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第55話 レアンドロの合流

 談話室に到着した三人は、すぐソファに座らず、思い思いの場所で思案に耽っていた。


 ――オズヴァルドは、天井まである大きな吐き出し窓の前で、暮色に包まれ出した夕焼けの空を眺めていた。考えることはただ一つ。今も意識を失ったままであろう、テオのことだった。


 オズヴァルドは今まで生きてきた十五年間、他者に劣っていると感じたことはないし、手に入れられるものは全て手に入れることができた。自分には、それだけの家柄と財力、そして才能があったから成し得たことだ。


 しかし、恋においては全くの初心者――しかも、つい数時間前まで、自分の気持ちに気づいてすらいなかった――であるオズヴァルドは、自覚はなかったが、どうやらテオに苦手意識を持たれているらしい。


 ――信頼を取り戻すには、どうすればいいのだろう?


 一人取り残されたアルバーニの丘で雨宿りをしながら、今頃、テオとレオポルドが二人きりでいるのだと思うと、言葉では言い表せないような激しい不快感と、醜い嫉妬心が湧き上がってきたものだ。けれど今は――


(テオにしか見えなかったマルヴァーネを、ボクだけが視認することができる。そして、ボクの治癒力だけが、テオをマルヴァーネから守ることができる)


 そう。他の誰でもない、オズヴァルドだけが、テオを守る騎士となれるのだ。


 苦しんでいるテオのことを考えると、胸がギュッと締め付けられ、一刻も早くその苦しみから救ってやりたいと思う。


 しかしそれとは反対に、テオにはもっと苦しんでもらい、自分を頼り渇望して欲しいとも思っている。オズヴァルドには、テオしかいないように、テオにはオズヴァルドしかいないと、縋り付いて懇願して欲しい。


 室内のあちこちに灯された明かりで、磨き上げられた窓ガラスに、オズヴァルドの姿が映し出される。ガラスに反射した自身の表情を見て、思わず、くっとのどの奥で笑ってしまった。


(これじゃあ、マルヴァーネとボクのどちらが悪か、見分けがつかないな)


 自嘲気味に笑い、手垢一つついていなかった窓ガラスをひとなでする。外気と室温の差で、曇りが生じたガラスを一瞥し、オズヴァルドは踵を返した。丁度その時、談話室のドアがノックされ、皆の視線がドアに集中した。そうして扉が開き姿を現したのは、いつものようにきっちりとスーツを着こなして右手にステッキを携えた、アルバーニ家の若き当主――レアンドロ・ル・アルバーニだった。


「――やあ。遅くなってすまないね。予定していたよりも、商談が長引いてしまったものだから」


 「許してもらえるかい?」と、レアンドロは、カロリーナを見遣った。


 カロリーナはきょとんとしたのち、眉尻を下げて笑みを浮かべ、


「許す許さないなどと、わたくし如きが考えること自体、お兄様に失礼ですわ。それに今回の商談は、本来、わたくしが担当するべきだったもの。わたくしの我儘を聞いて、代役を務めてくださったことに、深く感謝いたしておりますわ」


 と言って、胸に手を当てながら頭を下げた。


「ははは! 我らが領地を外交で発展させた女傑のカロリーナ殿に頭を下げてもらえるとは。代役を務めた甲斐があったというものだよ」


 「もう! お兄様ったら! からかわないでくださいまし!」と、カロリーナは、顔を真っ赤にして頬を膨らませた。それを見てにこっと微笑んだレアンドロは、右手に持ったステッキの先で、板張りの床に敷かれたビロードの絨毯をトンッと叩いた。


「――さて。おふざけはこのくらいにして、何があったのか説明してもらおうか?」


 季節が春から冬になったように、がらりとまとう空気が変わったレアンドロを見て、三人はごくっと生唾を飲み込んだ。


 レアンドロと共に入室してきた侍従が、テーブルの上に軽食や紅茶をセッティングし、優雅に礼をして退室していった。


「さあ。座りたまえ」


 と言って、レアンドロは、一人掛けのソファに腰を下ろしてステッキを脇に立てかけた。その向かいにカロリーナが座り、センターテーブルを挟んでオズヴァルドとレアンドロは向き合う形でソファに座った。それに違和感を感じたのだろう。レアンドロは、「おや?」と首を横に傾けて、トントンと椅子の肘当てを人差し指でノックした。


「二人はいつも並んで座っていたと記憶に残っているのだが……今日一日で、なにか心境の変化でもあったのかな?」


 レアンドロの鋭い指摘に、上手く猫をかぶっているレオポルドが、


「特に意味はありませんよ〜。ただ、今日は一人で座りたい気分だっただけっす。――なっ? オズもそうだろ?」


 有無を言わせない視線を向けられ、変な勘ぐりをされたくなかったオズヴァルドは、おとなしく話にのってやることにした。


「……そういうことだ。それより、もっと大事な話があるだろう? 夜が更ける前に、さっさと話を済ませてしまいたいんだが」


 いつものように淡々と言葉を紡いだオズヴァルドを、「ふぅん」と意味ありげに見てきたレアンドロだったが、すぐに興味をなくしたように視線を反らしてくれた。


 ホッとしたオズヴァルドだったが、ここからが大事な局面なので、気持ちを切り替えるために深呼吸をして話に臨んだ。






 ――カロリーナを中心に、先程起こったことを説明し終えると、レアンドロはハァとため息をついた。


「……下手を打ったね。キャリー」


「言い訳のしようもございませんわ」


 言って、カロリーナは深々と頭を下げた。レアンドロは無言で手を上に持ち上げ、カロリーナに頭を上げさせる。その様子を黙って見ていたレオポルドとオズヴァルドだったが、話の矛先は、レオポルドへと向かった。


「それにしても驚いたよ。まさか大神官殿に息子がいたなんてね」


 「将来は、大神官の座を譲り受けるのかい?」という、レアンドロの問いに対して、レオポルドはふるふると首を左右に振った。


「……いえ。詳しいことは話せませんが、オレはそれが嫌で神殿に所属せず、聖騎士養成所に入学したんです。卒業後は、ステルラを出て、どこかの国の神殿にでも仕えようと思ってます」


「ふぅん。そうなのかい? ……そう上手く事が運べばいいけれどね」


 含みのこもった視線を向けられたレオポルドは、ハハッと軽快に笑って、


「心配してくださってありがとうございます! テオのお兄さんに気遣ってもらえて、めちゃめちゃ嬉しいっす!」


 と言った。


 しかし、翡翠の瞳の奥は笑っていない。


(……あのレアンドロに対して、正面からぶつかっていくなんて……アイツもなかなかやるじゃないか)


 レオポルドライバルの新たな一面に、オズヴァルドは、思わず感心してしまった。

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