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第27話

 メイドの朝は早い。

 主人よりも遅く起きるなど以ての外だ。日が昇る前には起床し、業務の準備を始めなければならない。


「ふぁ……」


 寝ぼけ眼を擦りながら、今日も今日とて織羽おりはは女装を開始する。

 いつでも被れるようにと、枕元に置いてあるウィッグを引っ掴み。やたらと可愛らしいモコモコパジャマのまま、鏡の前まで移動する。ちなみにこれはひそかのチョイスであり、断じて織羽おりはの趣味ではない。裁縫が得意ということもあり、可愛らしいものが嫌いなわけではないのだが――自分が着るとなれば話は別だ。


 修行期間も含めれば、そろそろベテラン女装メイドの域に脚を踏み入れようとしている織羽おりはだ。

 手早く着替えを済ませ、薄っすらと化粧を施し、そうして鏡の前で笑顔の練習。最後に気合注入のため頬をぴしゃりと叩き、これで朝の準備は完了だ。


 九奈白凪の誘拐未遂事件からひと月。

 織羽おりはのメイド生活は順調そのものであった。


 元より、織羽おりはのスペックは馬鹿みたいに高い。それに加えて、『先生』からの教えもしっかりと生きている。料理は当然、掃除に洗濯、裁縫も。いわゆる『家庭的』な分野の仕事は、全てを高水準でこなしてしまう。それ故亜音あのん椿姫つばきとの仲はもちろんのこと、花緒里かおりからもいろいろと仕事を任せられるようになっていた。

 当初は『女装して潜入なんてどう考えても無理でしょ』などと考えていた織羽おりはだが、蓋を開ければこの通り。性別がバレるような様子もなく、すっかり白凪館の一員として馴染んでいた。ナイスガイを自称する織羽おりはとしては、どうにも腑に落ちない部分があったが。


 学園生活に於いても、これといった問題は起きていない。

 むしろ凪との関係がちょっぴり進展したおかげか、以前よりも違和感なく学園に溶け込むことが出来ていた。

 凪と織羽おりはの主従は入学以来、随分と他生徒から注目されてきた。凪の知名度も理由のひとつではあるが、なにより、二人のビジュアルが飛び抜けて良かったせいである。凛とした姿で前を歩く凪と、少し後ろを追従する銀髪美女メイド。ただでさえ眉目秀麗、スタイル抜群な二人だ。なるほど確かに、それはそれは絵になる光景だろう。


 加えて、金持ち女子学園というのも理由のひとつだった。いわゆる『お姉様』的なアレである。

 純粋培養の箱入り娘が多く通うとあってか、そういった憧れの視線も多いのだ。凪との距離が多少近づいたこともあってか、今では凪と並んでただ歩いているだけで、やたらとちやほやされる始末である。総じて違和感はないが、悪目立ちはしているかもしれない。そんな学園生活となっていた。


「でもまぁ、まだまだ任務は始まったばかりなんだけどね」


 現時点では順調に推移しているとはいえ、最長で三年間も続く恐れのある任務だ。たかが数ヶ月を凌いだ程度で油断をするわけにはいかない。

 それに、織羽おりはは今の生活が徐々に楽しくなりつつある。まともに通った経験がないためか、学園という特殊な空間にいるだけでどこかワクワクするのだ。白凪学園はお嬢様学校であり、一般的な学園とは少々趣が異なるのだが――そんな些細な事は気にならなかった。というより比較対象を知らないだけである。


 加えて織羽おりはは、今回の任務にやりがいのようなものも感じ始めていた。

 表面上は変わらないが、凪の態度が明らかに軟化している。デレたという程ではないが、以前よりもずっとやりやすい。彼女が人間不信気味だというのは資料で知っていたが、それが先の一件で変化を見せたというのなら――なかなかに可愛らしいではないか。なんだかんだと言っても所詮は箱入りのお嬢様。もしかすると、子どもの頃はの性格だったのかもしれない。そう考えれば、普段のクールな態度も微笑ましく思えてくるというものだ。メイドの身で不敬なことだとは思うが、凪に対してどこか手のかかる妹のように感じていた。


