「……では、テオが見ていたという幻影は――」
表情を強張らせるカロリーナに向かって、オズヴァルドは迷うことなく、こくっと頷いてみせた。
「おそらく、マルヴァーネだ」
「そんな……! あの女が……クラーラが聖女だったなんて……!」
「ありえませんわ!!」と、カロリーナは、声量を抑えながらも叫ぶ。
「でも、お姉さん。幻影の正体がマルヴァーネなら、その本体であるカステリヤーノ子爵令嬢を殺せば、テオを助けることができますよー?」
「殺す、って……あなた……」
普段、チャラチャラしているレオポルドの口から物騒な言葉が出てきたことに、カロリーナは驚きを隠せない様子を見せる。
しかしアルバーニの丘でその本性を知ったオズヴァルドは、驚くことなく「そうか。聖女を殺せば、マルヴァーネは消滅するのか」と、レオポルドの知識に肯定的な反応を示した。
三人の間に沈黙が落ちる中、「あの、すみません」と、控えめな声が上がった。三人が同時に振り返ると、そこには、困惑の表情を浮かべたジョゼフがいた。
「その、話に水を差すようで申し訳ないのですが、私にはなんの話をなさっているのかさっぱり……」
「……ああ」と、オズヴァルドたちは、ジョゼフの存在をすっかり忘れていたことをアイコンタクトで共有し合う。そしてオズヴァルドは、聖女やマルヴァーネについて詳しいであろう、ステルラ出身のレオポルドを見遣った。――その視線から、何を言わんとしているか察したのだろう。
レオポルドは、ジョゼフに向かって口を開いた。
「先生は、聖女と
「どこまで……ですか? ……聖女は伝説の中の存在で、エフィーリアは実際に存在した、ということだけ」
「じゃあ、何も知らないってことっすね〜」と、レオポルドは、ふぅと小さく息を吐いた。それから、「少し、話が長くなるんで」と言って、全員にソファをすすめた。そうして、全員がおとなしくソファに座ったのを確認して、レオポルドはジョゼフの前に腰を下ろした。
「――まず、聖女はその存在が珍しいだけで、伝説の存在じゃーないです。ただ、エフィーリアとは、魂の本質が違うんですよ」
「魂の本質、ですか?」と、ジョゼフは、首を横に傾ける。
レオポルドは、「そーです」と言って、頷いた。
「聖女とエフィーリアは創世神の加護によって生まれる存在ですが、聖女がペダグラルファ大陸の人間から選ばれるのに対して、エフィーリアは異世界から召喚されて国の守護神の保護下に置かれるんです。守護神と行動を共にするエフィーリアの魂は、決して穢れることはないんですよ。でも、特に保護されることのない聖女は、聖女というだけの普通の人間と同じ……だからその魂は、善にも悪にも転じます。それに聖女は、純潔を失うと聖力を無くしちゃうんですけど、エフィーリアは結婚して子どもを産んても、神力を失うことはありません。そしてエフィーリアの子どもは、その神力を受け継いで生まれ、貴重な存在として国に認知されて登録されるんすよ」
言って、レオポルドは、未だ眠ったままのテオに視線を移した。そうして、好意を隠すことなく、一心にテオを見つめる。
レオポルドの意識をこちらに戻す為に、オズヴァルドは「んんっ」と咳払いをする。ハッとした様子のレオポルドは、コホンと咳をして、再びジョゼフに視線を向けた。
「……話を続けるっすね。聖女は純潔を失うとその力を失うと言いましたけど、オレ達に聖女と思われているカステリヤーノ子爵令嬢が、マルヴァーネを生み出した……と、いうことは――」
「ふんっ。もう穢れた身体だと思っていたけれど、また純潔を守っていましたのね、あの女」
「テオとオルランドを天秤にかけていたのだわ!」と、カロリーナは忌々しげに言って、黒く塗られた親指の爪の先をカリカリと噛んだ。
レオポルドは、イライラした様子のカロリーナを一瞥し、
「あのー、お姉さん? 後からいろいろ聞かれるのが面倒なんで先に言っとくんですけど」
言って、茜色の髪をガシガシをかき混ぜた。
「あー……、お姉さん以外の人も、この話を聞いてもスルーしてほしいんですけど〜。オレ、実は、大神官の隠し子なんすよ〜〜」
「――は?」
オズヴァルドを筆頭に、この場にいるカロリーナやジョゼフが、ぽかんとしたのちに我を取り戻して口々に声を上げる。
「えっ? どっ、どういうことですの!?」
「そ、そんな、まさか……」
しかし、レオポルドは、
「あ。この話に関しての質問は受け付けないんで。よろしくでーす」
とチャラさ全開で、パチンとウィンクをした。それから、自分に視線が集まったことを確認すると、ジョゼフに向かい直ってさっさと話しはじめてしまう。
「ペダグラルファ大陸に危機が訪れない限り、大神殿に神託が下ることはなく、わざわざ聖女を探すようなことはしません。そのせいで、聖女を見つけ出した時には聖力を失っているか、悪に転じてマルヴァーネを生み出していることの方が多いんですよー。だから大抵、聖女は
「そんな……! 医師として、人殺しを黙って見過ごすことはできません! 他に……なにか、他に解決する方法はないのですか?」
必死に訴えかけるジョゼフに、一瞬だけ冷めた表情を浮かべたレオポルドを見て、オズヴァルドは「腹黒め」と小さく吐き捨てた。
その声を耳ざとく聞き取ったのだろう。
レオポルドは、オズヴァルドに向かって「べ」と舌を出してから、何事もなかったように口を開いた。
「聖女を殺さず、浄化する方法はありますよ。それは、もう一人の聖女が、堕ちた聖女を浄化する方法です」
「では……!」
「それがですね〜。さっきも言ったように、『ペダグラルファ大陸に危機が訪れない限り、大神殿に神託が下ることはない』んですよ。ジョゼフ先生」
「……だから聖女を探す努力もせず、手っ取り早いからと、一人の少女の命を奪うというのですか……?」
血反吐を吐くように言ったジョゼフを、オズヴァルドとカロリーナは、非常に落ち着いた様子で静かに見ていた。――もちろん、レオポルドもだ。
「あ、あなたたちは……!」
ジョゼフが勢いよく立ち上がり、口を開こうとしたその時。
「――それじゃ、駄目なんだ……レオ……」
と、弱弱しく掠れた声が遮った。
「テオ!」と、オズヴァルドとカロリーナが同時に立ち上がったが、その時にはもう、レオポルドが駆け出していた。