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第50話 マルヴァーネ②

「どうして俺が恨まれなくちゃならない!? 俺を裏切ったのはクラーラだろう!?」


 怒鳴り声を上げたテオに怯むことなく、ララはフンッと鼻を鳴らす。


「そんなの知らないわよ。ララだって、気がついたらこの世界に存在してたんだもん。でも、自分がするべきことだけは分かったわ。それは、テオ様を追い詰めて、たくさん苦しめること。……ふふっ。ララが悪意の塊だからなのかなぁ? テオ様をいじめるのは、とーっても楽しいし、怯えた顔や泣いてる顔を見ると身体がゾクゾクするの!」


 「これが『生きてる』ってことなのかなぁ?」と、ララは、幼い子供のように無邪気に笑った。


「それにね? ララはテオ様の嫌悪感の塊でもあるから、テオ様の心の中は、ぜーんぶお見通しなの! だから、いーっぱい、いじめてあげることができるんだぁ〜〜」


 キャハハッ! と楽しそうに笑いながら、ララはくるりと一回転する。ドレスの裾が、咲き誇る白百合のように、ふわりと広がった。


「でもね、テオ様。ララ、一つだけ分からないことがあるの」


 そうしてララは、後ろで手を組み、前かがみになってテオを見上げてきた。


「――ねえ。テオ様って、オズヴァルド様とレオポルド様のどっちが好きなの?」


「……えっ?」


 テオがすぐララの問いに答えなかったからか、ララは唇を尖らせて、「ねえ、どっち?」と焦れたように同じ質問をした。


「そ、れは……」


 もちろん、オズヴァルドだ。と、なぜだか即答できない。そして脳裏に浮かんだのは、雨の中で微笑む、レオポルドの姿だった。


 テオがどこにいても、必ず見つけると言ってくれたレオポルド。


 あの雨が降る林の中で道に迷った時。


 部屋に閉じこもって、一人孤独に苛まれていた時。


 テオを見つけ出して助けてくれたのは。


 光の下に引っ張り出してくれたのは。


 いつだって、レオポルドだった――


(俺。まさかレオポルドのことも?)


 かあっと顔に熱が集まり、思わず右手で口もとを覆った。それからハッとしてララを見ると、テオの考えていることなどお見通しだ、という顔をして「ふーん」と両目を細めた。


「どっちのことも好きなんだ? アハッ! テオ様って、意外と強欲なんだね? 隅に置けないなぁ〜」


「ちっ、違う! 俺は、」


 「違わないよ」と、ララは、ストンと表情を無くして首を傾けた。


「もっと自分の気持ちに素直になったら? 別にいいじゃない。好きな人が二人いても」


「な……! いいわけがないだろう!!」


 「えぇ〜〜」と、ララは、不服そうな表情を浮かべる。それから両腕を組み、右手の人差し指で顎をトントンと叩きながら、


「う〜ん。それならぁ〜〜」


 と言ったあと、突然、パチン! と両手を叩いた。


「テオ様っ! ララ。いいこと思いついちゃったぁ!」


 キャハハ! と笑って、くるくると踊りだしたララに、テオは、


「……どうせ、ろくなことじゃないんだろ?」


 と、げんなりして言った。


 するとララは、ピタッと踊るのを止めて、ぷくっと両頬を膨らませたまま、テオを睨んできた。


「聞いてもないのに決めつけないでよ」


 喜怒哀楽の切り替わりが激しいララに気圧され、気がつけばテオは、「ごめん」と謝っていた。


「ふんっ! 謝るくらいなら、最初から言わないでよね!」


 「まあ。今回は許してあげるけど」と言ったララを見て、成る程、どうりでカロリーナと気が合うわけだと納得してしまう。見た目も喋り方も正反対な二人だが、喜怒哀楽の落差と突拍子もないことをするところなどは、非常に似通っていた。


 ララは、一人楽しげにクスクス笑って、まるでサプライズをするかのようにこちらをチラッと見てきた。――相手がクラーラではなく、マルヴァーネだと分かっていても、やはり見た目や香りに嫌悪感を抱いてしまう。


 それでも、こうやって話すことが出来ているのは、彼女が本物のクラーラではないからだろうか?


 見た目は女神のように美しいのに、その心の中は悪意に満ちていて、どこまでも無邪気で残酷な存在。


(……マルヴァーネ、か。しかも、本体持ちの)


 病は別として、この|悪しき魂は、聖力を使えば祓えるのではないか? と脳裏をよぎったが、すぐに考えを振り払った。


(本体があるマルヴァーネの祓い方は、まだ習っていない。それに、マルヴァーネは、クラーラと俺の魂が複雑に絡み合って生まれた存在だ。むやみに手を出して、俺はともかく、クラーラが廃人状態にでもなったら……)


 クラーラのことを憎みはすれど、その存在をどうにかしてやろう、などとは考えたことも実行しようとしたこともない。


 テオが一つだけ願うこと、それは、


(もう二度と会いたくない)


 ただそれだけだった。


(でも、今、彼女が……クラーラが、俺の目の、前にいて――)


 胃液が逆流する感覚がして、口もとを手のひらで覆った時、


「ちょっと! テオ様! ララの話、ちゃんと聞いてんの!?」


「っ、ん! え!?」


 吐き出しかけた胃液を、ごくんと飲み込んでしまった。


 再び発作が起きそうだったが、別の驚きで失神してしまいそうになった。


「ラ、ララ……?」


 「ふんっ!」と、鼻息荒く腰に手を当て、テオを見上げてきたのは、幼い姿――五歳くらいだろうか――をしたララだった。


「ララ、言ったじゃない。テオ様の心の中が読めるって。まだ話の途中なのに、倒れられたら困るから、特別に姿を変えてあげたのよ! この姿なら、気持ち悪くなんないでしょ?」


 「感謝しなさいよね!」と、ララは、両腕を組んでふんぞり返る。


 一度に色んなことが起こり情報過多になってしまったテオの頭は、とりあえず今だけ、考えることを放棄することにした。大して広くもない両肩に、どっと疲労感がのしかかった気分で、テオはおとなしくララの言葉を待つ。するとララは、ようやく満足した様子で、両手で口もとを隠しながらクスクスと楽しげに笑った。


 ――いったい、何を言うつもりなのか。


(……嫌な予感しかしない……)


 そして、その予感は当たることになる。


 ララは笑うのをやめると、ニンマリと三日月のように口を歪めて、


「――ヤッちゃえばいいのよ」


 と言った。


 意味が分からず、「なにを?」と、テオは首を傾ける。するとララは、途端に冷めた表情を浮かべて、ハァとため息をついた。


「もー、鈍いわねぇ〜。ヤることといえば一つだけじゃない。セックスよ、セックス!」


「セッ……はぁ!?」


 テオは、首から上が茹だるように熱くなるのを感じて、じりっと後ずさりをした。

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