 出来ればもう少し、この生活を続けたい。

 そう思える程度には、織羽おりはのモチベーションは上がっていた。だからこそ余計に、正体がバレるわけにはいかない。


 鏡の前で入念に身だしなみをチェックし、どこかだらしない部分がないかを確かめる。こういった細かな部分は花緒里かおりに厳しくチェックされるのだ。

 メイド服にシワがあるだとか、カチューシャが歪んでいるだとか。そしてもし見つかった場合、服や頭を触られる可能性がある。胸パッドにしろウィッグにしろ、そう簡単には動かないようセットしているが、万が一ということもある。正体が露見する可能性は、可能な限り下げておきたかった。


「すっかりハマってきてるなぁ……」


 学園が楽しいだの、メイド業が楽しいだの、お嬢様が妹みたいで可愛いだのと。

 任務を言い渡された当初には考えられなかった事だ。そんな自らの変化を自覚し、なんとも複雑な表情を浮かべる織羽おりは


「隆臣の思惑通りっぽいのが癪に障るけど……でもま、任務に集中するのは悪いことじゃないしね。なんとかなるなる」


 そう独りごち、全ての準備を終えた織羽おりははそっと自室をあとにする。

 その優れた能力によるゴリ押しで、大抵の事ならばどうにか出来てしまうが故だろうか。こうみえて、割と楽観的な部分のある織羽おりはであった。




        * * *



 通学中、リーナがひょんなことを言い出した。


「凪さん、最近ちょっと変わりましたよね」


「藪から棒に……別に、何も変わらないわよ」


 元より、その場の勢いで行動することのあるリーナだ。

 それを知っているからこそ、凪は『また何か言い出した』くらいの気持ちで彼女の言葉を否定する。しかしどうやらリーナには、『凪が変わった』と感じるだけの根拠があったようで。


「いーえ! 変わりましたよ! だってほら! 二人の歩く距離が少し縮んでます!」


「……そうかしら? 気の所為でしょ?」


「そうです! ルーカスとマリカもそう思いますよね?」


 ばっ、と勢いよく振り返り、二人の従者へと同意を求めるリーナ。じっとりとした視線をルーカスへと送る凪。急な板挟みがルーカスを襲う。

 護衛のルーカスからすれば、凪は遥か雲の上の立場の人間だ。それを言えばリーナも似たようなものではあるが、幼い頃より共に過ごしているリーナはほとんど家族同然の存在だ。主従の関係にあるとはいえ、気安い会話も出来るだろう。だが凪は違う。いくらリーナの友人だからといって、従者が他家のお嬢様に楯突く事など出来るはずもない。


「いえ、まぁその……俺にはわかりません」


「くっ……他家の権力に屈したんですね! 見損ないましたよ、この風見鶏男っ!」


「無茶を言うな……」


 そんな当たり障りのないルーカスの返答に、リーナがぷりぷりと頬を膨らませる。

 一方もう一人の従者であるマリカはといえば、兄のルーカスと違っていくらか柔軟性があるらしい。


「お嬢様の言う通り、私も変わられたなぁと思います。 なんというか、前より『圧』が柔らかくなった気がします」


「ほらっ! ほらほらっ!」


 同意が得られた故か、『ほらみたことか』と言わんばかりに凪へと詰め寄るリーナ。天下の九奈白家、その一人娘である凪にこんなことが出来る者などそうはいない。

 そんな朝から喧しいリーナに対し、凪は酷く面倒そうな表情を浮かべる。そのままうんざりとした様子で、もう一人の当事者である織羽おりはへと水を向けた。一人が否定しても駄目ならば、もう一人が否定すれば良いのだと。


「はぁ、うるさいわね……織羽おりは、貴女からも何か言って頂戴」


「畏まりました」


 話を振られた織羽おりはが、満を持して一歩前に出る。

 主人がナメられるのは許せない、謂れなき侮辱を受けるだなんて、仕えるメイドとして容認出来るはずもない、と。なんとまぁ随分と、メイドが板についてきたものである。そうして織羽おりははリーナへと、事の真相を告げる。


「実はお嬢様は――――デレ期に入られたのです」


 瞬間、織羽おりはの尻を鋭い衝撃が襲う。


「あいたっ」


「クビにするわよ?」


 そんな二人を傍らで見つめつつ、リーナはやはり『ほらっ、ほらぁっ!』などと騒いでいた。


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