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第46話 林の中で

 ――レオポルドとオズヴァルドが険悪な雰囲気を作り出していた頃。


 一方、テオは、林の中で迷子になっていた。決して広い林ではないのだが、無数の木が乱立しており、道という道が存在しない。なので、樹木の間をぬいながら進んでいかないといけないのだが……。


 ここで問題が一つ。


「そうだった……俺、方向音痴なんだった……」


 テオは途方に暮れた声音で呟いた。


「……どうして俺はこう……」


 ――何をやっても上手くいかない。


 こうして頼りないからこそ、姉のカロリーナは、いつまで経ってもテオを子ども扱いするのだ。


 ハァとため息をついて肩を落とした時だった。鼻先に、ポツンと水滴が落ちてきた。ふと上を見上げると、青々とした若葉の隙間から、灰色がかった空が見えた。


「さっきまで晴れてたのに……」


 まるで、テオの憂鬱な気持ちに呼応するかのように、ポツポツと空が泣き出した。


「ついてないなぁ」


 肩をがっくり落として、もう一度、ハァとため息を吐く。それから周りをきょろりと見まわして、ひと際立派で太い幹をした背の高い木を見つけた。みずみずしい青葉が生い茂っていて、雨宿りにうってつけだった。


 テオは馬のたてがみをなでながら、


「あそこで雨宿りしよう」


 と、馬に喋りかけた。すると、こちらの言葉を理解したのか、馬はブルルンと鳴いて頷いてくれる。


「お前は賢いな。――よし。行こうか」


 言って、ハッ! と、馬の腹を蹴った。そうして馬は、パカパカと蹄の音を無らしながら、ゆっくり歩き出す。


 ほどなくして、テオたちは木の下にたどり着いた。

 テオは、痛めた足をかばいながら、ひらりと地に降り立つ。


 十分に気を付けたつもりだったけれど、捻挫している足首に、ズキッと痛みが走る。テオは思わず、「痛っ」と小さな悲鳴を上げたが、流石は成績第二位のレオポルド。彼の完璧な処置のおかげで、再び患部を痛めることは、どうにか防げたようだった。


 しかし、患部が痛むのは防ぎようがない。


 雨が降ってきたせいもあって、挫した足首は、ズクンズクンと痛みを訴えてくる。テオは額にじわっと汗がにじみ出すのを感じながら、おとなしく指示を待っている馬の手綱を、くいっと軽く引っ張った。


「さあ。お前もこっちにおいで。そこにいたらぬれてしまう」


 馬は、ブルルンと返事をして、大人しくテオに近づいてきた。


「よーし、いい子だ」


 テオは手綱を手近な枝木にくくりつけたあと、ひょこひょこと足をかばいながら歩き、寄りかかるのに丁度良さそうな太い幹に、トンと背中を預けた。


「……雨宿りするにはもってこいの場所だな」


 誰に聞かせるでもなく独りごちる。


 ようやく人心地つき、ふぅと小さく息を吐き出す。それから、ザァザァと大粒の雨が降り出した空を、ぼんやりと見遣った。


(……せっかくのピクニックが台無しだな。でも、久しぶりに馬で駆けるのは、凄く楽しかった)


 そのお陰か、レオポルドとオズヴァルドに対する怒りも収まって、テオの頭は冷静さを取り戻していた。心の余裕を取り戻したことで、ようやく、アルバーニの丘に残してきてしまった二人のことを考えることができた。


「……オズとレオは大丈夫かな……? ずぶぬれになってないといいけど……」


 誰に言うでもなく、ポツッと呟いた。――雨足は当分のあいだ衰えそうにない。


 大した標高の丘ではないのだが、山のように気候が変わりやすく、だんだんと空気が冷たくなっていく。


「大分、冷え込んできたな……」


 言った、テオの身体が、ブルッと震えた。


 春は終わりを迎えようとしていたが、朝方や夜はまだまだ気温が低くなり、肌寒さを感じる。そして、日が陰って雨が降ると、冬のように空気が冷え冷えとしてくるのだ。


「さむ……」


 テオは腕を擦ろうとして、はたと、肩にかかったままのジャケットに気がついた。


「そうだ。レオのジャケット……借りたままだった……」


 正確には、『借りた』と言うよりも『押し付けられた』と言った方が正しいかも知れないが。


 まるで自分の身体の一部のように、テオの身体に馴染んでいたジャケット。テオのジャケットよりも肩幅が広く、一回り大きいそれに、そっと触れてみた。これが手元にあるということは、今頃レオポルドは、薄着のままずぶぬれになっているかもしれない。


「レオ。風邪を引かないといいけど……」


 スンと鼻をすすると、雨に濡れた土の匂いに混じって、シトラスの爽やかな香りが鼻腔の中を満たした。


 爽やかさの中にほんのりと苦さを感じて、いつでも明るく陽気なレオポルドがまとうにしては、少し大人っぽい香りだなと意外に感じた過去を思い出す。


 ――寮で生活していた頃は、このシトラス香りが相部屋に漂い、テオの衣服にも染み付いていた。


 だからか、嗅覚が慣れてしまって、すっかりこの匂いを忘れていた。およそ一年嗅ぎ続けた香りに、郷愁に似た感情がわいてくる。


「……なんだか、寮で生活していたのが、遠い昔の話みたいだな……」


 それから何故か、鍛錬場で見た、レオポルドの引き締まった身体を思い浮かべてしまった。ぼーっと宙を見つめ、立派な腹筋だったな、などと悠長に考える。そうして、ブルルンと鳴いた馬のいななきで我に返ったテオは、頬にかあっと熱が集まっていくのを感じた。


「い、いったい、何を考えてるんだ、俺は!」


 そう言って、パチン! と、両頬を叩いた瞬間だった。


「おーい! テオー! どこだーっ?」


「……レオ? 探しに来てくれたのか!」


 自分はここにいる! と声を上げようとして、さっきまで邪な考えに耽っていたことを思い出し、非常にいたたまれない気持ちになってしまう。


(どっ……どうしよう……!)


 テオが羞恥心にかられてまごついている間も、激しい雨音に負けない声量で、レオポルドは何度も何度もテオの名前を叫び続けていた。


「おーい! テオーーッ! 居たら返事してくれーーっ」


(レオ……)


 ザアザア降りの雨に濡れながら、ジャケットもなしに濡れ鼠になっているであろうレオポルドの姿を想像して、テオは邪な考えを掻き消すように頭を左右に振った。そして、バチン! と頬を叩いて正気を取り戻すと、左手を口の横に当てた。


「レオーッ! 俺はここだー! ここにいるー!」


 雨あしは激しく、叫んだ声は樹木に吸収されてしまう。


 でも、テオには確信があった。


 レオポルドは、必ず自分を見つけてくれるということを。


 そうして予想通り、レオポルドはあっと言う間にテオを見つけ出したのだった。


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