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第43話 我慢の限界

 『俺の代わりに』とは言ったものの、何も手伝わないわけにはいかないと思い敷物を手に取ると、横から敷物を奪われてしまった。


「怪我人がうろちょろするな。お前は、そこの石に座っていろ」


 そう言って、オズヴァルドは、石の目の前に敷物を広げて敷いた。――おそらく、敷物の上に座ることのできない、テオのことを考えてだろう。


(……冷たい言い方は相変わらずだけど、オズはいつも気が利いて優しいんだよな……)


「じゃあ、お言葉に甘えることにするな」


 「ふん。そうしろ」と、オズヴァルドは、テオが石の上に座るのを見届けてから準備に戻っていった。


 ランチの準備をするだけで何かにつけて衝突し、ぎゃーぎゃーと言い合いを始めるレオポルドとオズヴァルドの様子を見て、やっぱり自分が間に入らねばと腰を上げようとした。すると、こういう時だけ気の合う二人に止められてしまい、テオは「はいはい。わかったわかった」と苦笑し、大人しく座っていることにする。


 テオはなんとなく空を見上げ、澄んだ青空をゆっくりと流れていく雲を、ぼんやりと眺めた。緑の青い匂いを風が運び、鼻腔を満たして、優しく頬をなでていく。サラサラと髪をさらわれ、その心地よさに両目を閉じた。


(こんな風に穏やかな気持ちになるのは久しぶりだ)


 暖かい陽光を浴びながら、うとうとし始めた時、オズヴァルドに声をかけられた。僅かに重くなった目蓋を開けると同時に、ばさりと肩に何かが掛かる。ほんのりと温かいそれを右手で触り、オズヴァルドがジャケットを掛けてくれたことに気付いた。


(……オズの匂いがする)


 爽やかな香りに包まれ、ジャケットに残るオズヴァルドの体温を感じていると、まるで優しく抱き締められているような気持ちになった。


 いつもは痛いくらいに高鳴る鼓動が、トクントクンと穏やかに拍動する。――これが安心するということか。


 テオはフッと小さく微笑み、


「オズ。ありがとう」


 と、礼を言った。


 するとオズヴァルドは、眉間にしわを寄せて、


「一ヶ月の療養で体力が落ちているだろう。足を怪我した上に、風邪までひかれたら、キャリーに何をされるかわからないからな」


 と、苦虫を噛み潰したように言う。


 オズヴァルドに詰め寄るカロリーナの姿が容易に想像できてしまい、テオは「確かにな」と、クスクス笑った。笑いが収まる頃になって、オズヴァルドからの視線を感じ、「? どうかしたか?」と問いかける。


 するとオズヴァルドは、背後に視線を向けた。その視線の先を追うと、風に吹かれてさわさわと軽い音をたてる、クレイラの木があった。


 「クレイラの木がどうかしたか?」と、テオは、横に首を傾ける。


 オズヴァルドはこちらに向き直り、


「……花を咲かせなくてよかったのか?」


 と言った。


 あの白い蕾のことを言っているのだと気づき、ふるふると首を左右に振った。


 オズヴァルドは腰に片手を当て、心底不思議そうな表情を浮かべる。


「何故だ? お前のプリマヴェラを使えば、クレイラの花を咲かせることなど容易だろう? 咲いた花の花言葉は、『近々、あなたに幸運が訪れる』に変わる。摘んで持ち帰れば、少しは気分が晴れるんじゃないか?」


「オズ……」


 オズヴァルドが自分のことを考えてくれていることに喜びを感じる。


 けれど、テオは花を摘み取るつもりはなかった。


「……確かに、俺のプリマヴェラを使えば、花を咲かせることはできる。でも、その分、早く枯れてしまうだろ?」


「だったら、あの薔薇のしおりと同じように、しおりにして持っておけばいい」


「うーん……それもいいけど、俺はクレイラのいきいきと咲く、白くて清楚な姿を見るのが好きなんだ」


 「だから、このままでいい」と、テオは、緑の葉の中に映える白い蕾を見遣った。


「……そうか。お前がそれでいいなら、ボクはその考えを尊重しよう」


 丁度、会話が途切れた時、


「なーに、二人でこそこそ話してるんだよっ。ほらっ! ランチの準備が終わったよ! 二人っきりの時間はもう終わり!」


 と言って、レオポルドはパン! と両手を叩いてオズヴァルドの両肩を押した。


 テオから五歩分離れた場所に後退されられたオズヴァルドは、


「おい。何をする」


 と、眉間に深いしわを刻んだ。するとレオポルドは、フンと鼻を鳴らして、テオの肩からジャケットを取り去った。


 「あ……!」と、テオは、右手を伸ばす。


 しかし、それに気づかないレオポルドは、ジャケットを宙に放り投げる。そして、それを危なげなく片手でつかみ取ったオズヴァルドが、スーッと両目を細めた。――これは、そうとう腹を立てている。


 焦ったテオが声を上げようとした瞬間、バサッとレオポルドのジャケットが両肩にかかった。言葉を発するタイミングを見失ったテオは、ハラハラしながら二人を交互に見遣る。


 レオポルドは片手を腰に当てて、右手の人差し指を、オズヴァルドに向けた。


「お前さぁ。テオの幼馴染って立場を利用して、でしゃばるのもいい加減にしろよ」


「出しゃばっているつもりはない。ただ、ボクはお前よりもテオについてよく知っている。だから、気の利かないお前の代わりにフォローに回っているだけだ」


「誰の気が利かないって……?」


「フン。お前のことだ。レオポルド・フォン・イテーリオ」


 「オズ……てめぇ……!」と、レオポルドが、ぎゅうっと拳を握る。その拳をチラッと一瞥したオズヴァルドは、相手を煽るように、ハッ! と嘲笑した。


「口でかなわないと分かったら、すぐに暴力をふるおうとする。とても貴族の子息とは思えないな。お前の両親は、しつけ方を間違えたらしい」


 「オズ! 言いすぎだ!」と、テオは、石から立ち上がった。いつもなら、テオが間に入ることで、二人の争いは終わる。


 しかし、今回は違った。オズヴァルドは何も知らずに放った言葉だったのだろうが、実家と折り合いの悪いレオポルドに、家族の話題は禁句だった。――両親に対しては、特にだ。


 案の定、怒りが収まらない様子のレオポルドが、腰に履いたカットラスの柄に手を伸ばす。それに負けじと、オズヴァルドもサーベルに手を伸ばした。その瞬間、テオの堪忍袋の緒が切れる。


 ――再三注意したにもかかわらず、両親が眠る神聖な場所で、剣を抜こうとするなんて。


 一触即発の空気が流れる中、テオは、二人を無視して馬の方に向かった。


 テオの行動に驚いた表情を浮かべる、レオポルドとオズヴァルドの間を、片足を引きずりながら通り過ぎる。その際、二人から困惑の滲む声で名を呼ばれたが無視をした。そして、木の幹から手綱をほどくと、負傷していない方の足を鐙にかけ、ひらりと馬の背にまたがった。


「テオ!?」


「おい。どこに行くつもりだ!?」


 焦ってこちらに駆け寄ってくる二人をギロッと睨んで、


「そんなに喧嘩したいなら好きにすればいい。俺はもう帰る」


 そう言って、馬の横腹を蹴り、颯爽と駆け出したのだった。

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