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第48話 カロリーナ③

 壁際にレオポルドとオズヴァルドを立たせたまま、カロリーナは不安げな表情を浮かべて、ジョゼフが処置をする様子を見守った。――いや。監視していたという表現の方が正しいかもしれない。


「……落ち着いて処置することもできない」


 ハァと小さくため息を吐いて、ボソッと呟いたジョゼフに、テオは申し訳なく思いながら謝罪した。するとジョゼフは、「いえ。今のは失言でした。テオ様に非はありません」と言い、手際よく足首に包帯を巻いていく。


 言外に、『カロリーナには迷惑している』と言ったも同然のジョゼフに、テオは苦笑いするしかなかった。


「――さあ。終わりました」


 レオポルドの処置もしっかりしたものだったが、やはり本職のジョゼフには敵わない。足首はしっかりと固定され、ほとんど痛みを感じなくなったことに、テオは驚きを隠せなかった。


「凄い。かなり痛みが和らぎました」


 「ありがとうございます、先生」と、テオは、丁寧に頭を下げる。するとジョゼフは僅かに表情を変え、「いえいえ。これが私の仕事ですから」と、恐縮した様子を見せた。二人の間にほっこりとした空気が漂ったが、


「先生! テオの怪我はどうですの!? まさか後遺症が残るのではないですわよね!?」


 と、金切り声を上げたカロリーナによってぶち壊された。


 ほんのりと疲労を滲ませた顔をしたジョゼフは、コホンと咳払いをすると、すっくと立ち上がってカロリーナに向き直った。


「テオ様の怪我は、ただの捻挫です」


 「ただの捻挫!? あなた今、『ただの』とおっしゃいましたの!?」と、カロリーナは、怒声を上げる。


「あ、姉上……落ち着いてくださ、」


「私のかわいいテオが重傷を負ったというのに、落ち着いていられるわけがないでしょう!」


 悲鳴に近い声で言ったあと、カロリーナはテオの足元にひざまずいて、その両手をぎゅうっと握りしめた。大げさに騒ぎ立てるカロリーナに、さすがのテオも苦笑するしかない。


「ああ……! かわいそうなテオ……っ」


 大きな美しい赤い瞳をうるませるカロリーナに、ジョゼフは再び咳払いをして、


「……テオ様の捻挫は軽傷です。一週間もすれば完治します」


 と言った。


 しかしカロリーナは安心するどころか、


「一週間!? 一週間もかかりますの!? ちょっとあなた! 腕利きの医者なのでしょう!? 今すぐに治しなさいな!!」


 と、理不尽な怒りをジョゼフに向けた。


 これにはさすがのテオも黙っていられず、


「姉上。いい加減になさってください。今の姉上は、聞き分けのない子どもと同じです。俺は大丈夫ですから、あまり騒ぎ立てないでください。さあ、ジョゼフ先生に謝って」


 と、カロリーナをいさめる。


 すると、眉をつり上げていたカロリーナはしゅんと肩を落として立ち上がると、ジョゼフに向かって頭を下げた。そしてしぶしぶといった風に、


「……騒ぎ立てて申し訳ありませんでしたわ。テオが怪我をしたことに動揺してしまいましたの。許してくださいまし」


 と素直に謝罪をした。……正直、台詞は棒読みで、全く心はこもっていなかった。


 しかし、あのカロリーナが謝罪したことに驚いたジョゼフは、壊れた人形のようにこくこくと頷いて謝罪を受け入れたのだった。カロリーナが謝罪し、ジョゼフがそれを受け入れたことで、テオは十分満足して口もとをゆるめる。 


 だが、ジョゼフの顔色は先程よりも悪く、全身から疲労感がにじみ出ていた。テオはこてんと首を傾けて、


「ジョゼフ先生、大丈夫ですか? 顔色が悪いですが……」


 と言った。するとジョゼフはズレたメガネを中指で押し上げて、


「……私は退出させていただいても?」


 と、許可を求めてきた。特に断る理由もないので、テオはコクッと頷いて、「ありがとうございました、先生」と礼を言う。


 ジョゼフはチラッとカロリーナを一瞥したあと、焦ったように胸の前で両手を左右に振り、


「いっ、いえいえ。ではまた明日参ります」


 と早口に言って、急いで談話室から出ていってしまった。


「ジョゼフ先生、一体どうしたんでしょう?」


「さあ? お腹の調子でも悪かったのではないかしら」


「? そうなんですかね?」


 釈然とせず、首を傾げるテオだったが、カロリーナがそう言うならばと納得した。


「さあ、治療も終わったことですし、テオは部屋に戻って休んでなさいな」


 にこっと優しく微笑んだカロリーナに向かって、テオは素直に頷く。そして、


「じゃあ、レオとオズも――」


「お二人はわたくしに話があるそうですの」


「そう……なんですか?」


 と言って、テオはレオポルドとオズヴァルドの顔を交互に見た。すると二人は、ジョゼフと同じように、こくこくと頷いて見せた。どこか二人が、自分に助けを求めているような気がして、テオはカロリーナを呼んだ。


「ん? どうかしましたの? テオ」


 いつもの優しいカロリーナの姿に、ホッと安心して、


「いえ。なんでもないです。では、俺は部屋で休んでますね。お姉様、またディナーの時にお会いしましょう」


「ええ。お土産話を楽しみにしていますわ」


 テオは、カロリーナとジョゼフの攻防を思い出して、迷子になって雨にぬれたことは黙っておこうと心に決めた。テオは、メイドが扉を開ける直前に、


「――じゃあ、俺は部屋にいるから。姉上との話が終わったら会いに来てくれ。また後でな」


 と言った。そうして、カロリーナ付きのメイドの一人に支えられ、談話室から出ていった。


 ふりふりと、優しい微笑みを浮かべて右手を振っていたカロリーナの雰囲気が、ガラリと変わる。


「――さあ。楽しい楽しい、『お話』をしましょうか?」


 影のように控えていたカロリーナ付きのメイドが、うやうやしく両手を捧げ上げた。その手のひらの上には、もはや二人が見慣れてしまった教鞭マルティネが載っていた。


 カロリーナはメイドを見ることなくマルティネを掴み取り、使い心地を確かめるように、パシッと自身の左手を叩いた。それから手のひらをじっと見つめたカロリーナは、


「……これではテオに気づかれてしまうわ」


 と言って、「二人とも、中にお入りなさい」と扉に向かって声をかけた。すると、鍛え上げられた肉体を持った護衛騎士が現れ、それぞれがレオポルドとオズヴァルドの両手を後ろで捻り上げ、お尻を突き出す形で四つん這いに抑え込む。


「さあ。お仕置きを始めましょうか?」


「まっ、待て! キャリー! 早まるなっ」


「お姉さん、待ってください〜〜!!」


「うふふ。丁重にお断りいたしますわ」


 そうして、スゥッと両目を細めたカロリーナは、思いっきりマルティネを振りかぶったのだった。

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