「テオ。ソファに座ってお話しましょう」
「はい。姉上」
テオを支えながら、カロリーナはゆっくり歩を進めて、カウチソファへと誘導してくれる。それから後ろを振り返り、
「お茶が冷めてしまいましたの。新しいものをお願いできるかしら?」
と言った。ドールは無表情のまま、
「かしこまりました」
と、淡々と答える。
「あっ! テオの分は、わたくしと同じハーブティーにしてちょうだいな」
「仰せのままに」
ドールは膝を軽く曲げてお辞儀をすると、背筋をピンと伸ばして、さっさと退出していった。
テオは、ドールがもう一度お辞儀をしてからドアを閉める様子を、チラッと一瞥する。やはり嫌悪感を覚えないことを不思議に思いながら、「テオ?」と優しく名を呼ばれたことで、カロリーナへと意識を向けた。
「さあ。こちらへ」
カロリーナに導かれ、その隣に腰を下ろした。向かい側には、レオポルドとオズヴァルドが座っている。――オズヴァルドを意識してしまうのは当然のことだが、雨宿りの一件で、レオポルドのことも意識するようになってしまった。
(俺はどうしてこう、優柔不断なんだろう……)
テオは、居心地の悪さを感じながら、組んだ指をモジモジと動かした。そうしていると、カロリーナが、
「テオ。目覚めたばかりなのでしょう? 動き回って大丈夫ですの? それにそんな薄着で……」
言って、自分が使っていたショールを肩に掛けてくれた。平織りのシルク生地に繊細な刺繍がほどこされたブラックショールは、その薄そうな見た目に反して、厚みがあって暖かい。少し身じろぎすると、カロリーナが好んで使用しているバラの香水の香りが鼻腔に広がり、安心感を覚えた。
テオは、ショールの前を合わせ持ち、
「姉上。ありがとうございます。とても暖かいです」
と礼を言った。すると何故か、無言でじーっと見つめられてしまい、戸惑ってしまう。
「あのう……姉上?」
機嫌を伺うように呼びかければ、カロリーナはハッとした様子で、「とても良く似合っていますわ」と微笑んだ。
(良く似合ってる……?)
自分は『暖かい』と言っただけなのに、カロリーナが、『似合っている』と返してきたことに違和感を覚えてしまう。魚の小骨が喉に刺さった時のような、ほんの僅かな引っかかりを覚えて、テオはなんとなしにレオポルドとオズヴァルドを見遣った。そうするとレオポルドは、カロリーナに同意してしきりに頷いてみせ、オズヴァルドに至っては、
「……まあ。似合ってるんじゃないか?」
と言って、視線を反らしてしまった。
――何かがおかしい。
そう思ったテオは、カロリーナに詰め寄った。すると、
「テオ。実はね――」
想像もしていなかった言葉が返ってきて、思わずぽかんとしてしまう。数拍ののちに、ハッと我に返って、
「俺が、姉上に扮する……つまり、女装をしろとおっしゃるんですか!?」
と、悲鳴じみた声を上げた。
カロリーナは、ぐずる幼子をあやすような困った表情を浮かべて、
「女装することに抵抗を感じるのは当たり前ですわ。こんなに愛らしくたって、わたくしのテオは、立派な男の子ですものね。ですけれど、どうか首を縦に振ってはもらえないかしら……? 国王陛下に疑われずに王都に向かうには、この方法が一番安全で、確実だと思いますの。テオ。あなたには苦痛を強いてしまいますけれど――」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」と、テオは、胸の前で両手を左右に振った。
「俺は別に、女装することを拒んでるわけじゃありませんっ」
「え? でしたら何故あのような反応を?」と、カロリーナは、眉尻を下げて首を横に傾ける。
テオは右手を胸に当てて、
「それは、俺なんかが、姉上に変装するなんて無理だって意味でですよ!」
と、訴えかけるように言った。
「姉上は、社交界の頂点に君臨する、淑女の中の淑女ですよ!? 何においても完璧でお美しい姉上の振りをしろ、だなんて……俺なんかには無理です……!」
「まあ! テオ……あなたったら……!」と、カロリーナは、口もとに手を当てて頬を薔薇色に染めた。
「……なあ。オズ。心温まるシーンのはずなのに、鳥肌がたつのはなんでだ?」
「薄ら寒いからじゃないか? ちなみに、ボクも鳥肌がたっている」
ボソボソと言葉を交わし合うレオポルドとオズヴァルドの姿を見て、なんとも言えない思いが胸中に去来する。それに気づかないカロリーナは、テオの手を両手で握りしめながら、
「――ちょっと、あなた達。言いたいことがあるのなら、こそこそ話していないで、わたくしにも聞こえるようにハッキリと喋ってはいかが?」
と言って、レオポルドとオズヴァルドに険を含んだ目を向けた。
レオポルドは人好きのする笑顔を浮かべて、胸の前で両手を振る。
「アハハッ。言いたいことなんてあるわけないっすよ〜〜! なっ? オズ?」
「……ボクに話を振るんじゃない」
「そんな冷たいこと言うなよ〜〜」と、レオポルドは、オズヴァルドの肩に腕を回した。それに、テオは思わず、「あっ」と小さく声を上げる。
しかしオズヴァルドは、レオポルドを一瞥して舌打ちをしただけで、腕を振り解こうとはしなかった。そのことに衝撃を受けると同時に、胸がきゅうっと締め付けられる。
(オズ……どうして……?)
――なんで、レオポルドを拒まない?
テオの知らぬところで、二人の間に何かがあったに違いないと、本能が耳元で囁く。
(でも、レオが好きなのは、俺のはずだ。だから二人がどうにかなることはない)
と、そう考えてしまった自分に嫌悪を感じた。
――オズヴァルドのことが好きだと言っておきながら、レオポルドが自分を好きでいるのは当然だと思っている。
(なんて高慢なんだ、俺は!)
思い上がりもいいところだ、と自己嫌悪に陥っているところに、ドアをノックする音が響いた。カロリーナに入室を許可されたドールは、ティーワゴンを押して入室してくる。そうして、テオとカロリーナの前には、カモミールのハーブティーが置かれた。ゆるやかに立ち上る白い湯気に、カモミールの爽やかな香りが混じって、テオの鼻腔を刺激する。頭の中がスーッと軽くなる感覚を覚え、テオはティーカップに手を伸ばした。ほんのり甘い黄金色の液体を、こくりと嚥下すると、幾分か冷静さを取り戻すことができた。
お茶を入れ終えたドールは、談話室から退室していき、話は再び女装の話題に戻る。スッキリした頭で考えると、確かに、これ以上ない良案だと思えた。
「……分かりました。姉上の変わりが、俺に務まるか分かりませんが、精一杯頑張ります」
言って、テオは決意を新たにしたのだった。