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第41話 負傷

 農村での騒ぎ以降、テオ達は人里を避けて、わざわざ天然林の中を通った。樹木が乱立する林の中を、オズヴァルドは巧みに馬を操っていく。


 テオは、オズヴァルドの腕の中に収まったまま、その腕越しに背後を一瞥した。


 馬二頭分離れた後方に、オズヴァルドに負けず劣らず、器用に馬を操るレオポルドの姿がある。


 ――さすが、成績優秀者の二人だな。


 と、テオは感心した。聖騎士養成所で、成績一位のオズヴァルドと二位のレオポルドは、全校生徒達から尊敬の眼差しで見られている。そういうテオはかろうじて五位以内に入っているが、それは座学が常に二位なのと、異例のギフト三つ持ちゆえの評価だった。


 ――当然のごとく、座学の一位はオズヴァルドだ。


 テオは、オズヴァルドに対して、劣等感を抱いたことは一度もない。それは、ほかの人たちに対しても同じだった。凄いと思えば凄いと言い。尊敬もする。


 けれど、オズヴァルドに恋心を抱いた今は、大した能力のない自分に羞恥心を覚えている。完璧なオズヴァルドの隣に並ぶためには、自身も完璧でなければならない。そう思ってしまうのだ。


(……でも今の俺には、その資格を得るための努力すらできない)


 どんなに頑張ろうと思っても、行動に移すことができない。初めは病に罹ったことで、怠け癖がついてしまったのかと悩んだ。


 しかし、医師のジョセフが言うには、『行動抑制』という病によって引き起こされる症状の一つのせいらしい。病が寛解かんかいに向かえば、症状もなくなるという。


(『寛解する』と、聞いたときは安心したけど、それがいつになるかは分からない……)


 ――結局、焦る気持ちはなくならなかった。


 テオが思考の海に沈んでいたその時、「テオ。着いたぞ」というオズヴァルドの声によって、深淵から意識を浮上させた。


 馬の背から、オズヴァルドがひらりと地上に降り立ち、テオに向かって当たり前のように両手を広げる。それに対して、ドキドキと胸を高鳴らせるのと同時に、とてつもない劣等感を抱いた。


 ――本当は素直に甘えて、オズヴァルドの胸の中に飛び込んでいきたい。


 しかし、オズヴァルドに相応しい相手になりたいと思っているテオは、


「……馬から降りるくらい、オズの手を借りなくてもできる」


 と素っ気なく言って、馬の背から降りた。が、筋力が衰えている足は、地上に着地した途端によろけてしまう。その瞬間、左足首からぐきっと嫌な音がして、テオの身体が後ろにぐらりとかしいだ。


 テオは咄嗟に、オズヴァルドに向かって右手を伸ばした。オズヴァルドもその手を掴もうとしてくれたが、お互いの指先が触れ合うより早く、身体が地面に吸い寄せられる。


 ――倒れる!


 これから襲われるであろう衝撃に、両目を強く閉じた。


 けれど、いつまで経っても痛みを感じない。テオはそろっと右目を開ける。目の前には、右腕を伸ばした姿のまま、ほっとした表情をうかべているオズヴァルドの姿があった。テオはようやく、顔を半分だけ後ろに向ける。するとそこには、オズヴァルドと同じように、ほっと安堵の顔をしたレオポルドがいた。


「レオ」


 テオが驚いて名前を呼ぶと、


「大丈夫か? テオ」


 と、こちらを気遣う言葉が返ってきた。


 「大丈夫だ。ありがとう」と、テオは、寄りかかっていたレオポルドの胸から離れようとして――


「痛っ」


 と、小さな悲鳴を上げた。


「おい。どうした?」


「どうしたんだ? どこか痛めたのか?」


 オズヴァルドとレオポルドが同時に聞いてくる。


 二人に対してテオは、ははっと苦笑いを浮かべて見せた。


「ごめん。足首を捻ったみたいだ」


 すると、後ろからテオの両肩を掴んでいたレオポルドが、ひょいっとお姫様抱っこをしてきた。


 「ぅわっ!」と、テオは、驚きの声を上げる。そして咄嗟に、レオポルドの首に両腕を回した。思いのほか強く抱き着いてしまったらしく、レオポルドはくぐもった声で、


 「……テオ。くるしい」


 と言った。その声にハッ! として、「ご、ごめんっ!」と、両腕を離す。その途端に、ぐらりと身体が傾いだ。


 しかし、テオは地面に落ちることなく、温かい腕の中にぽすんと収まった。ミモザの爽やかな香りが鼻腔に広がる。


 ――オズヴァルドに抱きしめられている。


 そう認識すると同時に、かあっと顔が熱くなった。今すぐに謝って、オズヴァルドから離れなければ。と思うのに、身体は動かない。ドキドキと鼓動が速くなり、頭の中にまで大きく響く。


(胸が苦しい)


 でも、できることなら、このまま広い胸の中に収まっていたい。けれど、テオは強制的にオズヴァルドの腕の中から離れることになった。


「――さっさと離せよな。テオが苦しがってるだろ」


 レオポルドの棘のある言い方に、オズヴァルドの眉間にしわが寄る。


「……お前が鍛え足りないから、テオを落としそうになったんだろう?」


「なんだと……!?」


 一触即発の二人に挟まれたテオは、二人の顔を交互に見遣り、「まあまあ」と諫めた。


「俺のことはいいから! せっかくここまで来たのに、喧嘩することないだろ?」


 「……それにここには、父上と母上がいるんだ」と、テオは、囁くように言った。


 三人の間に沈黙が落ちる。 


 しんみりとした空気を破ったのは、レオポルドだった。


「まずは足の手当てをしようぜ。テオ」


 言って、「よいしょ」とテオを抱えなおしたレオポルドは、スタスタと歩き出して、近くにあった腰掛けるのにちょうどいい石の上にテオを座らせた。それから馬に乗せた荷物を取りに離れていく。その後姿を目で追った後、チラッとオズヴァルドに視線を移した。


 オズヴァルドはムスッとした顔をしたまま、馬の手綱を取って、そばの木の幹に括り付けていた。ブルルと鳴く馬の横腹を優しい手つきでなでる姿を、ぼうっと見つめていると、ざっさっと草を踏みしめる音が聞こえてきてそちらに視線を向けた。


 両手に救急バッグを持ったレオポルドが、


「テオ。足出して」


 と言って、片膝を地面につく。


 「ああ。うん」と、テオは、素直に左足を前に出した。


 ――テオに痛みを与えない為だろう。


 慎重な手つきでテオの乗馬靴を脱がせるレオポルドのつむじを、じっと見つめる。労わるように患部をなでて、足首を包帯で固定していく姿に、有り難みを感じるだけで胸は高鳴らない。


 しかし、レオポルドの真剣な顔つきを見て、テオは疑問を抱いた。


(……レオは、俺のどこが好きなんだろうか?)


 ――なんてな。


 フッと笑ってふるふると首を振ると、レオポルドが「? どうかした?」と訊ねてきた。


 テオはにこっと笑って、「なんでもない」と答えたのだった。

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