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第64話 不意打ち

 玄関から外に出ると、車寄せに、アルバーニ家の家紋が描かれた馬車が止まっていた。玄関ポーチの階段を降りてアプローチを歩き、数歩進んだところで、顔を半分だけ後ろに向ける。すると、不安そうな表情を浮かべたカロリーナが、テオを引き留めようと手を伸ばしかけた。


 すると、カロリーナの背後から現れた侍女長のメイアンが、カロリーナに寄り添って何事かを伝える。カロリーナはこくっと頷いて、中途半端に伸ばした手を胸元で握りしめ、テオを安心させるように微笑みを浮かべた。


 テオもカロリーナに向かって、心配いらないよという気持ちを込めて、にこっと笑ってみせた。そうして再び馬車に向かって歩き出し、馬車に乗り込もうとしたところで、ステップの左側に侍従のアルバが控えていた。


「テオ様っ! ぼくがエスコートしますっ」


 朝露にぬれる白薔薇を彷彿とさせる白髪の少年は、無邪気な笑顔を浮かべて、まろくて小さな右手を差し出してくる。その愛らしさに自然と表情が緩んだテオはにっこり笑って、自分の手よりもふたまわりは小さい手に、美しく整えられた左手を――とはいえ、付け焼き刃でしかないのだが――そっと載せた。


 たった二段のステップを上がるだけでも、ドレスが重くて、思うように一歩を踏み出すことができない。自然とアルバの手を強く握りしめてしまい、


「アルバ、すまない! 痛かっただろ?」


 と謝れば、当のアルバをけろりとしていて、デオは肩透かしをくらった。


「テオ? どうかした?」


 旅装を身にまとったレオポルドが馬を連れてやってくる。


 テオはアルバに感じた違和感を払拭するように、ふるっと軽く頭を振った。


「……いや。なんでもない。ドレスだと、馬車に乗るのも一苦労するなって驚いただけだ」


 言って、テオは馬車の座席に座る。


 レオポルドは、あははと笑って、


「もしよろけても、アルバがしっかり支えてくれるよ」


 「なっ! アルバ?」と、レオポルドは、アルバの頭をわしゃわしゃとなでた。するとアルバは、当然だと胸を張って、「はい! ぼくがテオ様をお守りしますっ!」と元気よく言い切った。


「ははっ。頼りにしてるよ」


 これから危険な場所へ旅するなど信じられないくらい微笑ましい光景に、クスクスと笑みをこぼしていると、レオポルドが心配そうな顔でこちらを見ていることに気がついた。


「? どうかしたか? レオ」


 言って、きょとんと首を横に傾ける。


 レオポルドは自身の項に手を置いて、視線をうろうろと彷徨わせながら、


「あー……その、さ。そーいう格好するのは平気なのかなって心配になっちゃって」


 と言った。


 テオは目をパチクリとさせて、「そういえば……」と、俯いて小さく呟く。


「特に抵抗を感じなかったな。女性恐怖症でも、女装は大丈夫みたいだ」


「……でも、男が女装するって、抵抗感があるもんだろ? 普通」


「そうなのか? じゃあ、俺の感覚が普通じゃないのかもな。……まあ、今回の場合は姉上になりきるっていう目標と、できるだけ安全にあの場所へたどり着くためっていう目的があるからなのかもしれないけど」


 言って、ふと顔を上げると、優しい表情を浮かべたレオポルドと視線が交わった。


「……? どうかしたか? レオ」


 レオポルドは、照れ隠しのように茜色の髪をガシガシと掻いて、


「いや。テオと出会った時のことを思い出してたんだよ」


 テオは、「ふむ」と顎先に拳を当てて、ハッと人差し指を伸ばした。


「俺と出会った……同室になった時のことか?」


「うん、そうそう! ……厄介な病気にかかっちゃったけどさ。でも、テオはテオのままなんだなーって思って。なーんかさ。す〜っごく、安心した!」


「プッ。なんだよそれ」


 白い歯を見せながら、ニカッと元気良く笑ったレオポルドの方こそ、テオの実情を知りつつひとつも態度を変えなかったというのに。


 化粧がよれないように、ふふっと小さく笑うテオを、レオポルドは太陽を見るような目で見てきた。


「どうした? レオ」


「……テオは、男だからこうするべき! とか。女だからこうであるべき! っていう、差別的な考え方を持ってないじゃん?」


 馬の手綱をアルバに渡して、レオポルドが身軽に車内へと入ってきた。そうしてそのまま、「よっ」と椅子に腰掛ける。


 「俺はそういうの、気にしたことがなかったな」と、テオは、レオポルドの邪魔にならないようにドレスの裾を横に流した。


 レオポルドは、あははっと笑って前のめりになり、


「そーだろ? その最たるが、その格好で堂々と振るまえるってことなんじゃないか? ……オレとテオが同室になってすぐ、『オレって、男も女も恋愛対象者なんだよね〜』って言った時、テオ、なんて答えたか覚えてる?」


「ん? えっと……どうだったかな……? 『へぇ。そうなのか?』……とか、『そっか。わかった』とか?」


 言って、首を横に傾けると、美しく巻かれた黒髪がさらりと肩をなでた。――せっかく綺麗に整えてもらったばっかりなのに。


 テオがウィッグの乱れを直すことに集中していると、フッと顔に影がかかる。「え?」と顔を上げると――


「っ、ん」


 ひんやりとしていて少しかさついた唇が、口紅を塗っている唇に、優しく押し付けられた。そうして、テオが混乱している間に、熱を分け合った唇がスッと離れていく。


 混乱した頭では状況把握が出来ず、テオはぼーっとレオポルドを見上げた。するとレオポルドは、自身の唇についた口紅を親指でキュッとひと擦りして、赤い舌でペロッと舐めた。その仕草があまりにも扇情的せんじょうてきで、テオは、頭がグツグツと茹だるのを感じる。――きっと、首から上は真っ赤になってしまっているだろう。


 何も言わないテオを、じっと見つめていたレオポルドは、自身の唇をすりっと親指でなでた。


「オレとのキス。いやだった?」


 テオはぐるぐると混乱する頭のまま、


「い、やじゃ……なかった」


 と、からくり人形のようにカクカクと口にした。


 フッと満足気に微笑みを浮かべたレオポルドは、いつもより大人っぽい雰囲気をまとっていて、テオの心臓はバクバクと激しく拍動した。ドキドキし過ぎてなかなか言葉を発せないでいると、レオポルドが再び近づいてきて、椅子の背とレオポルドの腕の間に閉じ込められてしまう。


「――さっきのキスは、正解したごほーび」


「っ、え?」


「そんでこれが、大好きだよ、のキス」


 抵抗する間もなく、素早く唇を奪われる。チュッとリップ音をたてて離れていった唇から視線を離せないでいると、


「――オレを意識してよ、テオ。そんで、好きになって」


 言って、レオポルドがコツンと額を合わせてきた。


「テオが誰を好きでも関係ない。……絶対に、オレのこと、好きにさせてみせるから。覚悟しといて、ね?」

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