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第66話 呼吸もままならない

「ララ……!」


 テオが硬い声で名前を呼ぶと、それまで無表情だったララが、ニィと口を弓なりに歪めて、首を横に傾けた。


「久しぶりだね? テオ様。どぉーしちゃったの、その格好! アハッ。とーっても似合ってる! かわいい〜!」


 キャハハ! と、甲高く耳障りな声音で笑うと、ララは両足を前後にブラブラ動かしながら、興味深そうな目を向けてきた。


「ララね。オズヴァルド様に負わされた怪我のせいで、ここ数日間、テオ様の側にいられなかったの。だから、どうしてテオ様がそんな格好をしてるのか分からないんだけどー……もしかして、ゲイの次は女装に目覚めちゃったとか!?」


 「キャハハハハハ! なにそれ、気持ち悪ぅ〜い」と、ララは、天井を仰いで笑う。それからピタッと笑うのを止めて、こちらをじーっと見つめ――


「それにしても、あのクソ女キャリーそっくり。ララ。殺したくなっちゃうなー」


 そう殺気を込めて言うくせに、再びキャハハと笑い出す姿を見て、ぞわっと戦慄を覚える。


「……お前、どうしたんだ? 様子がおかしいぞ」


 「様子がおかしい? ララが?」と、ララは、横に首を傾けた。


「おかしいのはテオ様の方でしょ? オズヴァルド様のことが好きなくせに、キスされたからって、レオポルド様のことも意識しちゃってぇ。――あ。違うか。テオ様が二人を誘惑してるんだもんね? アハッ! 男二人を手玉に取るなんて、まるで売春婦プロスティチュートみたーい」


 酷い暴言を吐かれて、テオの頭にカッと血が上る。


「黙って聞いていれば、好き放題言ってくれる……!」


「だって〜。本当のことなんだもの!」


 クスクスと笑いながら、ララはグイッと一気に距離を詰めてきた。反射的に仰け反らせたテオの顎を、人差し指でツゥーとなぞり上げ、唇に触れると動きを止めた。


「――ねえ。どうだった?」


 質問の意味がわからず何も答えずにいれば、ララは小さく細い小指の先で、テオの唇から紅をなぞり取る。それから、その紅を自らの下唇に塗って、うっそりと笑った。


「レオポルド様とのキス。気持ちよかった?」


 ようやく、ララの言わんとすることが分かり、テオの顔面に血流が集中する。


「……ふーん。気持ちよかったんだぁ?」


「ちっ……! ……誰もそんなこと言ってないだろう!」


「そんなに真っ赤になって言われても説得力ないんですけど?」


 ララは胸元に垂れてきた長い髪を、サラッと背中に流して、ポスッと椅子の背にもたれた。


「テオ様さぁー。前はララに、『破廉恥』とか言っておいて、十分破廉恥なことしてるじゃない。しかも、本命のオズヴァルド様とじゃなくって、レオポルド様と!」


 「さすが、男を誑かす才能を持ってるだけあるなぁ〜」と、ララは、パチパチを両手を打つ。


 我慢の限界に達したテオは、奥歯をギリッと咬みしめ、両手の拳を震わせた。それを見たララは、


「人間って、本当のことを言われると怒り出すんだよねぇ。別に怒らなくたって、笑って認めちゃえばいいのに。だって、悪くなかったんでしょ? レオポルド様とのキ・ス」


 最後は囁くように言って、愉悦ゆえつに浸った表情を浮かべて霧のように消えた。


 ふぅー、と疲労の滲む息を吐き出したテオの鼻先を、ミモザの香りが掠めていく。ハッとして扉の方を見れば、恐ろしい程に殺気立っているオズヴァルドが佇んでいた。


 ――オズヴァルドには、ララの姿が見える。


 「オ、オズ……そんなに怖い顔をしてどうしたんだ?」と、テオは、何事もなかったかのように振る舞った。


 しかし、その手が通用するはずもなく。


「レオと……したのか……?」


「な、なんのこと――」


「レオとキスをしたのかと聞いている!」


 肌を刺すような怒声に、ビクッ! とテオの身体が跳ねた。――なにか、なにか言わなければ。


 しかし、テオは嘘や誤魔化しをするのが下手だった。


「……そっ、それは……その……」


 しどろもどろになっていると、オズヴァルドが、ハッと冷笑を浮かべた。


「したんだな。アイツと」


 言って、ゆっくりとステップを踏んで車内に入ってくる。オズヴァルドが纏うただならぬ気迫に、テオは本能的な危機感を感じ取り、座ったまま椅子の上をじりじりと後退する。が、車内は狭く、すぐに窓際へ追い詰められてしまう。


「ちょっとした事故みたいなものだったんだ! こう、皮膚と皮膚が触れ合っただけ――」


「許せない!!」


 オズヴァルドは叫びに近い怒声を上げると、テオの両手を頭上で一つに束ねて太ももの間に片足をねじ込んでくる。そうしてそのまま背中を丸めて、急速に顔を近づけてきた。


「えっ? オズ、ちょっとま――……っ、ん、むぅ」


 テオの静止の声も聞こえていないようで、オズヴァルドは早急に小さな唇を舌先で割り開き、口腔内を蹂躙していく。


「ふ、ぁ……んぅ……ちゅっ」


 その動きは荒く、たびたび前歯が当たって、混ざり合う二人の唾液が鉄の味に変わっていった。それでもオズヴァルドは、激しいキスを続け、やめる様子はない。


 テオは尾骨にゾクゾクとした快感を得ながらも、なんとかオズヴァルドの拘束を解いて、厚い胸板を押しやった。


「ま……っ、待て……ってば!」


 名残惜しげに離れていく舌先に、とろりとした唾液の橋がかかり、ぷつんと切れてお互いの口元を汚す。


 テオは快楽による生理的な涙を流しながら、ハァハァと胸を上下させ、どちらの唾液かわからないものをごくんと飲み込んだ。そうして、話を――と切り出そうとした時、オズヴァルドに顎を掴まれてしまう。


 興奮で濃い青色に変わった瞳を間近で見つめていると、オズヴァルドは、


「お前はボクだけを見ていればいい!」


 そう、吠えるように言った。


 テオが言葉を無くし、今しがた言われた言葉を咀嚼している途中――


 パンパン! と手を叩く音で、二人は我に返った。


「はいはーい、お二人さん。そろそろ出発ですよ〜」


「レ……レオ……」


 あれだけ熱かった顔から一気に熱が下がり、震える声で名を呼ぶと、レオポルドはフッと薄く笑みを浮かべた。


「そーんな風に怖がった顔しないでよ、テオ。オレ、別に怒ってないよ?」


 「怒れるような立場でもないしねぇ〜」と、レオポルドは、カラカラと笑う。


 しかし、言葉や声音とは違って、翡翠の瞳は笑っていなかった。


「――まあ、それも、『今はまだ』って話だけどさ」


 「なんだと……?」と、オズヴァルドは、レオポルドを睨みつける。

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