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第63話 旅立ちの日

 身支度が済んだテオは、慣れない格好に四苦八苦しながら、かね折り階段をゆっくりとした足取りで降りていく。そうして階段の中腹に差し掛かったところで、こちらを振り向いたレオポルドと目が合った。その隣にはオズヴァルドの姿もある。


「レオ! オズ! 待たせたな」


 言って、いつもの調子で階段を駆け下りようとしてしまい、あっと気付いた時にはスカートに足を取られてぐらりと体勢が傾いていた。


(――落ちる……!)


 襲い来るであろう衝撃と痛みに備えて両目を閉じたのだが、結果として苦痛を味わうことなく――


「テオッ! 大丈夫っ?」


 レオポルドの温かい腕の中にいた。すぐに礼を言って離れればいいだけなのに、あの雨宿りを思い出させるシトラスの香りに、何故だか身動きができなくなってしまった。大人しく腕の中に収まったままでいるテオのことを不思議に思ったのか、レオポルドが優しく名前を呼びながら、さすっと背中をひとなでした。


 ドクン、と心臓が高鳴る。


 ロングヘアで隠れているうなじが熱を持ち、肌がしっとり汗ばんだ。


「――いつまでくっついているつもりだ」


 こういう時、いつも静観しているはずのオズヴァルドが、レオポルドからテオをべりっと引き離した。


 「ぅわっ!」と、テオは、驚いて声を上げる。


 予想外の闖入者ちんにゅうしゃに、テオもレオポルドも暫くの間、ぽかんとしてしまう。そうして、先に調子を取り戻したのは、レオポルドだった。


「おい、オズ! 急に割り込んでくるなよ! もしかして、まーたヤキモチか〜〜?」


 ニシシ、と白い歯を見せながらおちょくるレオポルドのことを、オズヴァルドは道端のごみを見るような目で見て、チッと舌打ちをする。それから腕を組み、


「……まるで、キャリーとレオが抱き合っているように見えて、見るに堪えなかっただけだ」


 と言って、チラッとテオを一瞥してきた。


「褒めるべきなのか分からないが……良く似合っている」


 それだけを言って、フイッと顔を反らし、玄関扉を開けて外に出ていってしまう。その際、さらりとなびいた銀髪の間から、赤くなった耳たぶが見えた。


「オズ……」


 オズヴァルドの熱が伝染したように、今度は頬が熱を帯び始めた。――レオポルドにもオズヴァルドにもときめいてしまう自分の節操のなさに呆れてしまう。


 はぁとため息を吐きながら両手で頬を押さえていると、こちらをじっと見つめる視線に気がついて、ふと視線をやった。するとそこには、おちゃらけた様子などない真剣な表情をしたレオポルドが立っていて、テオは動揺してしまう。


「どうしたんだ? レオ」


 内心を悟られぬように、にこっと微笑んでみせると、レオポルドの顔がたちまち真っ赤になった。それに目を丸くしていると、「あ、いや、その」と、翡翠色の瞳が落ち着きなく動く。そして――


「めっ……めちゃくちゃ似合ってる! いつもかわいいけど、今もすげーかわいい」


 と言って、オズヴァルドのあとを追いかけるように出ていってしまった。


「な、なんなんだ……いったい……?」


 かわいいと褒められたことに多少のひっかかりを覚えるも、レオポルドらしくない様子に、目を白黒させるしかない。すると背後からクスクスと含み笑う声が聞こえてきて、「姉上。おはようございます」と、振り返りざまにお辞儀をした。


「あら。テオったら。それは紳士の礼でしてよ? 今のあなたは『カロリーナ』なのだから、きちんと淑女の礼をとらなければなりませんわ」


 にっこり微笑まれながら言われて、そうだったとハッとする。それから、唯一身体に叩き込まれたカーテシーを披露した。


「ご機嫌麗しゅう。姉上」


 「上出来でしてよ」と、カロリーナは、パチパチと拍手をする。


 テオはぎこちなく姿勢を正しつつ、


「……本当にこれで、姉上の代役が務まるのでしょうか……?」


 と、眉尻を下げてみせた。


「ほぼ馬車での移動になりますし、王都に入るまで、そこまで気を張ることはないはずですわ」


「はぁ……不安で仕方ありません……」


 思わず猫背になると、近づいてきたカロリーナに、ポンと背中を叩かれた。


「淑女の中の淑女が、そのようにだらけた姿を見せてはいけませんわ。いざというときは、扇子で顔を隠してしまえば良いですけれど、姿勢だけは崩さないように」


 「もちろん、馬車の中ではゆっくりすればよろしいですけれど」と、カロリーナは、コロコロと笑う。


「はは……がんばります……」


 言葉とは裏腹に、表情筋は強張り、口角がひくっと痙攣した。カロリーナはふふっと微笑みを浮かべたのち、がらりと真剣な表情を作ると、右手に持っていた扇子で左手のひらを叩いた。


「――今回の旅は、ただ王都を目指すだけのものではありませんわ。こちらも万全の体制を整えて、あなた達の旅をサポートするつもりですけれど……敵対者がどこに潜んでいるか、完璧に把握することは困難ですもの。もしかすると、道中、危険な目に遭うこともあるかもしれませんわ」


 「……それでも、やはり行ってしまいますの?」と、カロリーナは、不安そうな声音で問うてくる。


 何を今更と、テオは気丈に笑ってみせた。


「心配なさらないでください。姉上。こう見えても、俺だって騎士の端くれです。それに、養成所で一、二を争う実力者のオズとレオが護衛してくれますし。姉上が同行させて下さる、アルフォンスたちもいますから」


「テオ……」


「そりゃあ、不安がないと言えば嘘になってしまいますが……俺の為に、皆が動いてくれているんです。無事に王都へ……あの場所へたどり着いてみせます。――だから、安心して、俺たちの帰還を待っていてください」


 言って、泣くのを堪えるように扇子を握りしめるカロリーナを、ふわりと優しく抱きしめた。するとカロリーナは、すんすんと鼻をすすりながら、テオを抱きしめ返してくれる。


「――領地の関所に、お兄様がいらっしゃるわ。アルバーニ領は安全に抜けることができるはず。……どうか、くれぐれも気をつけて」


 ギュッと抱きしめる力を強くしたあと、カロリーナはゆっくりと、テオから身体を離した。宝石のように美しく輝く赤い瞳から、月のしずくを思わせる涙が一筋流れ落ちた。


 テオはふっと微笑んで涙を拭い取ってやると、そのまま流れるような動作でカロリーナの右手をすくい、白魚のような手に唇を寄せた。


「行ってまいります。姉上」


「……行ってらっしゃい。わたくしのかわいいテオ」


 名残惜しげにカロリーナの手を離し、テオは完璧なカーテシーをして見せたのだった。

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