「なぁーに? テオ様ってば、こんなことで照れちゃうの?」
「こっ、こんなことって……破廉恥だ!」
「プッ! 破廉恥って! なにそれ〜」と、ララは、キャハハと腹を抱えて笑う。それから目尻に浮かんだ涙を指ですくい取り、
「今どき、純潔を守ってる貴族の方が珍しいって知らないの? 平民なんて、もっとよ、もっと!」
と言って、意味ありげにニヤニヤと笑ってみせる。
テオは、「も……もっと……!?」と、ひどく衝撃を受けてふらりとよろめいた。
ララはテオの反応が気に入ったらしく、クスクス笑いながら、
「そうよ。現にオーリーだって――」
「やめろ!!」
どんなことを言っても怒鳴らなかったテオの怒声に、さすがのララも、ビクッと肩を揺らした。それから数拍のちに、ハッとした顔をして、ギロッとこちらを睨みつけてくる。
「なっ、なによ! 急に大きな声出してっ! ララはただ、事実を言っただけなのに!!」
ララの甲高い声が内耳をかき混ぜ、平衡感覚を失ったテオは、今度こそガクッと膝から崩れ落ちた。そして、右手で口を押さえたが、込み上げてきたものをこらえることができず、絨毯の上に胃液を吐き出した。――思い出したくないのに、思い出してしまう。あの日、庭園のガゼボで睦み合うオルランドとクラーラの姿を……。
(……あんな汚らわしいことを、レオやオズとするだって……? ふ、ざける、な……)
視界がぼんやりとかすみ、上体がぐらりと傾く。そうしてテオは、自身の吐瀉物の上に倒れ込み、そのまま意識を失ったのだった。
――一方その頃、レオポルドとオズヴァルドは、ヒリヒリと痛む尻を庇いながら、テオの居室に向かっていた。
「いってぇ〜〜テオのお姉さん、容赦なさすぎ」
「キャリーは、テオが絡むと見境がなくなるからな……」
「ふーん。テオ。大事にされてるんだな」
「ああ」
それっきり、二人の間に沈黙が落ちる。アルバーニの丘での一件以降、レオポルドは猫をかぶらなくなり、オズヴァルドも必要以上に喋らなくなったからだ。
ただひたすらテオの居室を目指していると、そこに近づくにつれ、使用人たちが慌ただしく行き来している場に遭遇した。
「おい。何かあったのか?」と、オズヴァルドが、メイドの一人を引き止めて訊ねる。するとメイドは、たたらを踏んで振り返り、泣きそうな表情を浮かべて口を開いた。
「テッ、テオ様が倒れてしまわれました……っ!」
「なんだと!?」と、オズヴァルドが、声を荒げる。それとほぼ同時に、レオポルドが駆け出した。
「あっ、おい! 待て! レオポルド!」
オズヴァルドの制止の声を無視して、レオポルドはあっと言う間に、メイドや使用人たちの中に消えていってしまう。
チッ、と舌打ちをしたオズヴァルドは、おろおろするメイドに向かって、
「キャリーのメイドは――ドールはどこにいる!?」
「すっ、すでに、レアンドロ様とカロリーナ様のもとに報告に向かいました!」
「そうか、流石だな」
――ならばすぐに、ジョゼフ医師が到着するだろう。
動揺しながらも、冷静に状況判断をしたオズヴァルドがテオの居室に向かおうとした時、慌ただしく動きまわっている使用人たちの中に、ひとり佇む幼い少女を見た。
「……カステリヤーノ子爵令嬢……?」
呆然と呟いたオズヴァルドの声が聞こえたのだろう。少女は、ハッとオズヴァルドを見遣ると、くるりと踵を返して走り出してしまった。
「あっ……! おい、待て!」
急いで駆け出したオズヴァルドだったが、少女はかすみのように消え去ってしまう。
「な……!?」
驚愕して立ち止まったオズヴァルドのもとに、指示を求める使用人たちが、我先にと集まってくる。オズヴァルドは少女のことが頭の隅に引っかかったまま、
「――テオッ……!」
テオの部屋にジョゼフが到着してすぐ、血相を抱えたカロリーナが、扉を壊さん勢いで入室してきた。
数分前まで、テオのそばを離れようとしなかったレオポルドは、名残惜しげにその場を離れる。するとカロリーナは、レオポルドのことなど視界に入っていないかのように、テオのそばに駆け寄って床に跪いた。
「テオ……」
カロリーナは、掛け布団から出ていたテオの左手を掻き抱くように握りしめると、蒼白になっているテオの顔をそっと優しくなでた。テオの肌は、血が通っていないかのように冷たくなっており、美しく整えられているカロリーナの指先を冷やす。――まさか。と嫌な予感が脳裏によぎったのだろう。肌に触れている右手が、ブルブルと小刻みに震えだした。
そんなカロリーナの心中を察したのか、ジョゼフは、
「テオ様は、眠っておられるだけです。おそらく、貧血を起こされたのでしょう。心配なさることはありません。即効性がのある気つけ薬を注射したので、じきに顔色も良くなり、目を覚まされるでしょう」
と言った。
カロリーナは、ジョゼフの言葉に返事をすることなく、ただ一心にテオの顔を見つめていた。その後ろ姿は、いつもより小さく頼りないもので、見る者の心を締め付けた。
「……さっきまで元気そうでしたのに、一体何がありましたの?」
ようやく口を開いたカロリーナは、振り返ることなく訊ねたが、理由を知る者は誰一人としていない。ただ――
「……見間違えかもしれないが、子どもがいるのを見た」
「子ども?」と言って、カロリーナは、初めてオズヴァルドを振り返る。
「ああ」と、オズヴァルドは、神妙に頷いた。
「その……驚かないで聞いてほしいんだが……」
カロリーナはテオの手を掛け布団の中に入れ、ぽんぽんと優しく叩くと、背筋を伸ばしてすっくと立ち上がった。それから、
「テオがこのような目に合っていること以上に驚くことなどありませんわ」
と、あごを反らして言う。
「……そうか」と、オズヴァルドは苦笑し、乾いた唇をひと舐めしてから口を開いた。
「カステリヤーノ子爵令嬢によく似た……いや、そっくりと言っていいだろう。推定五、六歳の白いドレスを着た少女がテオの部屋の前に立っていて、ボクと目が合うと姿を消してしまったんだ」
「姿を消した、ですって?」
「ああ。言葉通りに受け取ってもらって構わない。それに、ボク以外の人間には見えていないようだった」
「と、いうことは」と、カロリーナは、ハッとして両目を見開いた。それに、オズヴァルドはコクッと頷いてみせる。
「……おそらく、人間ではないだろう」
その場にいる全員が、身体を強張らせ、ごくんと生唾を飲み込んだ。