「テオ……! 怖かったでしょう? ああ……! こんなに顔をボロボロにして……!」
テオの頬をやわく滑らかな両手で包み込み、カロリーナはまるで自分が負傷したかのように、辛そうな表情を浮かべた。
テオは、はくはくと口を開閉させたあとで、
「姉上……どうしてここに?」
と、ようやく訊ねることができた。
「……一度は執務室に戻ったのだけれど、どうしても心配になってしまって戻ってきましたのよ。そうしたら馬車の周りには誰の姿もないし、不審に思って中を覗いてみたら、あなたが襲われているのが見えて……」
カロリーナの言葉に、テオは両目を見開く。
「姉上はララの――マルヴァーネの姿が見えたのですか?」
――まさか。ララとの会話を聞かれたのではないか?
そんな考えが脳裏をよぎり、不安な気持ちが心に去来する。
しかし杞憂だったらしく、カロリーナはふるふると首を左右に振った。
「いいえ。ハッキリとは。……おそらく、エフィーリアの血を継いでいるからだと思いますわ」
「そう、ですか……」
あの時、ララは確かに、カロリーナの力を『聖力』だと言った。
けれどテオは、今の今まで、カロリーナが聖力を有していることを知らなかった。
追求したい気持ちはあったが、カロリーナが困ったように眉尻を下げて微笑むのを見て、その気持ちを捨て去る。
暫しの間、二人の間に沈黙が落ちたけれど、カロリーナがパン! と手を打ったことでガラリと空気が変わった。
「可愛い顔が台無しですわね。わたくしが直して差し上げますわ」
「……ありがとうございます。姉上」
そうして、テオの化粧直しが終わり、カロリーナが満足そうに微笑みを浮かべた。それにつられるように、テオも微笑み返す。
「姉上。ありがとうございました」
「いいのよ。お礼なんて」
言って、ハンドバッグの中に化粧道具をしまっていくカロリーナをじーっと見つめる。テオの視線に気がついたカロリーナが、俯いたまま「どうしましたの?」と問うてきた。
『ねえ。テオ様。もしかして二人が本当に好きなのは、カロリーナなんじゃない?』
脳内で、ララの舌っ足らずな声が再生される。
テオが黙ったまま、何も答えなかったからだろう。カロリーナは顔をあげて、口元に笑みを浮かべながら、首を横に傾けた。――つるりとした白磁のような肌。頬は薔薇色。ふさふさの長い睫毛。ふっくらとした、赤い唇。カロリーナの完璧な容貌に、テオは初めて嫉妬した。
しかし、この劣等感に気付かれるわけにはいかない。気付かれたら最後、きっとテオがゲイであることもバレてしまう。――まだ。まだ今は、家族に打ち明ける勇気が持てない。
テオは本心を隠すために、自分にできる最上級の笑顔を浮かべて、「なんでもありません。姉上」と答えた。その直後、パタパタと軽い足音と共に、侍従のアルバが現れた。子ども特有の血色の良い顔は、真っ青になっていて、大きな目には涙を浮かべている。
カロリーナは腰を上げて、
「アルバ! お前、今まで一体どこにいましたの!?」
と言って、叱責しようとするのをテオが止めた。
「姉上。何かあったのではありませんか? アルバの様子が変です」
テオの言葉に、ぱあっと表情を明るくしたアルバは、首が折れそうなほどこくこくと頷いてみせる。
「そうなんです! オズヴァルド様とレオポルド様が、邸の裏庭で、剣を抜いて睨み合っていて……っ!」
「――なんですって?」
カロリーナの声が、一気に低くなり、身にまとう空気がガラリと変わった。例えるならば、黒の炎をまとっているように。
「……わたくしの可愛いテオがマルヴァーネに襲われていたというのに、あの役立たずの男共は……またくだらないことをしているのいうのね?」
カロリーナの言葉に、「えっ? えっ!?」と、アルバが顔色を白くさせる。それに構わず、カロリーナは颯爽と馬車から降りていく。その後ろ姿にテオが声をかけると、顔を半分だけ後ろに向けて、聖母を思わせる微笑みを浮かべた。
「テオ。心配しなくても大丈夫ですわ。役立たず共の仕置きはわたくしに任せて、あなたはゆっくり休んでいなさい。――アルバ」
「はっ、はいぃっ!」と、アルバは、涙目で背筋を伸ばす。
「今度こそ、テオの側を離れるんじゃなくってよ。もし、また、テオの身に何か起きた時は……どうなるかわかっていますわね?」
アルバは、ビクッと身体を震わせ、片膝をついて頭を下げた。
「もう二度と、同じ失敗は繰り返しません!」
「よろしいですわ」と、カロリーナは、アルバの姿を見ることなく馬車から離れていった。
カロリーナの姿が見えなくなるまで膝をついたままだったアルバは、はあぁぁ〜とため息をついて、その場にドサッと尻もちをついた。
「アルバ、大丈夫か?」
と言って、テオが席を立とうとすると、アルバは首を振って制してくる。そうして、いくらか落ち着きを取り戻したあとに立ち上がって砂埃を払い、肩を落として馬車に乗り込んできた。アルバは幼いので、テオは自身の隣の席を勧めたのだが、本人は酷く恐縮して目の前の席に座った。
「……一体、何が起こってるんだ? 詳しく教えてくれないか?」
「えっとぉ……それは、ですね……」
アルバはしどろもどろになりながら、忙しなく視線を動かし、チラッと馬車の出入り口を見遣った。
(姉上のことを怖がっているのか)
テオは立ち上がって馬車の扉を閉めると、カチャッと内鍵をかけた。
「テオ様?」と、アルバは、戸惑った声を上げる。
テオは振り返ってにこっと微笑み、再び元いた席に座った。
「これで話の内容が外にもれることはない。それに心配しなくても、姉上に告げ口したり、追求したりすることはないから安心してほしい」
ハッと両目を見開いたアルバは、「テオ様……」と呟いて、ごくんとつばを飲み込んだ。そうして、意を決したように、乾いた唇を舐めてから口を開いた。
「……ぼくは最初の方しか見ていないんです。メイアンとアルフォンスに、テオ様の元に戻るように言われて、現場を離れてしまったので……」
「わかるところまででいい。どんな状況だったか教えてくれ」
すると、アルバはほんのりと頬を赤くして、
「おそらく、テ、テオ様と……く、口づけした件について揉めていらっしゃったのだと……思います」
「えっ!?」
驚くテオをよそに、アルバは途切れ途切れに話しはじめた。