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第67話 甘言

「あーあ。オレでさえ、いきなり舌は入れなかったのに。オズは意外と堪え性がないんだねぇ」


「先にテオの唇を奪っておいてのうのうと。堪え性がないのはお前の方だろう。……それにいい加減、猫を被るのをやめたらどうだ? その喋り方を聞いていると虫唾が走る」


 「猫を被る……?」と、テオは、首を横に傾けた。するとレオポルドは、


「オズがテキトーなこと言ってるだけだよ〜。テオは気にしなくてだいじょーぶ!」


 と、先程までの雰囲気を一変させて微笑んだ。そして、


「とりあえず。テオは化粧を直した方がいいよ。その顔を見たら、メイアンとアルバがビックリしちゃうからね〜」


 と言って、ウインクをした。そのいつも通りの様子に、混乱していた頭が冷静になっていく。テオはこくっと頷いて、メイアンが椅子の上に置いていったハンドバッグを手に取った。


「じゃあ、オレはオズと話があるから――」


「ボクは話すことなんてない」


「……オレにはあるんだよ。黙ってついて来いよ」


 笑顔を浮かべているけれど、有無を言わせない語気の強さに、オズヴァルドはチッと舌打ちをして馬車から出ていこうとする。そうしてステップを踏む前にこちらを振り向いて、


「ボクが言った言葉を忘れるな」


 と言って、レオポルドと二人で馬車から離れていった。


「……なんだったんだ……」


 ため息と共に吐き出した言葉に、答えをくれる者はいない。はずだったが――


 百合の甘ったるい香りと共に、クスクスと含み笑いながら、再びララが姿を現した。


「モテモテだね、テオ様。大好きなオズヴァルド様とのキスはどうだった? 気持ち良かった?」


 両足をぶらぶら揺らして訊ねてくる幼い姿のララの言葉に、本当の姿は違うと分かっていても、本能的に抵抗感を覚える。それに、いきなり予想もしていなかったことが立て続けに起こり、テオの精神はかなり疲弊していた。そのため、


「……気持ちよかったかどうかなんてわからない。それに、淑女がそんな破廉恥な質問をするな」


 と、投げやりに答えた。するとララは、一瞬きょとんとしたあと、キャハハ! と笑って意地の悪そうな表情を浮かべた。


「なぁーに? 二人の男とキスしておいて、まだ純潔ぶってるの?」


「別に、純潔ぶってるわけじゃ……」


「キャハハ! 純潔ぶってるじゃない。ララとオーリーのことには、あれだけ拒絶反応を見せておいて。他人ひとのことは簡単に否定してこき下ろすのに、自分のことは棚に上げるんだねー」


 「テオ様って、随分身勝手で偏見持ちなんだね?」と、こちらを煽るように、クスクスと嫌な笑みを浮かべる。それから何かを閃いたように、「あ!」と声を上げて、鼻先に人差し指を突きつけてきた。


「もしかして、レオポルド様がバイってことも、ほんとは気持ち悪いって思ってるんじゃないの?」


「そんな風に思ったことはない!」


「――だったらなんで、『俺はゲイです』って、キャリーやレアンドロ様に言わないの?」


 スッと表情を無くしたララに痛いところを指摘されて、テオはぐっと唸り声を上げる。――言い返そうにも言い返せない。……自分がゲイだということを完全に受け入れられていないのは真実で、それを尊敬するカロリーナとレアンドロに伝えることで、冷たい態度を取られるのではないかと不安な気持ちがあるからだ。


(……俺は、ララの言う通り、ただの偽善者なのか?)


 黙り込んだテオに追い打ちをかけるように、ララはクスクスと笑って毒を吐く。


「――ねえ? どうしてオズヴァルド様とレアンドロ様は、今日に限ってあんなことしてきたのかなぁ?」


「え……?」


 テオが反応を示したことがお気に召したのか、ララは満足そうに微笑み、足を組んで頬杖をついた。


「だって、キスするタイミングなんて、今までたくさんあったはずでしょ? なのにどうして、テオ様が女装した時にキスしたのかなぁ?」


 「変だなって思わない?」と、ララは、頬杖をしたまま首を横に傾けた。


 ――いつもなら、ララの言葉に耳を貸しはしない。


 マルヴァーネであるララは、悪意の塊で、その目的はテオに絶望感を味わわせることだと知っているからだ。


 けれど、今回に限っては、ララの言葉に同調してしまった。


「……俺が、女装してるから……?」


「そう! そうだよ、テオ様! 二人は男のテオ様が好きなんじゃない。女の格好をしてるテオ様のことが好きなんだよ!」


 キャハハと笑いながら、ずいっと顔を近づけてきたララの顔を、のろのろと頭を上げて見つめる。かつてテオが綺麗だと思った、アメジストとサファイアを混ぜ合わせたような美しい瞳に、心揺らされ絶望に染まりかけた自分の顔が映っている。


 ララは、悲しみと疑心に濁っていく赤い瞳の奥を覗き込んで、テオの心の底を覗き込んでくる。そして――


「ねえ。テオ様。もしかして二人が本当に好きなのは、カロリーナなんじゃない?」


 腐った果実を思わせる甘ったるい喋り方に洗脳されて、テオの心――澄んでいた美しい心の水底みなそこに、一滴の黒い墨が落ちてゆっくりと広がっていく。一度汚れた水を再び綺麗にするのは難しく、どす黒い波紋と共に、疑心と不安感が広がっていった。


 ポロポロと静かに涙を流すテオの滑らかな頬を包み込み、ララはクスクスと愉悦を含んだ笑いをこぼす。


「うふふ。やっと堕ちてくれるのね。テオ様」


 囁くように言って、紅が剥がれて色を無くした唇に、ララが口づけようとした時――


「テオから離れなさい! マルヴァーネ!!」


 凛とした声音と共に、薔薇の花吹雪がララを襲い、小さな身体が青い炎に包まれた。


「きゃあーーーー!」


 と、耳をつんざく甲高い悲鳴で自我を取り戻したテオは、ハッとして馬車の出入り口を向いた。


「姉上……!」


「キャリー……!」


 テオとララの声が重なる。


 ララは炎に焼かれながら、テオの耳に届くほど、ギリギリッと歯ぎしりをした。


「どいつもこいつも、ララの邪魔ばっかりして……!」


 「こんなに弱い聖力じゃあ、ララを消すことなんてできないんだから!!」と、ララは、怒声を上げて姿を消した。ララは姿を消したが、オズヴァルドが攻撃した時のように、深手は負っていないようだった。


 テオがぼーっとしていると、温かい体温と共に、嗅ぎ慣れた高貴な薔薇の香りが身体を包みこんだ。

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