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第68話 カロリーナ④

「テオ……! 怖かったでしょう? ああ……! こんなに顔をボロボロにして……!」


 テオの頬をやわく滑らかな両手で包み込み、カロリーナはまるで自分が負傷したかのように、辛そうな表情を浮かべた。


 テオは、はくはくと口を開閉させたあとで、


「姉上……どうしてここに?」


 と、ようやく訊ねることができた。


「……一度は執務室に戻ったのだけれど、どうしても心配になってしまって戻ってきましたのよ。そうしたら馬車の周りには誰の姿もないし、不審に思って中を覗いてみたら、あなたが襲われているのが見えて……」


 カロリーナの言葉に、テオは両目を見開く。


「姉上はララの――マルヴァーネの姿が見えたのですか?」


 ――まさか。ララとの会話を聞かれたのではないか?


 そんな考えが脳裏をよぎり、不安な気持ちが心に去来する。


 しかし杞憂だったらしく、カロリーナはふるふると首を左右に振った。


「いいえ。ハッキリとは。……おそらく、エフィーリアの血を継いでいるからだと思いますわ」


「そう、ですか……」


 あの時、ララは確かに、カロリーナの力を『聖力』だと言った。


 けれどテオは、今の今まで、カロリーナが聖力を有していることを知らなかった。


 追求したい気持ちはあったが、カロリーナが困ったように眉尻を下げて微笑むのを見て、その気持ちを捨て去る。


 暫しの間、二人の間に沈黙が落ちたけれど、カロリーナがパン! と手を打ったことでガラリと空気が変わった。


「可愛い顔が台無しですわね。わたくしが直して差し上げますわ」


「……ありがとうございます。姉上」


 そうして、テオの化粧直しが終わり、カロリーナが満足そうに微笑みを浮かべた。それにつられるように、テオも微笑み返す。


「姉上。ありがとうございました」


「いいのよ。お礼なんて」


 言って、ハンドバッグの中に化粧道具をしまっていくカロリーナをじーっと見つめる。テオの視線に気がついたカロリーナが、俯いたまま「どうしましたの?」と問うてきた。


『ねえ。テオ様。もしかして二人が本当に好きなのは、カロリーナなんじゃない?』


 脳内で、ララの舌っ足らずな声が再生される。


 テオが黙ったまま、何も答えなかったからだろう。カロリーナは顔をあげて、口元に笑みを浮かべながら、首を横に傾けた。――つるりとした白磁のような肌。頬は薔薇色。ふさふさの長い睫毛。ふっくらとした、赤い唇。カロリーナの完璧な容貌に、テオは初めて嫉妬した。


 しかし、この劣等感に気付かれるわけにはいかない。気付かれたら最後、きっとテオがゲイであることもバレてしまう。――まだ。まだ今は、家族に打ち明ける勇気が持てない。


 テオは本心を隠すために、自分にできる最上級の笑顔を浮かべて、「なんでもありません。姉上」と答えた。その直後、パタパタと軽い足音と共に、侍従のアルバが現れた。子ども特有の血色の良い顔は、真っ青になっていて、大きな目には涙を浮かべている。


 カロリーナは腰を上げて、


「アルバ! お前、今まで一体どこにいましたの!?」


 と言って、叱責しようとするのをテオが止めた。


「姉上。何かあったのではありませんか? アルバの様子が変です」


 テオの言葉に、ぱあっと表情を明るくしたアルバは、首が折れそうなほどこくこくと頷いてみせる。


「そうなんです! オズヴァルド様とレオポルド様が、邸の裏庭で、剣を抜いて睨み合っていて……っ!」


「――なんですって?」


 カロリーナの声が、一気に低くなり、身にまとう空気がガラリと変わった。例えるならば、黒の炎をまとっているように。


「……わたくしの可愛いテオがマルヴァーネに襲われていたというのに、あの役立たずの男共は……またくだらないことをしているのいうのね?」


 カロリーナの言葉に、「えっ? えっ!?」と、アルバが顔色を白くさせる。それに構わず、カロリーナは颯爽と馬車から降りていく。その後ろ姿にテオが声をかけると、顔を半分だけ後ろに向けて、聖母を思わせる微笑みを浮かべた。


「テオ。心配しなくても大丈夫ですわ。役立たず共の仕置きはわたくしに任せて、あなたはゆっくり休んでいなさい。――アルバ」


 「はっ、はいぃっ!」と、アルバは、涙目で背筋を伸ばす。


「今度こそ、テオの側を離れるんじゃなくってよ。もし、また、テオの身に何か起きた時は……どうなるかわかっていますわね?」


 アルバは、ビクッと身体を震わせ、片膝をついて頭を下げた。


「もう二度と、同じ失敗は繰り返しません!」


 「よろしいですわ」と、カロリーナは、アルバの姿を見ることなく馬車から離れていった。


 カロリーナの姿が見えなくなるまで膝をついたままだったアルバは、はあぁぁ〜とため息をついて、その場にドサッと尻もちをついた。


「アルバ、大丈夫か?」


 と言って、テオが席を立とうとすると、アルバは首を振って制してくる。そうして、いくらか落ち着きを取り戻したあとに立ち上がって砂埃を払い、肩を落として馬車に乗り込んできた。アルバは幼いので、テオは自身の隣の席を勧めたのだが、本人は酷く恐縮して目の前の席に座った。


「……一体、何が起こってるんだ? 詳しく教えてくれないか?」


「えっとぉ……それは、ですね……」


 アルバはしどろもどろになりながら、忙しなく視線を動かし、チラッと馬車の出入り口を見遣った。


(姉上のことを怖がっているのか)


 テオは立ち上がって馬車の扉を閉めると、カチャッと内鍵をかけた。


 「テオ様?」と、アルバは、戸惑った声を上げる。


 テオは振り返ってにこっと微笑み、再び元いた席に座った。


「これで話の内容が外にもれることはない。それに心配しなくても、姉上に告げ口したり、追求したりすることはないから安心してほしい」


 ハッと両目を見開いたアルバは、「テオ様……」と呟いて、ごくんとつばを飲み込んだ。そうして、意を決したように、乾いた唇を舐めてから口を開いた。


「……ぼくは最初の方しか見ていないんです。メイアンとアルフォンスに、テオ様の元に戻るように言われて、現場を離れてしまったので……」


「わかるところまででいい。どんな状況だったか教えてくれ」


 すると、アルバはほんのりと頬を赤くして、


「おそらく、テ、テオ様と……く、口づけした件について揉めていらっしゃったのだと……思います」


「えっ!?」


 驚くテオをよそに、アルバは途切れ途切れに話しはじめた。

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