暖かい風がざあっと吹き、一人になってしまったオズヴァルドの冷たくなった指先をなでていく。眉根を寄せて俯き、つま先を睨みつけながら、ぐぐっと両手を強く握った。剣だこで硬くなってしまった皮膚が裂け、ピリッと痛む傷口から血が流れ出す。拳が震えるほど握り締めたせいで、血が指の間から漏れ出て、草花を赤く染めていった。
『なにが幼馴染だよ。ばぁーか』
レオポルドの言い放った言葉がよみがえる。
「……幼馴染でなにが悪い」
――確かに、レオポルドがテオを恋人に、と言ったときには一瞬思考が停止した。
何故か胸がじくじくと痛み、心臓はバクバクと強く拍動して、
(……だが、寂しく思うのは仕方がないことだろう?)
テオとは、赤ん坊の頃からの付き合いで、物心がついてからは常に一緒にいたのだ。
――年上なのに頼りなく、どこまでも優しくて、弟のように大切な存在。
そんなテオが、一番気に食わない相手に奪われてしまうかもしてないなんて、許せないし動揺もするだろう。
「テオはボクの、大切な幼馴染なのだから……」
自分の気持ちを確かめるように呟いた言葉だったが、何故かしっくりこない。そして、レオポルドの言葉が、頭の中でこだまする。
『じゃあ、テオはオレがもらっていいんだ?』
途端、カッと頭に血が上った。
「いいわけがないだろう! あんな奴に渡すくらいならボクが……!」
――ボクが?
自分がなにを言おうとしたか理解すると同時に、血流が頬に集まり、思わず右手の甲を唇に当てた。ドックドックと心臓が激しく拍動し、潮騒に似た音が頭の中に鳴り響く。
(……ボクは、テオのことが好き、なのか……?)
幼馴染だから、友人だから、ではなく恋愛対象として。そう考えると、今まで抱いてきた感情やとってきた行動に、ようやく名前を付けることができた。
――嫉妬。
散々、レオポルドに言われてきた言葉だったが、今の今までそれが真実だと気付かなかった。――いや。気付かないようにしていたのかもしれない。
オズヴァルドは、他人のセクシャルを否定したり、拒絶反応を感じることもない。世間や周囲の人間が心ない言葉を言おうと、自分の見たもの、そして感じたものを信じて生きてきた。――レオポルドが、バイセクシャルだと知った時も、特に思うことはなかった。
ただ、「そうなのか」と思っただけだ。
けれど、貴族の男子たるもの、いつかは結婚しなければならない。
聖騎士になった者は所帯を持つことは許されていないが、それは平民に限った話であって、貴族である自分たちは子孫繁栄――特に、優れたギフトを持った者は、その聖なる力を継承する為に妻を娶ることが許されている。
だからこそ、テオがクラーラ・カステリヤーノ子爵令嬢と突然婚約した際は、激しく落ち込み嫉妬――当時は気づいていなかったが――に駆られた。
しかし、テオは貴族だ。しかも王を伯父に持ち、母は元王女という由緒正しい家柄の人間である。
あの、テオを異常なほど溺愛しているカロリーナが選んだ相手と知って、最終的には納得するしかなかった。
それにテオも言っていたが、二人が想い合っているように見えなかったのも、諦めがついた要因だった。
――テオは、カステリヤーノ子爵令嬢のことを愛しているわけではない。
長年、テオと一瞬に育ってきたオズヴァルドには、なんとなくそう感じたのだ。仮面夫婦など、貴族の間では、なにも珍しいことではない。
テオの清廉な心が、誰のものにもならないならと、自分の心を納得させた。
しかし婚約から一年も絶たないうちに、カステリヤーノ子爵令嬢とテオは、婚約を破棄することになった。テオがあっさりと、カステリヤーノ子爵令嬢と婚約破棄したと聞いた時は、不憫に思いつつも胸のつかえが取れてスッキリした。それに身内の恥を晒してしまったが、テオの親友という立ち位置にいた兄のオルランドが、親友という立場を失ってしまったことに不謹慎にも喜んでしまった。
だが、レオポルドは駄目だ。
持っているギフトが魅了というのも――幸い、テオには効かないが――そして、テオと同室ということも、親友の立場に甘えてベタベタとくっついて回っているのを見るのも不愉快だった。
だがレオポルドは長男ならしいし、いずれは婚約者を決めて結婚し、家門を継ぐ運命にある。それに、あの自由奔放な性格では一人の相手で満足することは難しいだろうから、テオに対する興味もすぐに消え去るに違いないと勝手に決めつけていた。
しかし――
正々堂々と、テオを自分の恋人にすると言った時のレオポルドの瞳には、初めて目にする本気の色が浮かんでいたのだ。
(……カステリヤーノ子爵令嬢の時とは違って、今度こそ、テオの心を奪われる……?)
ハハッとカラ笑いし、まさかな、とひとりごちる。
けれど学園での……そして、アルバーニ邸での二人の姿を思い出し、オズヴァルドは笑うのをやめた。
心優しく、争いごとを嫌い、普段は頼りないのにいざという時には背中を預けることができる存在。それがオズヴァルドにとってのテオだった。だが、共にいて、テオの笑顔を見たことがあっただろうか?
――いや。ほとんどが困ったように眉尻を下げた、愛想笑いだった気がする。
反対に、レオポルドと一緒にいる時のテオは、いつも心の底から楽しそうに笑っていたではないか。そして二人は、そうするのが当然のように触れ合い、テオはレオポルドの行動を注意はしても拒みはしなかった。
「……テオは、レオのことが好き……なのか?」
女性恐怖症だからといって、必ずしも恋愛対象が男になるわけではないと、小耳に挟んだことがある。それにテオから、恋愛対象者が男であると聞いたことはない。現に、カステリヤーノ子爵令嬢とも上手くやろうと頑張っていた姿が、しっかりと記憶に残っている。
だが、頭の隅で、もう一人の自分が囁くのだ。
テオはゲイで、レオポルドと相思相愛である――と。
そして、それを自分は許せるのか? ……と。
オズヴァルドは、ハァと疲労のにじんだ息を吐き出し、くしゃっと前髪を握った。それから数拍ののち、くしゃくしゃになった前髪を、ザッとかき上げる。ハッキリとあらわになった蒼穹の双眸に、決意の炎が灯る。
「……あいつ……レオにだけは、絶対にテオを渡さない。――いや。レオだけじゃない。他の誰にも、家族でさえも、テオの心を独占することは許さない」
――だって。心の底からテオを愛し、慈しみ、大切に守ってきたのは自分だ。
「それを横から掻っ攫おうなんて、許せるわけがないだろう」
(テオの心は、ボクのものだ。もちろん、あの清い身体も)
テオの治療を早く進めよう。
やはり、シルティアーナの森が重要になってくる気がする。
オズヴァルドは、テオが座っていた石の上に腰を下ろし、一人考えにふけった。