テオは、ベッドに肩肘をついて、上体を起こそうとする。
「テオ! 大丈夫なのか!?」と、レオポルドは、起き上がろうとするテオの背中を支えてくれた。
レオポルドの優しさに感謝しながら、「ありがとう、レオ」と微笑みかける。するとレオポルドは照れた様子を見せながら、テオの背中にクッションを敷き詰めてくれた。そのお陰で、安定した姿勢を取ることが出来て、ふぅと小さく息を吐く。
上体をクッションに沈めるテオのそばに、レオポルドが椅子を引っ張ってきて座った。それから再び、テオの安否を訊ねてきたので、もう一度大丈夫だと微笑んでみせた。
ようやく安心したらしいレオポルドが、テオの体調を気遣いながら、先程の言葉の意味を訊ねてくる。
それに答えようとして、テオはこほこほと咳き込んでしまった。――おそらく、嘔吐によって喉の粘膜が傷ついたのだろう。なかなか咳が止まらないテオに、レオポルドはベッドのサイドチェスト上にあった
礼を言ってコップを受け取り、ほんのり冷えた水を、ゆっくり
「……俺も、ジョゼフ先生と同じ考えを持ってる。できれば、クラーラを害するようなことはしたくない」
「テオ……でも、」
「それに、今回の件は、そう簡単なことじゃないんだ」
「どういう意味だ?」と、オズヴァルドが、眉をひそめて訊ねてくる。
テオは乾いた唇をひと舐めして、深く深呼吸をした。そして――
「あのマルヴァーネは、クラーラの俺に対する遺恨と、俺のクラーラに対する嫌悪感が生み出した存在なんだ。……おそらく、俺とクラーラの魂が複雑に絡み合ってる」
「そんな……!」と、カロリーナは、悲痛な声を上げて口もとを両手で覆った。
それまで、黙って話を聞いていたレオポルドは、
「……じゃあ、カステリヤーノ子爵令嬢を消せばいいってわけにはいかないってことだね」
と言った。
部屋に沈黙が落ちる中、「で、でしたら」と、カロリーナが言葉を発した。
「テオはこのままずっと……下手をすれば一生、マルヴァーネの悪意にさらされ続けるということですの……?」
数拍の間を置いて、レオポルドは無言で、カロリーナの言葉を肯定した。
カロリーナは言葉をなくし、その華奢な身体が、ふらりと
「キャリー!」と、オズヴァルドは、倒れる寸前のカロリーナを抱きとめる。それを見ていたテオは、カロリーナが怪我をしなかったことにホッとするのと同時に、もやもやとしたものが胸中に湧き上がるのを感じた。
『なぁーに? だーいすきなキャリーにまで嫉妬しちゃったの〜? 意外と心が狭いんだねぇ、テオ様って!』
キャハハ! と甲高い笑い声を上げながら、突如現れたマルヴァーネ――ララは、ベッドの端にぽすんと腰を下ろした。幼い姿を保ったまま、ララは楽しげに、ぶらぶらと両足を遊ばせる。その姿と声に気がついているのは、テオだけのようだった。
『……何しに来たんだ?』
皆の前で声を発することは出来ないので、心の中で話かける。するとララは、
『ララの話で盛り上がってるみたいだったから主役が登場してあげたのよ。まあ、テオ様以外には、ララの姿は見えないみたいだけど〜』
『ざーんねーん』と言いながら、全く残念そうに見えないララを、テオはチラッと一瞥した。するとララは、ピタッと動きを止めて、食い入るようにオズヴァルドを見遣る。
『……オズがどうかしたのか?』
『ん〜? ララ。オズヴァルド様に姿を見られちゃったんだよねぇ〜〜』
『そうか。それでマルヴァーネの話になったのか』と、テオは、今の状況についてようやく納得がいった。わざわざ聞くことはしなかったが、何故マルヴァーネについて議論することになったのか、不思議に思っていたのだ。すると、ララがくるんと振り返り、
『そうか。じゃないよっ! オズヴァルド様のせいで、ララ、消されちゃいそうになってるんだからねっ!』
と言った。頬を膨らませて、プリプリ怒るララだったが、
『……でも、おかしいなぁ? なんで、ララの姿が見えたんだろ……?』
と、こてんと首を傾けた。――その時。
「おい! テオから離れろ!!」と、オズヴァルドは、ララに向かって治癒力を放った。――善には善を。悪には悪を。ただの治癒力も、悪意の塊であるマルヴァーネにとっては、とてつもない攻撃力に変わる。
『きゃあーっ!』
一瞬にして顔が焼けただれたララは、顔を手で覆って苦しみながら、煙に息を吹きかけたように姿を消した。
突然の出来事に驚いたテオは、ララがいた場所を呆然と見つめ、それからゆっくりとオズヴァルドに視線を移した。
「オズ……本当に、ララの姿が見えるんだな……それに、今の……」
テオだけでなく、他の三人も驚愕の表情を浮かべる中、オズヴァルドだけが冷静な顔をして立っていた。
「――ああ。悪意のこもった視線を感じて目を凝らしてみれば、一度目よりもぼやけていたが、ベッドの端に座っているマルヴァーネの姿が見えた。……『ララ』という名前なんだな」
「え? あ、うん。本人がそう名乗ったんだ。それより今のは……?」
未だに衝撃から抜け出せないテオに代わって、いち早く状況を把握したらしい、レオポルドが口を開いた。
「多分だけど。オズがエフィーリアの子孫だってことと、ガレッティ家の中で唯一、治癒力――聖力を扱えるってことが関係してるみたいだね」
「多分、テオよりもエフィーリアの血が濃いんだろ」と、レオポルドは、真剣な表情を浮かべて言う。
レオポルドの言葉を吟味するように、己の右手の平を見つめていたオズヴァルドは、暫くして顔を上げた。
「じゃあ。エフィーリアの力は、マルヴァーネに通用する、ということだな?」
「そーみたいだね」と、レオポルドは、素っ気なく言い返した。
しかし、声音とは裏腹に、何かを考えているようだった。そんな中、テオの脳裏に、レアンドロとカロリーナの言葉がよぎる。そして、
「「シルティアーナの森」」
テオの呟きと、オズヴァルドの張り上げた声が、綺麗に重なった。
カウチソファに横になって、ジョゼフに診察してもらっていたカロリーナが、勢いよく上体を起こした。
「っ、テオ……! あなた、どうしてそれを……!?」
「すみません、姉上。盗み聞きする気はなかったのですが……」
「……そう。聞いてしまったのなら、仕方がないですわね」と、カロリーナは、再びカウチソファに身体を横たえさせた。