。
――周囲はいぜん、騒然としている。沢山の男たちの声が幾重にも重なり、騒音のようになっていて、言葉を聞き取ることはできない。
テオは薄目を開けて、自分に近づこうと群がる男達の姿を確認し、またかと思った。
(……こうならないように、わざわざ遠回りをして、街を避けたのに)
自然とため息がこぼれそうになるのを堪えて、テオは狸寝入りを決め込んだ。
騒がしい中でもレオポルドの声だけは、よく通るハイトーンボイスのおかげで、はっきりと聞き取ることができた。
「みんな! オレの目を見るんだ!」
強い口調で言った途端、シン……と、男たちの声が止む。――レオポルドの
テオがそっと目を開けると、男たちは酩酊しているかのように、一様にぼーっとしていた。その光景を見て、ホッと肩から力が抜ける。と、同時に、オズヴァルドの手が離れていく。それに少しだけ喪失感を覚えた。
「みんな。道を開けてくれ」
レオポルドが言うと、男たちは素直に左右に分かれて、真ん中に一本の道が開いた。そして、レオポルドはこちらを振り返り、こくっと頷いて見せる。
「行こう」
言って、オズヴァルドは、ハッと馬の横腹を蹴った。馬が動き出し、男たちの間を通り抜けている途中、家の窓や陰からテオたちの様子を遠巻きに見ている女性や子供たちの姿が視界に入る。そして、ヒソヒソと話す内容が聞こえてきた。
「ねえ、お母さん。あのお兄ちゃんだれぇ〜?」
「テオ様よ。レアンドロ様とカロリーナ様の弟君の」
「なんで父ちゃんたち、おかしくなっちゃったの?」
「テオ様がお可愛らしいからよ。……まったく、相変わらず人騒がせなお方だわ」
「ほんと、ほんと。しかも男たちばかり魅了して。気色悪いったらありゃしない」
――気色ガ悪い。
女性たちの言葉に、ズキッと胸が痛む。落ち込むテオの様子に気づいたのだろう。オズヴァルドは、
「気にするな。それもお前の個性だ。恥じることはない。そもそも、お前が男たちを魅了してしまうのは不可抗力だろう?」
と、いつになく優しい声音で慰めの言葉をかけてくれる。そのことが嬉しい反面、気を遣わせてしまったことに罪悪感を抱いた。そして、男たちの間を通り抜ける寸前、
「シッ! テオ様に聞こえたらどうするの」
「そうよ。……それに風の噂で聞いた話じゃあ、婚約者に裏切られて、婚約破棄なさったそうじゃないの」
「可哀想にねぇ。……でも、テオ様本人にも原因があるんじゃないかい?」
「確かにね。私だったら、あんな風に男を誘惑する婚約者なんて、願い下げだね」
憐れみの言葉から、嘲笑へと変わったことに、テオは顔が熱くなるのを感じた。
(クラーラとの婚約破棄の件については、兄上が箝口令を出したと言ってたのに)
――大方、使用人の口から情報が漏れたのだろう。
いたたまれない気持ちでいっぱいだったが、逃げ出すことも出来ずに、ただ俯いて耐えるしかなかった。
――レアンドロは領主として領民たちから慕われ、カロリーナは外交で活躍し、領地の発展に貢献している。なのに、
(……俺には何もない)
テオは劣等感と羞恥心に苛まれながら、熱くなる目頭に、ぐっと力を入れたのだった。
レオポルドがファシノを解除すると同時に、馬は速度を上げて村から抜け出した。そうして暫く疾走し、オズヴァルドとレオポルドの「どうどう」という声かけに、馬の足が止まる。
「大丈夫か? テオ」
前方を駆けていたレオポルドが、巧みに馬を操りながら、馬を方向転換して近づいてきた。
「……大丈夫だ。心配かけてごめん。あと、俺のせいで迷惑かけてしまってごめ、」
「なーに、言ってんだよ!」と、レオポルドが、テオの言葉を遮った。
「不可抗力なんだ。しょーがないじゃんか! オレもオズも、迷惑だなんて思ってないって。な? オズ」
テオのことを気遣いながら、いつもの明るい笑顔を浮かべて、ニッと笑うレオポルド。
「むしろ、大好きなテオのことを助け出せて、オレの気分は高揚してるってーの!」
言って、握った右手の拳で胸を叩き、ニカッと白い歯を見せる。
――レオポルドには、人の心を和ませて、明るくさせる魅力があると思う。
それは、創世神から与えられた『ギフト』ではなく、レオポルド生来の魅力だった。
レオポルドの、太陽のように眩しく輝く笑顔に、テオは顔のこわばりが取れていくのを感じた。そして、テオ自信も、口角を上げて控えめに微笑んでみせる。
「ありがとう。レオ」
すると何故か、首から上を真っ赤にしたレオポルドの様子に、テオは疑問符を浮かべて首を横に傾けた。
どうかしたのか? と訊ねる前に、
「レオの言う通りだ。……むしろ、テオの体調が悪化していないか気になっている。大丈夫か?」
と、頭上からオズヴァルドの声が降ってきた。
いつもの嫌味はなりをひそめ、本気で心配してくれている姿に、胸がトクンと高鳴る。テオは、赤くなっているだろう顔を隠すように、コクッと頷いてみせた。
「大丈夫だ。……俺には、頼もしい
言って、胸の高鳴りを誤魔化すように、ニコッと笑う。――口にした言葉は、心の底からの本心だった。