その日の授業がすべて終わり、凪達が帰宅しようとしていた時のこと。
学園内にある庭園で、小さな騒ぎが起こっていた。
「……? 何かしら?」
「なにやら騒がしいですね。喧嘩でしょうか?」
「まさか、この学園内で? そんな程度の低い学生がうちに在籍しているとは思いたくないわね」
凪と
ここ白凪学園は歴史こそまだ浅いものの、上流階級の娘たちが多く通う学園なのだ。生徒たちは皆、幼い頃から礼儀作法を叩き込まれた淑女の卵達である。もしもここが、そこらの一般的な学校と同じだったなら、確かに生徒間での揉め事など日常茶飯事であろう。だがそうではない。親の企業がどうだのといった牽制合戦はあったとしても、ただの喧嘩などありえないのだ。
そんなあり得ない現象が、よもや自身の眼の前で起こっているなどと。凪は怒ればいいのやら、呆れればいいのやら、なんとも複雑な気持ちになっていた。
一方、海外からやってきたリーナは違う反応を見せていた。
「わっ、わっ! フィルトランデの街を思い出しますね! あ、フィルトランデでというのは私の故郷――というか、うちの領地なんですけど。元気な探索者さんが沢山居たので、こういう揉め事はしょっちゅう起こってたんですよ! ねぇ、マリカ?」
「そうですねぇ。兄のルーカスがよく遊んでもらっていましたね。まぁ、当たり前のようにボコボコにされてましたけど」
まるで遊園地に来た子どもの様に、ひょこひょこと飛び跳ね興奮するリーナ。メイドのマリカもまた、昔を懐かしんで遠い目をしている。
彼女達の出身地も迷宮都市であり、ダンジョンとともに発展してきた地域だ。といっても、世界有数とも言われているこの九奈白市よりはずっと規模の小さい――領地の面積だけでいえば九奈白市よりも広いが――街だ。だが規模が小さいからこそ、そこに住む住民や探索者達との距離も近かった。それ故、一応貴族の娘であるリーナだが、こういった小競り合いには慣れているらしい。日常的に探索者達のじゃれ合いを見ていた彼女からすれば、お嬢様方の揉め事などむしろ可愛らしいとさえ思える。
「ほら凪さん、折角ですから見に行きましょう! あわよくば混ざりましょう!」
「何でそんなに楽しそうなのよ……」
そんなリーナに手を引かれ、渋々といった様子で騒ぎの下へと向かう凪。その後姿を
(なんだかんだで付き合いが良いんだよなぁ……というか、リーナ嬢にだけ妙に甘い気もする)
例の事件を境に随分と丸くなった凪ではあるが、しかし思い返せば、リーナと
(……ま、いっか)
事情はどうあれ、友人が居るのは良いことだ。ツンクールな凪であればなおさらである。
仮にリーナが凪を狙う刺客だったなら、凄まじく狡猾な相手だと言えるだろう。だがどう見てもそんな気配はなく、ただ仲の良い友人にしか見えない。 であれば、どう知り合ってどう親睦を深めてきたのかなど、
* * *
凪達が現場へと到着した時、そこにはなんとも言えない空気が漂っていた。
剣呑というにはどこか浮ついた、しかし決して弛緩しているわけではない。どうやら騒ぎの中心にいるのは、とある二人の生徒らしい。周囲を囲んでいたのは野次馬、或いはただその場に居合わせただけの不運な生徒達のようだ。
そんな人だかりの中央で、頬を抑えて地面に座り込んでいる生徒がひとり。栗色の髪をツーサイドアップに纏めた、小柄で可愛らしい少女であった。傍らにはその友人と思しき生徒の姿もある。そして、それを見下すかのようにふんぞり返っている生徒がひとり。金色の髪を肩口で内に巻いた、なんともゴージャス感のある髪型の少女だ。そしてその取り巻きと思しき者が二人。スカーフの色から、双方共に一年生であることが分かる。
「ちょっと、何か言ったらどうですの? 汚らわしい庶民が、この
やたら偉そうにふんぞり返っていた金髪の生徒――シエラという名前らしい――が、苛烈な言葉を浴びせかける。
そのつり上がった目尻から、随分と気の強い性格をしていることが窺える。というより、先の言葉を聞けば誰だって分かることだろう。『関わると面倒くさい系のお嬢様だ』と。顔立ちは折角の美人だというのに、怒りが全てを台無しにしていた。
「こっちはちゃんと避けたのに、そっちが余所見してたんじゃない! アンタの方こそ
「
一方、恐らくは難癖を付けられた側であろう少女達も黙ってはいない。
見るからにゴージャスなご令嬢を相手に、一歩も引かず噛みついていた。なんとも勇ましいことである。
この時点で
恐らくは廊下をすれ違う際、
少し離れたところから様子を窺っていた
「あの人、国宝院って名乗りましたよ。凄い名前ですね。『院』と付けば何でもゴージャスな感じがします」
「取り巻きまで数に入れれば、国宝院さんの方が有利ですねっ! ですが、勝負は人数だけで決まるものではありませんからっ! 実は私、穴党なんですよ。というわけで莉子さん火恋さんペアに全ベットします!」
すっかり観戦モードに入った
「貴方達ねぇ……はぁ……」
先程同様、渋々といった様子で凪が騒ぎの下へと歩み寄る。
ただ歩く所作ですらいちいち絵になってしまう彼女だ。騒ぎに夢中となっていた野次馬たちも、徐々に凪の接近に気づき始める。気づいていないのはヒートアップしている当人達だけだ。そうしていよいよ、お嬢様学園にあるまじき醜い言い争いが始まろうとして――――
「そこまでよ」
「「――っ!?」」
凪が両者の間に割って入る。
凪とて本来であれば、このような下らない争いに首を突っ込みたくなどない。だがここは九奈白家が運営する学園で、凪はその運営者の娘である。見て見ぬふりをするのは流石に躊躇われたのだ。口ではなんだかんだといいつつも、結局は面倒見の良いお嬢様であった。
「淑女たるべき白凪の生徒が、恥を知りなさい」
九奈白凪は正真正銘、最高クラスのお嬢様である。地位も品格も教養も、そして容姿も文武も。凡そ考えうる全てを備えた完璧お嬢様である。
当然ながら、並のお嬢様とは放つ
「え、あ、その……す、すみませんでした……」
「結構。素直で助かるわ」
火恋と呼ばれた少女が凪に対して謝罪する。
根が素直な少女なのだろう。先ほどシエラに食って掛かっていた時とは打って変わり、随分としおらしい態度であった。
しかしもう一方、国宝院シエラはといえば――――
「この私に生意気な口を利いて、一体誰かと思えば――――凪ではありませんの」
別段反省した様子もなく、ただ凪の方へと鋭い視線を送っていた。