美しい花畑が広がるなだらかな丘の上。
大きな一本のクレイラの木の下に、灰色のつるりとした石材の墓石が、寄り添うように二つ並んでいる。
「――お久しぶりです。父上。母上」
テオはレオポルドの肩を借りて、ひょこひょこと左足を引きずりながら、墓石に向かって頭を下げた。そして、レオポルドの肩に回していた腕を離し、乗馬服の胸元から白いハンカチを取り出す。四つ折りにしたハンカチを開くと、数粒の種が現れた。その種を左手のひらに握り、創世神に祈りを捧げるように、右手で左手を包んだ。
「プリマヴェラ」
テオが囁くと、握り合わせた両手の指の隙間から、まばゆい光がもれだした。温かくなってきた両手を、そっと広げる。すると、光り輝く種が宙に浮き上がり、一瞬で真っ白な百合の花に変わった。両手で抱えるほどの百合の花の球根部分を、レオポルドの暗器で切り落としてもらう。しゃがむことができないテオの代わりに、オズヴァルドがテオから百合の花束を受け取って、二つの墓石の上にそっと手向けた。
――馬車の滑落事故で亡くなった両親。
当時、テオは幼く、両親の記憶はほとんどない。ただ、カロリーナが歌ってくれていた子守唄を口ずさむ母の優しい声と、レアンドロと同じ色をした慈愛に満ちた父の瞳だけは覚えている。
両手を組んで祈りを捧げながら、テオは両親の最後に思いを馳せた。
(兄上と姉上を悲しませたくなくて、父上と母上の死について、詳しく聞いたことはない。二人も、まるで禁句のように、俺の前では、両親について話してくれない……)
けれど二人の事故は、現在の国王に呼ばれて王都に向かう道中で起こったことだと、
(……でも、なんの為に両親が王都に呼ばれたのかは分かっていない)
爵位と財産を狙う親戚たちの仕業か。敵対している貴族派の家門か。……それとも、王の――
「――テオ? 大丈夫?」
レオポルドの心配そうな声音で、テオは思考の海から浮上した。
「……大丈夫だ。心配かけてごめん」
「いや。いいよ、謝らなくて」と、レオポルドは、ポリポリと頬を人差し指でかいた。するとオズヴァルドが、
「ここに来るのは一年ぶりだろう? ……ゆっくり話をすることはできたか?」
と訊ねてくる。
「うん。もう十分だ」と、テオは、こくっと頷く。そして何気なく、墓石の後ろに生えるクレイラの木を見上げて、「あ」と声を出した。
どうした? と言って、レオポルドとオズヴァルドが、テオの両隣に並び立つ。
三人が見上げた先には、クレイラの花の白いつぼみが一つだけあった。
「――今、あなたの進んでいる道は正しい」
ぼつりと呟くと、「なに? それ」と、レオポルドが顔を覗き込んできた。
テオが口を開こうとした時、オズヴァルドが、
「クレイラの蕾の花言葉だ」
と言った。
レオポルドは「ハァ?」と低い声を出して、両腰に手を当てて上体を前に倒すと、オズヴァルドを下から睨み上げた。
「オレは、お前じゃなくて、テオに聞ぃてんの!」
オズヴァルドは両腕を組み、レオポルドを見下すように両目を細めたのち、ツンと顎を上向かせる。
「ふん。テオが答えようが、ボクが答えようが、どちらでもいいことだろう」
「ぜーんぜんっ、ちがーう!」
言って、レオポルドは、オズヴァルドの鼻先に人差し指を突きつけた。その瞬間、テオはレオポルドの人差し指とオズヴァルドの腕を掴んだ。
「アムレ!」
回避のギフトによって、二人の立ち位置が、一瞬で入れ替わる。
「うおっ! いてぇっ!」と、レオポルドは、足元の草で足を滑らせて尻もちをついた。そしてオズヴァルドは、「くっ……!と」前かがみに倒れ、地面に両手と両膝をついたまま一言も声を発しない。
――こうなるかもしれないと、レオポルドもオズヴァルドも予想しなかったのだろうか?
(一度、同じ目に遭ってるのになぁ……)
大した怪我はしていないはずだが、それなりにダメージを受けたはず。
テオは、片足をひょこひょこと動かして、二人の肩を叩いた。
「さあ! これで痛み分けだな? ……それに、俺の父上と母上の眠りを邪魔するなよ。墓石の前で親友二人が喧嘩を始めたら、二人が驚くだろ?」
『親友』の言葉が気に入ったのか、レオポルドとオズヴァルドは「こほんっ。そ、そうだな」と同時に言って、危なげなく立ち上がった。それから各々、乗馬服についた土汚れや草を払って、墓石に向かって聖騎士の敬礼をする。
その様子を見て満足したテオは、もう一度改めて、クレイラの枝葉にぼつんと生えている白いつぼみを見つめた。
『今、あなたが歩んでいる道は正しい』
クレイラのつぼみの花言葉だ。プリマヴェラを有するテオは、草木や花言葉について詳しい。
両親の優しさと包容力を感じさせる、神聖なクレイラの木に背中を押された気がして、もろくなった涙腺が緩みそうになった。
(父上。母上。俺、頑張ります。どうか創世神の元で、見守っていてください)
祈りをささげたテオは、身体を半分だけ動かして、後ろを見た。
(……でもまさか、あの堅物なオズが花言葉……しかも、つぼみの花言葉を知っているなんて。なんか、意外だな)
テオから離れた位置に移動し、こちらに背を向けてこそこそと話している、レオポルドとオズヴァルドの背中を見遣る。二人は交互に片足を繰り出し、お互いの足に蹴りを入れていた。思わず、ハァとため息がこぼれる。
「――そこの仲良し二人組! 俺の代わりに、ランチの準備をしてくれないか?」
「仲良くないよっ」
「仲良くない!」
勢いよく振り返った二人に、「気が合ってるじゃないか」と言って、くすくす笑った。そして笑いが収まる頃になって、二人がじーっとこちらを見ていることに、ようやく気が付く。
「? どうしたんだ? 二人とも。俺の顔に、何かついてるか?」
言って、こてんと首を横に傾けると、二人の顔がみるみるうちに赤くなっていった。ぎょっとしたテオは、足を引きずりながら、二人の元に歩み寄っていく。
「大丈夫かっ!?」
すると二人は同時に両手を前に出して、「大丈夫だから!」と言ったので、ピタッと歩みを止める。訝しがるテオの視線から逃げるように、二人はそれぞれ、ランチの準備を始めたのだった。